http://www.iti.or.jp/flash48.htm
フラッシュ48
2003年8月20日
転機を迎えるドイツのマイスター制度
(財)国際貿易投資研究所
研究主幹 田中信世
中世以来の伝統を持ち、1953年からは職能制度として法制化されて、ドイツの産業発展に大きな役割を果たしてきたとされるマイスター制度が大きな転機を迎えている。
労働市場改革を進める連邦政府が、労働市場改革の一環として、マイスター制度の見直しに乗り出し、今年5月末マイスター制度の見直しを盛り込んだ手工業法(Gesetz zur Ordnung des Handwerks)の改正を閣議決定したのである。
ドイツのマイスター制度の下では、手工業法に盛り込まれた職種については、マイスター資格がなければ開業できず、「見習い」を雇って指導することもできないことになっている。マイスターの資格を取得するためには、見習いとして3年間働きながら職業学校に通い、さらに「徒弟」(Geselle)として3~5年間の研修を積んだうえで試験に合格する必要がある。
1953年手工業法の付属資料Aは、手工業の開業に際してマイスター資格取得を義務付けている業種として建設関係(グループI)で15業種、電気・金属産業(グループII)で22業種、木材加工産業(グループIII)で9業種、アパレル・テキスタイル・皮革産業(グループIV)で10業種、食品産業(グループV)6業種、健康・保健産業(グループVI)で9業種、ガラス・紙・陶磁器・その他産業(グループVII)で23業種と全部で94業種を掲げている。政府の改正案は、このうち65業種については、開業にあたりマイスター資格の取得義務からはずすというものである(グループ別の規制対象除外業種については別表参照)。
政府がマイスター制度の見直しに乗り出した背景としては、2003年1月1日に発効した労働市場改革法(「労働市場のサービスの近代化のための法律」)で「個人企業」(Ich AG)や「ミニジョブ」を積極的に育成しようしていることが挙げられる。 同法では、失業者が「個人企業」として独立した場合の助成措置を盛り込んでおり、その所得が年間2万5,000ユーロを超えない場合、最高3年間にわたって職業安定所から創業補助金(支給額は初年度月額600ユーロ、2年目同360ユーロ、3年目同240ユーロ)を支給するとしている。
また、「ミニジョブ」制度は、不法労働の温床になりがちであったビル清掃、家事手伝いといったミニジョブに対して所得額に応じて雇用者と就労者の税金と社会保険料の負担割合を定めたものである(a.月額所得が400ユーロ以下の場合、就労者には税金と社会保険料を免除し雇用者には一律25%課税、b.月額所得が401~800ユーロの場合、一括課税25%のうち雇用者21%、就労者4%を負担、ただし就労者の負担割合は所得額が増すにつれて段階的引き上げられる)。ちなみに、連邦経済省では同法発効後100日間で93万人の「ミニジョブ」が創設されたとしている。
しかし、430万人を超える大量の失業者の削減を目指す政府にとって、厳格なマイスター試験に合格しなければ、開業できないという現行の手工業法は、とくに失業者の「個人企業」創設などの場合に大きなネックとなってきた。このため手工業法の改正により、マイスター資格取得を義務付ける手工業の業種を大幅に減らし、創業し易い環境を整えることにしたものである。
このことは、これまでドイツの産業競争力を支えてきたとされるマイスター制度がドイツ経済を取り巻く厳しい環境変化の中で即応できなくなったことを意味し、教育制度などと同様に機能不全に陥りつつあることを示しているように思われる。その意味で、今回の手工業法の改正の動きは時代の要請に応じたものということができよう。
また、手工業の従業員数や売上高は減少してきており、2002年の従業員数と売上高はそれぞれ前年比で、手工業全体で5.3%減、4.9%減、建設部門で9.6%減、8,2%減、電気・金属部門で4.1%減、3.5%減、木材加工部門で7.5%減、7.1%減、アパレル・テキスタイル・皮革部門で8.0%減、10.9%減、食品部門で3.3%減、4.9%減、ガラス・紙・陶磁器部門で6.0%減、7.1%減、健康・保健部門で2.0%減、1.0%減と軒並み減少している。こうした手工業部門の従業員数や売上高の落ち込みも、規制緩和により手工業への参入を増やすことを目指した今回の手工業法改正の動きの背景になっているものと考えられる。
手工業改正案では前述のように現行のマイスター資格取得を義務付けた94業種のうち、65業種について資格取得義務の対象からはずすことになっている。これら規制対象外となる65業種については、法案が成立した場合、マイスターの資格がなくても手工業を開業したり、手工業の企業を買収することができるようになる。しかし、政府によれば規制対象外となるこれら65業種についてもマイスター制度そのもがなくなったわけではなく、自由意志でマイスター資格を取得することは可能であり(その場合、試験を受けるための前提条件である3~5年の「徒弟」期間終了という条件は免除される)、取得したマイスター資格を「優良企業」の証(あかし)として活用することができるとしている。また、開業にあたって引き続きマイスター資格が必要とされる残りの29業種についても、一定の条件(「徒弟」として10年の経験を有しそのうち5年間は責任あるポストにいること)を満たした場合、マイスターの資格なしでも開業できることになっている。
