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歯科技工士・岩澤 毅

岩澤毅 福島は忘れない 福島を忘れない-福島県浜通り地方訪問記-

2014年05月30日 | 日本歯技




『日本歯技』2014年6月号

福島は忘れない 福島を忘れない
-福島県浜通り地方訪問記-

 4月5日(土)、6日(日)の二日間、福島県技のご協力を得て、2011年3月11日の東日本大震災での津波やその後の東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う避難や風評被害等の渦中にある福島県浜通り地方(※1)を訪ねることができた。


いわき市 4月5日(土)

 いわき市(※2)では鈴木庸夫福島県技副会長(日技連盟総務)から、最初に被害状況とその後の概要の説明を受けた。

 同市の震災による被害は、非住家を含める建物は、全壊7,917棟、大規模半壊7,280棟、半壊25,257棟、一部損壊50,087棟。人的被害は津波や土砂崩れ、震災関連死によるものを中心に455名に及んだ。(3月28日現在、いわき市災害対策本部)

 また、原発事故で住まいを失い歴史的・経済的に繋がりの強かった双葉郡の住民を中心に約24,000人以上が避難しており、放射能汚染への不安から同市から転出した住民の減少分を上回っているため、結果的に人口が増加しているとのことだ。

 アパートや戸建て住宅等の賃貸物件も、被災した市民と双葉郡内等の町村からの避難者によって多くが借り上げられている上に、東京電力3施設(福島第一原子力発電所・福島第二原子力発電所・広野火力発電所)に関わる社員や、除染作業の作業員や復旧作業員の居住地にもなっていることによる需要増で、市内への転勤者・進学者が物件を見つけられない例も続き、深刻な状況にあるとのことだ。

 他の地方都市ではよく見られるいわゆる「シャッター通り」や「テナント募集」「空き室あります」の広告等を観ることはなかった。

 2013年6月の双葉町役場のいわき市への移転に伴い、いわき市への居住を希望する双葉町民も多い。また、現在地の避難先から故郷に近く気候の似たいわき市へ移りたいという、双葉町民をはじめ双葉郡内の町村民の希望者は多く、住宅地等の不動産の不足の状況はしばらく続きそうとのことだ。

 概要の説明をお聞きした後、小名浜港(※3)に移動した。震災関連報道で取り上げられる機会の多かった「アクアマリンふくしま」の再建された外観を見ながら、いわき市観光物産センター「いわき・ら・ら・ミュウ」の駐車場に車を置いた。護岸工事を含む様々な復旧工事が数ヵ所で同時進行しており、工事関係者と観光客が交錯しながら活況を呈していた。

 鈴木さんより、ご持参いただいた震災を記録した写真集と対比しながら現在の港の復旧状況の説明を受けた。過去の三陸大津波時にも被害を受けなかった小名浜の津波に対する備えの脆弱さを含め、小名浜港周辺の人々の海とのかかわり、豊かな海産物を生み出す福島沖の海への思いの大きさに触れることができた。

 いわき・ら・ら・ミュウの2階では「3.11いわきの東日本大震災展」が開催されており、地元の夕刊紙『いわき民報』の写真素材や当時を再現した展示物により、避難所の生活や自衛隊や警察の活躍、ボランティアの活動などが再現されていた。鈴木さん自身のボランティア活動を含め、地元市民の津波被災地・被災住民に対する食糧の差し入れや、ガレキ処理や泥出し等の支援活動などの説明を受けた。





 映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台となった灯台としても知られ、ふもとには美空ひばりの歌碑が建立され、観光スポットになっている塩屋崎灯台付近にあるいわき市立豊間中学校は、津波により大きな被害を受け、周辺の住宅地も大半の住宅が跡形もなくなっていた。わずかに住宅としての形を留めるものもあるが、人が住んでいる様子はなかった。







 いわき市中心部にある丘陵地帯に造成された「いわきニュータウン」(いわき市中央台)はその敷地の一角を、震災後仮設住宅の建設用地に提供した。そこには、広野町(双葉郡)と被災されたいわき市の方々が多く住んでいるとのことであるが、道一本を隔てた従来から分譲された既存の住宅街とは、別の世界が展開していた。


帰還困難区域・双葉町 6日(日)

 翌6日(日)は、現在は郡山市の借り上げ住宅に暮らす白岩寿夫会員(双葉町※4町会議員)のご案内で、帰還困難地区へ当局の許可を得て立ち入ることができた。

 いわき市から国道6号線を北上し、東京電力福島第二原子力発電所、問題の福島第一原子力発電所を目指す形となった。













 帰還困難地区に近づくにつれて生活も仕事もが停止し、震災の後片づけ等も手付かずで放置された郊外型店舗等が姿を表してきた。







 福島第二原子力発電所に隣接する「毛萱・波倉スクリーニング場」(富岡町大字毛萱字前川原)で所定の手続きを行い、ニュース等で登場する全身を包む白い防護服とマスク、線量計等を受け取り、立ち入るための準備を整えた。

 警戒区域の見直しに伴い一時帰宅された方々が家の片付け等で排出する廃棄物(いわゆる片付けごみ)や除染作業により発生した廃棄物(いわゆる除染廃棄物)を入れた黒い大きな袋が、ニュース画像で見たように6号線沿線に積み上げられている状況が見えてきた。大量の黒い大きな袋の上は、更に巨大なグリーンシートにより覆われている。白岩さんの解説によると、一時立ち入りのため訪問する人がいる現在、各所に野積みされている黒い大きな袋の山への移動と集積が進み、道路沿いの目に付くところではグリーンシートによる被覆が行われているとのことだ。

