1993年6月1日 BS放映
1987年 トニー賞授賞式でのスピーチ
1962年 TV ギャリー・ムーアショー
曲 ダンシン・マン
ボブ・フォッシー&グエン・ヴァードン
1950年 TV あなたのヒットパレード
ボブ・フォッシー&ナイルズ(最初の奥さん)
1949年 TV THE MOREY AMUSTERDAM SHOW
1951年 TV THE COLGATE COMEDY HOUR
1950年 TV ジョージ・バーンズ&グレイシー・アレンショー
2度目の結婚 ジョーン・マクラケン
23歳 MGMのスクリーンテスト
かつらがいるなと言われ、傷ついた。
MGMスタジオで、フレッド・アステアが、近づいてあいさつしてくれた。
(間違って名前を言われた)
心臓が飛び出しそうだった。
1951年 TV カバルゲート・オブ・スターズ
グエン・ヴァードンのコメント
ボブ・フォッシーは、ダンサーとしての限界を口にしていた。
1953年 映画「やんちゃな学生」
1953年 映画「GIVE A GIRL A BREAK」
デビー・レイノルズと共演
1953年 映画「キス・ミー・ケイト」
キャロル・ヘイニーとのダンスシーン(振付させてもらえた)
1955年 映画「マイ・シスター・アイリーン」
トミー・ロール(本物のバレエダンサーとの共演で、喜んでいた)
1957年 映画「パジャマ・ゲーム」
グエン・ヴァードンのコメント
ボブ・フォッシーの踊りのスタイルは、欠点から生まれた。
猫背だったので、背中を丸めて踊ったり
髪が薄くなったので、帽子を多用したり
バレエのターンアウトができず内股で踊ったり
すべて僕の体の欠点の所産さ
完璧に生まれなくて感謝している。
最初に大きく影響を受けたのは、
バランシンの群舞の構成とパターン
ジェローム・ロビンスにも傾倒していました。
1958年 映画「くたばれ!ヤンキース」
グエン・ヴァードンとの共演映画
1987年10月30日 ボブ・フォッシー追悼式より
ニール・サイモン(作家)のスピーチ
1959年 舞台「レッドヘッド」のときグエン・ヴァードンと結婚
トニー賞振付賞受賞
1963年 一人娘 ニコルが生まれグエン・ヴァードンは、
3歳まで仕事を離れた。
1966年 舞台 スイート・チヤリティ
トニー賞振付賞受賞
ブロードウェイで当たって、映画化の話がきた。
映画における限界は、監督自身の技量で決まる。
1969年 映画「スイート・チヤリティ」
1972年 映画「キャバレー」
ビリー・ワイルダー&ジーン・ケリーが断ったので、話がきた。
アカデミー監督賞受賞
1972年 舞台 ピピン
興行成績が悪くて、プロデューサーがテレビ広告を思いついた。
撮影も編集もボブ・フォッシーが手がけた。
これが当たり、6年半上演された。
トニー賞演出賞&振付賞受賞
1972年 TV LIZA,WITH A Z
エミー賞受賞
1974年 映画「レニー・ブルース」
グエン・ヴァードンのコメント
映画「星の王子さま」の仕事の話を娘のニコルにすると娘は、
その話が大好きで、引き受けなくちゃと言いました。
ボブ・フォッシーのくちぐせは、気がついたらアフリカさ
ニコル・フォッシーのコメント
1979年 映画「オール・ザット・ジャズ」
アン・ラインキング&E・フォルディ
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1975年 舞台 シカゴ
1978年 舞台 ダンシン
トニー賞振付賞受賞
ミュージカルの枠に収まり切れない踊りを集めて、
作品にするという構想は長い間温めていた。
1983年 映画「スター80」
最後の映画は、女性を商品化することへの怒りと抗議を表明した物。
(実話の映画化)
1986年 舞台 ビッグ・ディール
トニー賞振付賞受賞
グエン・ヴァードンのコメント
ブロードウェイ最後となったこの作品のテーマは、
彼自身の事でした。
小さな男が困難にもめげず懸命に前へ進もうとします。
舞台は彼が若い頃のシカゴで、当時の歌を実際に用いました。
これは今までとは全く違う激しいリズムが主体となった作品。
ダンサーたちはまるで、ドラム奏者さ
踊りに強いアクセントを要求したからね。
プロデュース&監督 JUDY KINBERG
1990年制作