問題はこうした手工業法の改正によって、一般に懸念されているように、技術レベルや人材の質の低下を招き、ドイツ企業や産業の国際競争力の低下に結びつくのかという点である。
マイスター資格取得義務の対象からはずされる業種は数のうえでは全体の約3分の2に相当することから極めてドラスチックな改革であるような印象を受ける。しかし、下表の規制対象外として予定されている業種をみて気が付くことは、「精密光学機器」「情報エンジニア」など一部の業種を除き、「タイル工事」「塗装」(グループI)、「彫刻」「メッキ」(グループII)、「木彫」「「ブラインド・シャッター」(グループIII)、「紳士・婦人服仕立て」「製靴」(グループIV)、「ベーカリー」「ケーキ」「ビール醸造」(グループV)、「理髪」「クリーニング」(グループVI)、「楽器製造」「広告看板」(グループVII)など比較的マイナーなー業種が圧倒的に多いことである。
これらの業種については、マイスター制度の規制対象からはずされることにより、仮に技術レベルや人材の質の低下が起こったとしても、マイナーな業種であるだけに、その影響は国民の生活レベルでのサービスの低下や商品の質の低下につながる程度であり、それが直接ドイツ企業や産業の国際競争力の低下につながるとは考えにくい。
また、引き続きマイスター資格が必要な業種は、健康管理や危険物取り扱いなど安全維持に不可欠な分野という観点から選ばれたとされているが、「自動車・車両組み立て」「自動車エンジニア」「金属加工」「電気エンジニア」など主要な業種についてはその選定あたって、当然技術レベルの維持という観点も配慮した選定が行われたものと思われる。
このように手工業法の改革案を見る限り、マイスター制度の改革はドイツ産業や企業の競争力にそれほど大きな影響を及ぼすことはなさそうに見えるが、改革の影響を正確に評価するためには、改革後ある程度時間をおいた評価が必要になろう。
いずれにしても、同制度がいま大きな曲がり角にさしかかっていることは間違いない。手工業法改正案は、5月末の閣議決定後、連邦議会(下院)の審議をへて、連邦参議院(上院)の審議に回された。連邦参議院での第1回目の審議では改正案に対する反対意見が多く、結論が出ないまま夏休み休会に入った。夏休み明けの9月から再開される審議でマイスター制度の改革についてどのような結論が出されるのか注目される。
・1953年手工業法によるマイスター対象業種の自由化案のデータ
フラッシュ48
2003年8月20日
転機を迎えるドイツのマイスター制度
(財)国際貿易投資研究所
研究主幹 田中信世
中世以来の伝統を持ち、1953年からは職能制度として法制化されて、ドイツの産業発展に大きな役割を果たしてきたとされるマイスター制度が大きな転機を迎えている。
労働市場改革を進める連邦政府が、労働市場改革の一環として、マイスター制度の見直しに乗り出し、今年5月末マイスター制度の見直しを盛り込んだ手工業法(Gesetz zur Ordnung des Handwerks)の改正を閣議決定したのである。
ドイツのマイスター制度の下では、手工業法に盛り込まれた職種については、マイスター資格がなければ開業できず、「見習い」を雇って指導することもできないことになっている。マイスターの資格を取得するためには、見習いとして3年間働きながら職業学校に通い、さらに「徒弟」(Geselle)として3~5年間の研修を積んだうえで試験に合格する必要がある。
1953年手工業法の付属資料Aは、手工業の開業に際してマイスター資格取得を義務付けている業種として建設関係(グループI)で15業種、電気・金属産業(グループII)で22業種、木材加工産業(グループIII)で9業種、アパレル・テキスタイル・皮革産業(グループIV)で10業種、食品産業(グループV)6業種、健康・保健産業(グループVI)で9業種、ガラス・紙・陶磁器・その他産業(グループVII)で23業種と全部で94業種を掲げている。政府の改正案は、このうち65業種については、開業にあたりマイスター資格の取得義務からはずすというものである(グループ別の規制対象除外業種については別表参照)。
政府がマイスター制度の見直しに乗り出した背景としては、2003年1月1日に発効した労働市場改革法(「労働市場のサービスの近代化のための法律」)で「個人企業」(Ich AG)や「ミニジョブ」を積極的に育成しようしていることが挙げられる。 同法では、失業者が「個人企業」として独立した場合の助成措置を盛り込んでおり、その所得が年間2万5,000ユーロを超えない場合、最高3年間にわたって職業安定所から創業補助金(支給額は初年度月額600ユーロ、2年目同360ユーロ、3年目同240ユーロ)を支給するとしている。
