故人との最後の別れを刻む言葉, 2014/7/20
By 歯職人
人との別離は避けがたい。
年齢を増すごとに、葬儀ならびに告別式等に参列する機会も増える。その時、ご遺族のご挨拶とともに、記憶に残り、故人と共有した時間に思いを至らされるのが、故人と親しい方による弔辞である。
本書は、20世紀に生きた何らかの分野で秀でた日本人に対する、実際に告別式で述べられた弔辞集である。
池田勇人から浅沼稲次郎へ、山田太一から寺山修司へ、中村メイコから美空ひばりへ、倍賞千恵子から渥美清へ、黒澤明から三船敏郎へ、村山富市から小渕恵三へ、岸谷五郎から本田美奈子へ、佐藤優から米原万里へ、小松政夫ら植木等へ、不破哲三から宮本顕治へ、徳光和夫から三沢光晴へ、小栗孝一からオグリキャプへ、タモリから赤塚不二夫へ、その他様々な20世紀の日本の断面を象徴する50人の弔辞が集められている。
弔辞に刻まれたありし日の故人の姿を、読者が何がしか共有できるのは、同じ時代を生きた証しであるとともに、弔辞の役割を咀嚼し、故人と共に生きた時間を弔辞に込めるそれぞれの人の誠実さが、それを聞く人に感動をもたらすのだろう。
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文春新書
弔辞―劇的な人生を送る言葉
文藝春秋【編】
価格 \810(本体\750)
文藝春秋(2011/07発売)
サイズ 新書判/ページ数 245p/高さ 18cm
商品コード 9784166608157
NDC分類 281.04
内容説明
わずか数分に凝縮された万感の思い。故人との濃密な関係があったからこそ語られる、かけがえのない思い出、知られざるエピソード、感謝の気持ち。作家、政治家、俳優、歌手、漫画家、芸人、スポーツ選手まで、二十世紀を彩った50人への名弔辞を収録。
目次
第1章 また逢う日まで
第2章 仏からの電話
第3章 寂しいよ、お兄ちゃん
第4章 宇宙以前への旅立ち
第5章 頑張れって言って、ごめんね
第6章 みごとなお骨
第7章 約束の詩
出版社内容情報
わずか数分に凝縮された万感の想い。丹羽宇一郎、小泉純一郎、岸惠子、タモリなど、各界の著名人たちの記憶に残る名弔辞の数々。
担当編集者より
長嶋茂雄から、六大学野球で対戦した東大投手・吉田治雄へ、小泉純一郎から二度にわたって総裁選を戦った橋本龍太郎へ、今年4月、惜しくも世を去った大賀典雄からソニー名誉会長・盛田昭夫へ、そしてタモリから赤塚不二夫への断腸の思い。かけがえのない人を送る言葉には、感謝と「あなたを忘れない」という気持ちが詰まっている。月刊「文藝春秋」2001年2月号、11年新年号に掲載された「弔辞」の中から、50人分を再収録。(MR)
http://hon.bunshun.jp/articles/-/148
ほめ言葉がこんなに心にしみるとは
『弔辞――劇的な人生を送る言葉』 (文藝春秋 編)
辰濃 和男Kazuo Tatsuno|ジャーナリスト・エッセイスト
2011.07.20 00:00
弔辞は苦手だ。一応、用意しておいた原稿を読み上げる。だが、そのうちにたいていは泣く。泣きじゃくることはないが、適当量の涙がでてきて、声がつまる。じじいが声をつまらせてどうなるんだ。見栄えのいいはずはなく、われながらあきれもし、もう弔辞なんかお断りだと何度も思う。
しかし本書を読み、弔辞は、第三者になって読む限りは結構おもしろいものだというのが発見だった。人さまの弔辞がなぜかくも心にしみるのかと不思議に思う。
◎
なんといっても迫力のあったのは、司馬遼太郎の、近藤紘一への弔辞だ。近藤は産経新聞の記者で司馬の後輩にあたり、2人はベトナム取材で行動を共にしている。司馬の筆力の沸騰点の激しさ、というものが読み手に直截に伝わってくる。
「君はすぐれた叡智のほかに、なみはずれて量の多い愛というものを、生まれつきのものとして持っておりました」「近藤君、君はジャーナリストとして(略)不世出の人でした」「君の精神とその仕事、さらには君の一顰一笑から片言隻句まで憶えつづけてゆくことが、私ども、君によって友人の仲間に入れて貰った者の、大きな財産だと思います」
