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日本破滅論 (文春新書) (日本語) 単行本
藤井 聡 (著), 中野 剛志 (著)
https://honto.jp/ebook/pd_25468510.html
hontoレビュー 2020/0730 歯職人
怒りの藤井聡、哀しみの中野剛志による日本経済と官僚の凋落の謎解き
橋本行革、小泉改革、竹中構造改革、民主党政権、日本はどこで間違えたのか、一時は「世界第2の経済大国」と呼ばれた日本の経済的凋落の軌跡を、2012年時点で背景となった文化、政治思想を視野に入れて論じた一冊です。
2020年7月時点で読み返すと、藤井聡氏と中野剛志氏が2019年の消費増税、2020年のコロナ禍に果敢に発言を続けた学問への姿勢と生き方に納得できる。
反グローバリズム、反緊縮財政、MMT理論普及の先導者として両氏を知る上で、過去の言説を知るための一冊として貴重である。出版時点は、中野剛志氏が経済産業省から京都大学教員に派遣され2年間の期限終了時にあたる。
是非お読みいただきたい一冊です。
藤井聡・中野剛志:『日本破滅論』
日本は破滅する────.
考えてみれば,これほど当たり前のことはない.
そもそも,この日本がある地球そのものが,50億年後の太陽の寿命と共に滅び去ってしまうことが,科学的に知られている.
それを知った幼い頃,えらく衝撃を受けたものだが,少しずつ成長するにつれ,その重大なる意味に徐々に気がつくこととなっていった.それは,次のような事だ.
「そうか───どれだけがんばって,どうせ,50億年後には全部おじゃんになるんだ」
これが,筆者の心の内にある「日本破滅論」の原型だ.
そしてこの原型を出発点として,日本が潰れるなんて当たり前の事なんだ,とことある毎に感ずる様になっていったのである.
こんな風にして「日本破壊論」が心に芽生えてしまえば「色んな仕事に身が入らなくなるんじゃないか───」と訝いぶかる方がおられるかもしれない.
しかし筆者の身に起こったには,それとは全く逆のことだった.日本の破滅を深く理解すればするほどに,筆者の精神にはますます活力がみなぎっていくかのようだった.
そもそも,自分の大好きなものが「絶対に潰れないモノ」だったとしてみよう.だとすれば,それを潰そうとする輩がいても腹なんかたたないし,そいつと戦おうなんてことも思わない.でも,その大好きなものが「潰れるものだ」と思った途端,それを潰そうとする輩に対する怒りは凄まじいものとなるし,何らかの破壊が見いだされた時には深い悲しみが去来することとなると同時に,もう二度と破壊をさせぬと決意し,それを守るための戦いに身を奉ずることとなる.
つまり,どれだけ日本を好きであろうが,日本なんて潰れないと思っていれば,工作員がいようが売国奴がいようが知ったこっちゃないとばかりに自分の趣味なり私利私欲なりにかまけ続けることになる.でも,日本が潰れるという事実を受け入れた人間はついつい,何か問題がないか,戦うべき相手がいるならどの様に戦うべきか───なんて事ばかり考えてしまうことになるわけである.
こう考えれば「破滅論」をその精神に抱えた者は,なんとも言えず心配性だし,年中怒り狂ってないといけないし,情緒不安定のノイローゼになっちゃうんじゃないか───と危惧される方もおられるかも知れない.
しかし,そこは心配無用.
「日本破滅論」をその精神の内に深くに抱えていれば,最後の最後に,
「まぁ,どうせ,なにやったって,日本は潰れるんだから」
という,何とも言えず,まるで神社で柏手かしわでを打った時の様な,あっさりとしたスッキリとした気分が立ち現れることになるからだ.
不思議なものだが,それは例えば次のような事だ.
ヘンテコなウソツキさんが,大衆の嫉妬心や弱者の怨恨に訴えかけながら民主政体の中で権力を握り,「名誉欲,権力欲」のために人々をダマしながら,その街を,そして日本を傷付け,潰すような改革/維新をやり続けたとしよう.