また、「ミニジョブ」制度は、不法労働の温床になりがちであったビル清掃、家事手伝いといったミニジョブに対して所得額に応じて雇用者と就労者の税金と社会保険料の負担割合を定めたものである(a.月額所得が400ユーロ以下の場合、就労者には税金と社会保険料を免除し雇用者には一律25%課税、b.月額所得が401~800ユーロの場合、一括課税25%のうち雇用者21%、就労者4%を負担、ただし就労者の負担割合は所得額が増すにつれて段階的引き上げられる)。ちなみに、連邦経済省では同法発効後100日間で93万人の「ミニジョブ」が創設されたとしている。
しかし、430万人を超える大量の失業者の削減を目指す政府にとって、厳格なマイスター試験に合格しなければ、開業できないという現行の手工業法は、とくに失業者の「個人企業」創設などの場合に大きなネックとなってきた。このため手工業法の改正により、マイスター資格取得を義務付ける手工業の業種を大幅に減らし、創業し易い環境を整えることにしたものである。
このことは、これまでドイツの産業競争力を支えてきたとされるマイスター制度がドイツ経済を取り巻く厳しい環境変化の中で即応できなくなったことを意味し、教育制度などと同様に機能不全に陥りつつあることを示しているように思われる。その意味で、今回の手工業法の改正の動きは時代の要請に応じたものということができよう。
また、手工業の従業員数や売上高は減少してきており、2002年の従業員数と売上高はそれぞれ前年比で、手工業全体で5.3%減、4.9%減、建設部門で9.6%減、8,2%減、電気・金属部門で4.1%減、3.5%減、木材加工部門で7.5%減、7.1%減、アパレル・テキスタイル・皮革部門で8.0%減、10.9%減、食品部門で3.3%減、4.9%減、ガラス・紙・陶磁器部門で6.0%減、7.1%減、健康・保健部門で2.0%減、1.0%減と軒並み減少している。こうした手工業部門の従業員数や売上高の落ち込みも、規制緩和により手工業への参入を増やすことを目指した今回の手工業法改正の動きの背景になっているものと考えられる。
手工業改正案では前述のように現行のマイスター資格取得を義務付けた94業種のうち、65業種について資格取得義務の対象からはずすことになっている。これら規制対象外となる65業種については、法案が成立した場合、マイスターの資格がなくても手工業を開業したり、手工業の企業を買収することができるようになる。しかし、政府によれば規制対象外となるこれら65業種についてもマイスター制度そのもがなくなったわけではなく、自由意志でマイスター資格を取得することは可能であり(その場合、試験を受けるための前提条件である3~5年の「徒弟」期間終了という条件は免除される)、取得したマイスター資格を「優良企業」の証(あかし)として活用することができるとしている。また、開業にあたって引き続きマイスター資格が必要とされる残りの29業種についても、一定の条件(「徒弟」として10年の経験を有しそのうち5年間は責任あるポストにいること)を満たした場合、マイスターの資格なしでも開業できることになっている。
問題はこうした手工業法の改正によって、一般に懸念されているように、技術レベルや人材の質の低下を招き、ドイツ企業や産業の国際競争力の低下に結びつくのかという点である。
マイスター資格取得義務の対象からはずされる業種は数のうえでは全体の約3分の2に相当することから極めてドラスチックな改革であるような印象を受ける。しかし、下表の規制対象外として予定されている業種をみて気が付くことは、「精密光学機器」「情報エンジニア」など一部の業種を除き、「タイル工事」「塗装」(グループI)、「彫刻」「メッキ」(グループII)、「木彫」「「ブラインド・シャッター」(グループIII)、「紳士・婦人服仕立て」「製靴」(グループIV)、「ベーカリー」「ケーキ」「ビール醸造」(グループV)、「理髪」「クリーニング」(グループVI)、「楽器製造」「広告看板」(グループVII)など比較的マイナーなー業種が圧倒的に多いことである。
これらの業種については、マイスター制度の規制対象からはずされることにより、仮に技術レベルや人材の質の低下が起こったとしても、マイナーな業種であるだけに、その影響は国民の生活レベルでのサービスの低下や商品の質の低下につながる程度であり、それが直接ドイツ企業や産業の国際競争力の低下につながるとは考えにくい。
また、引き続きマイスター資格が必要な業種は、健康管理や危険物取り扱いなど安全維持に不可欠な分野という観点から選ばれたとされているが、「自動車・車両組み立て」「自動車エンジニア」「金属加工」「電気エンジニア」など主要な業種についてはその選定あたって、当然技術レベルの維持という観点も配慮した選定が行われたものと思われる。
このように手工業法の改革案を見る限り、マイスター制度の改革はドイツ産業や企業の競争力にそれほど大きな影響を及ぼすことはなさそうに見えるが、改革の影響を正確に評価するためには、改革後ある程度時間をおいた評価が必要になろう。
いずれにしても、同制度がいま大きな曲がり角にさしかかっていることは間違いない。手工業法改正案は、5月末の閣議決定後、連邦議会(下院)の審議をへて、連邦参議院(上院)の審議に回された。連邦参議院での第1回目の審議では改正案に対する反対意見が多く、結論が出ないまま夏休み休会に入った。夏休み明けの9月から再開される審議でマイスター制度の改革についてどのような結論が出されるのか注目される。
・1953年手工業法によるマイスター対象業種の自由化案のデータ