司馬の「ほめちぎる文章」を読みながら、評論家小林秀雄の「批評とは人をほめる特殊の技術だ」という刺激的な言葉を思い出していた。小林は書く。「批評文としてよく書かれているものは、皆他人への讃辞であって、他人への悪口で文を成したものはない事にはっきりと気附く」。そうなのだ。批評の本質は悪口雑言を並べることじゃない。対象を正しく評価すること、その人の現に生きている「個性的な印し」をつかみとることだと小林は主張している。
弔辞というのは、その人の生涯を総括するほめ言葉を基本にする。日本人は人をほめるのが下手だとよくいわれるが、司馬の今回の文章はほめるということの技を克明に教えてくれている。
司馬遼太郎が亡くなった時、作家田辺聖子は司馬への弔辞を書いている。田辺も司馬の作品をみごとといっていいほどほめ抜いていて、そこがたまらなくいい。
弔辞に感動があるとすれば、そこには、「人をほめちぎる文章」の真骨頂があるからではないか。
たとえば「(司馬は、その作品で)私たち日本人に、勇気と希望と夢と、そしてプライドを、思い出させて下さった」。司馬の小説の特徴は、「この時期」「余談ながら」という形の「自作自注」をふんだんに入れていることで、その自注の内容がすこぶるおもしろい。「自注がそのまま小説の血肉となり、(略)小説の魅力をいっそうたかめました。(略)自注によって小説は奔馬(ほん ば)のように躍動しました。主人公たちはますます生彩を帯び、小説宇宙は輝きを増します」。この称賛はそのまま、説得力のある司馬文学への批評になっている。
もっとも、「ほめぬく」ことだけが弔辞の特質ではない。たとえば、藤沢周平への弔辞を書いた萬年慶一(昔の藤沢の教え子)はキラッと光る文章を書き、それが印象に残った。「思いの深さ」が弔辞に深みを与えている。中学の同窓生の集まりで、教え子たちが師、藤沢のところにやってきて、愚痴や身の上相談などを持ちかける。藤沢さんは笑顔を浮かべ「ンダガ、ンダガ、ヨシヨシ頑張れヨ」と励ましていた。「只それだけの言葉を聞いただけで何か心が安らいで行く不思議な雰囲気を持っておられました」と萬年は書いている。藤沢作品の多くには「何か心が安らいで行く不思議な雰囲気」というものがある。藤沢の「ンダガ、ンダガ」を鋭敏にとらえたところに萬年という人の故人への思いの深さがある。思いの深さと弔辞の出来ばえは比例している。
寺山修司への弔辞を書いた山田太一の文章もなかなかいい。晩年、山田家を訪れた寺山が山田の本棚をつぶさに見ながら二人で知的な会話をかわす。このときの描写にはゆったりとした静謐感があり、すてきな短編映画を見ている感じだ。その静謐感は余人には書けない2人の思いの深さが生んだものだろう。こういう「秘話」がまじると、弔辞は生き生きとした色になる。
秘話といえば、98歳で亡くなった宇野千代への弔辞を瀬戸内寂聴が書いているのだが、こんな話がでてくる。
「(宇野先生は)男と女の話をなさる時は、芋や大根の話をするようにサバサバした口調でした。『同時に何人愛したっていいんです。寝る時はひとりひとりですからね』」なんていう言葉を残している。「男と女のことは、所詮オス・メス、動物のことですよ。それを昇華してすばらしい愛にするのは、ごく稀(まれ)な選ばれた人にしか訪れない」。宇野は自由人だった。恋に生きた傑物の言葉を「余話」に入れることで、弔辞はきりりと引き締まる。瀬戸内はそのへんの事情を知っている人だった。
硬派の作家城山三郎の夫人が亡くなったあと、軟派の作家渡辺淳一が「再婚する気はありませんか」といって城山に1枚の女性の写真を渡した。城山は「結婚する気はない」といいながら、写真をじっと見て「この人、君のお古じゃないの?」と聞いた。渡辺は仰天した、と弔辞に書いている、この秘話も秘話らしくていい。
これだけの弔辞を集めるには熱っぽい力業(わざ)を要したことだろう。本書は、期せずして、風変わりな日本人論・死生論になっている。
掲載本の話 2011年8月号