 時折すれ違うのは、警察車両と工事用車両であり極めて交通量は、少なくなった。その中でも大熊町付近では、桜の時期を迎えていた。

 双葉町では、住民の姿は全く見られない。町の中心部への入口には、「原子力 明るい未来のエネルギー」と書かれた看板が現在も掲げられていた。昔からの商店が連なる中心部では、地震の揺れで倒壊し、道路にせり出したままの家屋が何棟もあった。地元の「初発(しょはつ)神社」は社殿が傾き、高さ約3メートルの石碑が倒れて真ん中で折れていた。











 町民が一斉に避難した時点の取り残された世界が、徐々に朽ちながら雨風にさらされるままに放置されていた。常磐線のJR双葉駅は、1998年(平成10年)に建築された町のコミュニティー施設「ステーションプラザふたば」と一体のモダンな駅舎を残す。駅前の駐輪場には放置された自転車が数台あった。






 町の中心部から出ようとすると、先ほどの「原子力 明るい未来のエネルギー」と書かれた看板の裏に、「原子力 正しい理解で豊かなくらし」の文字があった。



 土地利用計画により整備され広がった新興地区にある歯科医院、病院、看護学校、老人福祉施設等々が、今は使われることなく、真新しい姿をとどめていた。

 沿岸部の双葉海水浴場には、双葉町海の家「マリーンハウスふたば」が、その姿を残す。震災前年は約8万5千人の海水浴客でにぎわったとのことだが、津波に襲われ海の家も大破した。内部には、津波のエネルギーの大きさを記録する残骸が放置されていた。展望室に上ると、太平洋が水平線まできれいに見える。砂浜に打ち寄せる波は穏やかだが、海風と塩害から町を守るための松林は、津波を浴び機能を失っていた。ここで、パトロール中の警察官と言葉を交わした。双葉町に入ってから、初めて出会う人である。









 一時立ち入りの住民のために、生活道路は地震による亀裂や段差に対する補修工事を終えていた。道沿いにある集落の墓地の倒壊した墓石は、町の依頼した業者により、最低限の手当はなされていた。

 ご家族で農業も営んでいた白岩さんのご自宅と歯科技工所は、水田地帯にある。しかし、全ての水田は言わば「耕作放棄地」となり、セイタカアワダチソウやススキなどが繁茂し、雑木林への歩みを始めている様だった。



 白岩さんのご自宅の庭はイノシシと思われる動物に掘り返され、農機具小屋は倒壊を免れているが変形を来していた。避難の際に残した自家用車は、ナンバープレートを外され今もそこにある。廃車の手続を終えているとのことだ。歯科技工所の内部は、足を踏み入れることも出来ない惨状であった。ご自宅の内部は、ネズミと思われる動物の侵入にさらされていた。

 白岩さんのご自宅の前を流れる川は、手入れされることなく土砂等も流入し、川幅を狭め葦等が茂り、素人目には梅雨時や増水時のことが心配された。

 白岩さんは、東京電力福島第一原子力発電所が長年、双葉町にもたらした雇用や様々な恩恵の経過と現在の町の状況を直視しながら、町民としてまた町議として生きる決意を述べられていた。

 再び毛萱・波倉スクリーニング場に赴き、所定の手続とスクリーニングを終え、被ばく線量(2マイクロシーベルト)を確認し帰路に就いた。

 毎日を必死に生きる人にとって、時の経過とともに記憶と意識が変化することは、ある種やむを得ないことではあるが、福島にこの惨劇から逃れられない人々がおり、決して忘れられない人々がいる。今を生きる我々にとって、「福島を忘れない」ことは、同時代人としての生きる資格ではないだろうか。





※1 福島県浜通り地方
福島県の東部を言い、西を阿武隈高地の尾根線で画し、東で太平洋に面する沿岸地域。西部の会津、中部の中通りとともに、福島県を構成する。

※2 いわき市
福島県内で最大の面積を持つ中核市。福島県浜通りの南部に位置する市。
東北地方で最も工業製造品出荷額が多い工業都市であり、東北地方で最も集客力のあるリゾート施設スパリゾートハワイアンズを筆頭に、アクアマリンふくしま、いわき湯本温泉など多彩な観光資源を持つ。観光客数は福島県内第1位、東北地方では仙台市に次いで第2位。

※3 小名浜港(おなはまこう)
福島県いわき市小名浜にある港湾のひとつ。福島県最大の港で、県内最大の観光地ともなっている。江戸時代より磐城平藩の年貢米積出港。常磐炭鉱の発見により、商港として明治、大正から昭和初期にかけ整備され、発展を続ける。

※4 双葉町
福島県浜通り中部にある町。東日本大震災では、町内で震度6強を観測した。
福島第一原子力発電所の5号機と6号機が立地している。1号機から4号機までは隣接する大熊町に立地。
福島第一原子力発電所事故の影響に伴い、3月19日以降は町役場を埼玉県内に移転していたが、2013年6月17日以降町役場をいわき市に移転した。
2013年(平成25年)5月28日 - 町域が、「帰還困難区域」と「避難指示解除準備区域」の2つに再編された。 日中の立ち入りが許される「避難指示解除準備区域」に指定されたのは沿岸部の3地区、町の4%に過ぎず、残り96%の地域は「帰還困難区域」に指定されており、除染と瓦礫撤去作業に携わる作業員以外の一般住民は一時帰宅を含めた町内への立ち入りが制限されている。


取材者

日本歯科技工士会常務理事 岩澤毅

福島県歯科技工士会会長 橋本達郎

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