伝説になった男の残した諸稿, 2008/10/30
By 歯職人
GHQ占領下の日本に、敗戦後の対米交渉の準備のために生まれたかの様な男が登場し、そして去っていく。ここ数年、再発見のブームが続いているかの白洲次郎の残した諸稿集である。
権力の中枢近くに居ることにより活字として残せることは、実は数少なかったと思われる。墓まで持っていくべき話ばかりが集積する時期を過ごした男の残した言葉として読むと、時代の推移を予見し時代を背負った男の決意と生き方が、行間から覗けるような気になる。
青年期をイギリスで過ごし、後に世界との交易に従事し、世界視野を獲得した男からの日本人への贈り物は「プリンシプル」。
今日にも通じる日本と日本人精神性、生き方を考える上で本書のみによらず歴史的背景を補強しながら読み下すべき一冊といえる。
時代が必要とした男を、使いこなした男が居たことも、また銘記されねばならない。
観察眼が極めてニュートラルである。既成概念やイデオロギーの呪縛から自由である。
身近に接した悪友(河上徹太郎、今日出海)たちとの明け透けな会話が楽しめるが、雑誌掲載を前提にしているだけに、座談自体はハジケテは居ない。
辻井喬による「プリンシプルのあった人」は、食い足りない。
プリンシプルノナイニホン シンチョウブンコ
新潮文庫
プリンシプルのない日本
白洲 次郎【著】
新潮社 (2006/06/01 出版)
295p / 15cm / A6判
ISBN: 9784101288710
NDC分類: 304
価格: ¥499 (税込)
詳細
「風の男」、そして「占領を背負った男」―戦後史の重要な場面の数々に立ち会いながら、まとまった著作は遺さなかった白洲次郎が、生前、散発的に発表した文章がこの一冊に。
「他力本願の乞食根性を捨てよ」「イエス・マンを反省せよ」「八方美人が多すぎる」など、日本人の本質をズバリと突く痛快な叱責は、現代人の耳をも心地良く打つ。
その人物像をストレートに伝える、唯一の直言集。
野人・白洲次郎(今日出海)
カントリー・ジェントルマンの戦後史―白洲次郎直言集(日曜日の食卓にて―日本人についての雑談
;講和会議に随行して
;雑感―東北一廻り
;おおそれながら
;腹たつままに;蛙の考え
;頬冠りをやめろ―占領ボケから立直れ
;だいなし―借り物民主主義から脱却しよう
;嫌なことはこれからだ―勇気と信念をもって現実を直視しよう
;まっぴら御免―憤懣やる方なきこの頃の世の中 ほか)
日本人という存在―座談会(白洲次郎・河上徹太郎・今日出海)
プリンシプルのあった人―辻井喬
著者紹介
白洲次郎[シラスジロウ]
1902(明治35)年、兵庫県芦屋の実業家の次男として生まれる。神戸一中卒業後、イギリス・ケンブリッジ大学に留学。帰国後は英字新聞記者を経て商社に勤務するが、’43(昭和18)年、日本の敗戦を見越して鶴川村(現・東京都町田市)で百姓となる。’45年、吉田茂に請われて終戦連絡中央事務局参与となり、日本国憲法成立などに関与。その後、貿易庁長官に就任、通商産業省を誕生させる。以後、東北電力会長などを務め、’85年逝去。妻は白洲正子(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
By 歯職人
GHQ占領下の日本に、敗戦後の対米交渉の準備のために生まれたかの様な男が登場し、そして去っていく。ここ数年、再発見のブームが続いているかの白洲次郎の残した諸稿集である。
権力の中枢近くに居ることにより活字として残せることは、実は数少なかったと思われる。墓まで持っていくべき話ばかりが集積する時期を過ごした男の残した言葉として読むと、時代の推移を予見し時代を背負った男の決意と生き方が、行間から覗けるような気になる。
青年期をイギリスで過ごし、後に世界との交易に従事し、世界視野を獲得した男からの日本人への贈り物は「プリンシプル」。
今日にも通じる日本と日本人精神性、生き方を考える上で本書のみによらず歴史的背景を補強しながら読み下すべき一冊といえる。
時代が必要とした男を、使いこなした男が居たことも、また銘記されねばならない。
観察眼が極めてニュートラルである。既成概念やイデオロギーの呪縛から自由である。
身近に接した悪友(河上徹太郎、今日出海)たちとの明け透けな会話が楽しめるが、雑誌掲載を前提にしているだけに、座談自体はハジケテは居ない。
辻井喬による「プリンシプルのあった人」は、食い足りない。
プリンシプルノナイニホン シンチョウブンコ
新潮文庫
プリンシプルのない日本
白洲 次郎【著】
新潮社 (2006/06/01 出版)
295p / 15cm / A6判
ISBN: 9784101288710
NDC分類: 304
価格: ¥499 (税込)
詳細
「風の男」、そして「占領を背負った男」―戦後史の重要な場面の数々に立ち会いながら、まとまった著作は遺さなかった白洲次郎が、生前、散発的に発表した文章がこの一冊に。
「他力本願の乞食根性を捨てよ」「イエス・マンを反省せよ」「八方美人が多すぎる」など、日本人の本質をズバリと突く痛快な叱責は、現代人の耳をも心地良く打つ。
その人物像をストレートに伝える、唯一の直言集。
野人・白洲次郎(今日出海)
カントリー・ジェントルマンの戦後史―白洲次郎直言集(日曜日の食卓にて―日本人についての雑談
;講和会議に随行して
;雑感―東北一廻り
;おおそれながら
;腹たつままに;蛙の考え
;頬冠りをやめろ―占領ボケから立直れ
;だいなし―借り物民主主義から脱却しよう
;嫌なことはこれからだ―勇気と信念をもって現実を直視しよう
;まっぴら御免―憤懣やる方なきこの頃の世の中 ほか)
日本人という存在―座談会(白洲次郎・河上徹太郎・今日出海)
プリンシプルのあった人―辻井喬
著者紹介
白洲次郎[シラスジロウ]
1902(明治35)年、兵庫県芦屋の実業家の次男として生まれる。神戸一中卒業後、イギリス・ケンブリッジ大学に留学。帰国後は英字新聞記者を経て商社に勤務するが、’43(昭和18)年、日本の敗戦を見越して鶴川村(現・東京都町田市)で百姓となる。’45年、吉田茂に請われて終戦連絡中央事務局参与となり、日本国憲法成立などに関与。その後、貿易庁長官に就任、通商産業省を誕生させる。以後、東北電力会長などを務め、’85年逝去。妻は白洲正子(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)