オモロかったあの頃!!

~ナニワ少年ヒストリー~   HN アキラ

バトル柔道2

2016-09-11 17:06:37 | スポーツ
プロレスでバトルロイヤルというのを
ご存知ですか?

レスラーがリングに10人ぐらい入って
みんなで戦うのですが

その柔道番が「バトル柔道」です
先生はこれで、優勝したら平常点10点やろうと、僕らをあおります

先生のさあ戦え!!」という言葉で開始です。

隣の人間といきなり組み合い乱戦になっています。

僕は地道に隣の人間を投げていきました
次第に2組対3組の様相を呈しています。

強そうな奴には
「あいつ強いぞ、かかれー」
同じクラスのKが喚きます。

すると、一斉にどっとかかるのです。

残り8人まで残ったでしょうか?
「これは、優勝できるんと違うか?」
思った瞬間、Kが
アキラ、強いぞ、かかれーと言いました。

5人ぐらいに一斉にかかられ
まるで、お神輿のように担ぎ上げられ

「俺は、神輿ちゃうぞ~」
と思いながらも場外に投げられる瞬間
同じなら2,3人道連れにしたる」と

2人の肩を思いきり掴み引きました。
僕と、2人が場外に出されました

その後、残り3人になった際に
Kは横の人に俺と組んでアイツ先に出そうぜ

と、相変わらずセコイ作戦を立てています。

そして、
Kは2対1で場外に背を向ける相手を押し出す瞬間
な・なんと、共闘を頼んだ相手諸共押し出し優勝

最後までセコイ手口で優勝して
平常点10点を獲得しました

これが、巷で噂のバトル柔道でした
チャンチャン

バトル柔道1

2016-09-10 18:17:31 | スポーツ
今日は、高校時代のバトル柔道について話します。
これは高校入学すぐの柔道の時間の話です。

1回目の授業で7対7の相撲勝負があり
僕も選ばれました。

身体の大きい相手を柔道の帯を持って
上手投げで豪快に投げ飛ばし

先生から柔道部にスカウトされましたが、
丁重に断りました

2回目の授業で担当の海坊主のような
柔道の先生から

「今日はバトル柔道をするぞ!!」

と言われました。

「何のこっちゃ?」と思いましたが

その恐ろしいネーミングに不安を覚えましたが
先生が言うには
我々2、3組男子全員(約40人)が
柔道の四角い線の中に入り

柔道の技で戦うのです。

・場外に出されても負け
・背中やお尻が畳についても負け
・複数対1でも可

と、かなり無茶苦茶な内容です。

さあ~一体どうなってしまうのか~~

続きは次回へ




鬼監督現る4

2016-02-15 21:51:35 | スポーツ
5年前、子どもを連れて学校の夜店に連れて行くと
そこにS監督が屋台の番をしていました。


子どもを連れて声をかけると
すぐに思い出してくれ

おおー久しぶりやな!元気にしてたか?」

と答えてくれました。

かつてのパンチパーマにサングラスから
白髪交じりの普通のメガネになって
いいお爺ちゃんになっていました。

監督は「あの頃、オモロかったなー」
と言ってました。
全盛期の監督はフルスロットルで突っ走っていたんでしょう

僕の子どもに優しく声をかけながら
まだ、あの角の家に住んでんのか?」
と言ってくれました。

かつて、よくズル休みしては野球仲間3人と家で遊んでました。
練習後に監督が家を訪ねてくるんです。

3人+オカンに説教かまされるんです

監督が帰ってから僕らは

しかし、なんでここにいるってわかったんや?」

と言ってるとオカンは

そら、わかるがなあんたらの自転車3台とまってるやん

と言われました

今思うとホンマにアホ丸出しでした

でも、監督もまだ家覚えてたんですね~

監督に子どもを見せれて嬉しかったです

色々あったけど‥
ホンマ良い時代でした

鬼監督現る3(少年野球編)

2016-02-15 18:55:20 | スポーツ
鬼監督の恐怖に萎縮したチームはよく負けて
ビクトリー=勝利 のはずでしたが

他のチームからは

あいつら、負けトリーやんけ!!」

と言われる始末でした

S監督は、その後も少年だけではなく学童の子どもにも
容赦なく手をあげていたのですが

ついに、保護者からクレームが出て
辞任せざるをえなくなりました

一瞬、嬉しかった反面、何か物足りなくも思えました

次の監督はコーチが繰り上がりましたが
空気は緩んで試合にはやはり勝てませんでした・・・
その後、引退となりましたが

30歳になり、当時のチームメイトと飲みに行った際、
一人の友達が言ってました。

「最近、あのSのオッサンによう会うねん
今は仲ええねんでようしゃべるしな
今思うたらあのオッサン偉いで
俺らのために毎週土日潰して
練習に付き合ってくれて
中々あんなに一生懸命でけへんで
あのオッサンホンマ凄いわ」

と今になって、
みんな鬼監督の凄さに気づいたのでした
みんな、いい年齢になり結婚し子どもを持って
今だから理解できるものがあったのでした

ヤンチャなメンバーばかりだったあのチームは
やはりS監督だったからこそまとめることができたと思います

次回へ

鬼監督現る2(少年野球編)

2016-02-13 17:46:35 | スポーツ
鬼監督と異名をとるS監督は
試合中でも選手のプレーが気に入らないと容赦なく叩くので

いつ監督に怒られるんじゃないかと思うと
恐怖で萎縮したプレーになって、
鬼監督に激怒されるという悪循環でした。


結果、練習ではできていることが試合ではできない
という感じで試合では負け続けでした

僕らが中1の時には
中3にY兄弟という双子のヤンキー兄弟がいました
背が高くイケメンで、兄は芸能プロダクションに
2次審査まで合格したそうです。

兄はキャプテンで捕手。
弟はエースという主力選手でした。

ギャグは冴えてめちゃオモロくていかつい兄弟でしたが
学校ではナンバー3、4という顔役でした

たまに、僕ともう一人の友達がY兄弟の家まで
自転車で二人乗りで送るということがありましたが
家の前にはすでにY兄弟のツレのヤンキー軍団が
20人位集合しています

カラスマスクやウンコ座りでたむろしている真ん中を
「誰やねん?こいつ」という目で見られる中を
自転車でおくり届けるのです。

心臓バクバクでした


8月のある日、Y兄弟の兄が声を出さないという理由で
監督から金属バットでドツカレました

珍しく不快感をあらわにするY兄。
どうなるのか?」
ドキドキしていると金属バットでボコボコにされました

こんなん、やっとれんわ

と怒って帰って行きました

Y兄弟の兄はその後、4ヶ月練習には来ませんでしたが、
S監督が手を打ったのか再び来るようになりました。



不器用なS監督は口がうまくありませんでしたが
ある日、誰かのミスでいつもなら大暴れのはずが
その日に限って静かな口調で

いいか、よく聞けわしがお前らを叱るのは期待してるからや。
期待してなかったら放っとくぞ。こんなしんどいこと

と言いました。

いつもなら、血の雨が降るところを静かな口調だったので
余計に印象に残りました。

子どもを持ち、
年をとった今なら監督の言葉がよくわかります。
鬼監督も苦労しながら指導してたんやなと。


(次回へ続く)