「日本破滅論」をその精神の内に携えた者なら,その輩がどれだけおぞましいモノであるのかをいとも容易く見て取る.そしてその悪行で傷付けられた人々の苦しみに胸を痛め,その悪を憎み,憤怒し,戦い,そして圧倒的劣勢の中でみずからの無力を噛みしめる.
しかし彼は「自身がいかに振る舞おうとも,どうせこの日本は潰れるのだ」と諦観している.そんな彼にとってみれば,そのウソツキがどれだけおぞましく猛威をふるおうが,そんな輩がこの世にいることなどは全くもって「当たり前のこと」なのだ.
だからこそ彼は狼狽えることなく,そのおぞましき俗物を目の前にしてもなお,陰や鬱に陥ることなく,平常心を保っていることができるのだ.そしてその俗物を冷静に眺めながら,その滑稽さも,哀れさも,その弱々しさも全て同時に見て取れることとなる.結果,彼は勝利の可能性を最大化せしめることに成功するのである.
しかし,彼はその勝負に勝てるとは限らない.むしろ,多勢に無勢故に,はじめから負けが確定しているかのような時の方が多いだろう.しかしそもそも彼は「日本は潰れる」と深く理解しながら戦っている者なのだ.つまり彼は勝つために戦っているのではない.ただひたすらに戦うべき戦いを戦っているだけなのだ.
だから,相手がどれだけ強大であろうと,状況がどれだけ絶望的であろうと彼は戦うのである.しかも彼は戦いながらも,その俗物の,あるいは時に自らの悲劇のみならず喜劇を見てとりながら,快活に振る舞い続けることとなるのである.
───以上が,筆者がイメージする「破滅論」だ.
筆者の内に何があるのかは,自身では理解し得ぬものではあるが,少なくとも本書で語り合った中野剛志君の精神の内にはそんな「破滅論」が明確に胚胎されているのだと思う.そんな彼との対談だからこそ,対談に同席いただいた出版社の飯窪氏,石原氏に「日本破滅論」なるタイトルをお付けいただく事になったのだろうと思う.
さて───本書の対談は,中野君が我が京都大学に二年間在籍した最後の最後に行ったものである.
思えばこの二年間,TPP,大震災,エネルギー問題,増税問題,橋下問題と目まぐるしく日本を「破滅」させんとする攻撃が様々に仕掛けられてきた.いわばこの二年間はかの大地震に象徴されるように,それまで潜在下で蠢うごめいてきた様々な破滅への動きが一気に顕在化した時期だったと言えるだろう.
しかし「破滅論」の立場から言うなら,それらは全て織り込み済みの至極当たり前の事柄でしかない.だからこれからもそんな当たり前の破滅への動きが様々に我々の目に前に,さらにおぞましき相貌を見せつけながら立ち現れることとなるのは必至なのだ.
そもそも日本が破滅するのは分かっているのだ.しかしそれが今日なのか50億年後なのかは分からない.それこそが,我々に問われていることだ.つまり我々は,その破滅の日が訪れるのを,一年でも,一日でも遅らせることが出来るか否かを問われているわけだ.それはちょうど,いつか必ず死ぬ運命にある野生動物が自然の中で必死に日々生き抜いていかんとする姿に重ね合わすことができる.
過酷な自然の中に生きる野生動物にこそ活力がみなぎるように,我々もまた,破滅に向かう過程の中でこそ活力が湧き出でるものなのである.
だからこそ,「日本破滅論」は決して陰鬱なものとはならない.むしろそれは,明朗で快活で,愉快なものなのとなるわけである.
その意味に於いて,この二年間は誠に愉快であった.
本書は,そんな日々の一断面である.
~『おわりに』(京都大学大学院教授 藤井聡) より抜粋~
●目次
第1章 大震災を食う-危機論
第2章 学者・官僚・メディアの嘘-パラダイム論
第3章 新幹線と失われた20年-物語論
第4章 沈黙のらせんを絶て-政治論
第5章 マクド経済学が世界を蝕む-経済論