アルのエンタテイメント・ワールド

ミュージカル/映画/旅行/その他

スタンリー・ドーネン

2008年06月26日 | エンタテイメント

第70回アカデミー賞名誉賞受賞
1998年3月23日
1998年3月24日 BS放映

プレゼンター マーティン・スコセッシ

サウスカロライナの少年が、
「空中レビュウ時代」を見てダンスレッスンを受ける(9歳)
(16歳)高校卒業して、ブロードウェイのコーラスの一員になる。
ジーン・ケリーと出会い、
ジーン・ケリーの助手としてハリウッドに行く。
のちに共同監督になる。
30年間監督・製作者として活躍。

代表作の映像が、スクリーンに映される。

「パリの恋人」
「雨に唄えば」
「踊る大紐育」

「恋愛準決勝戦」
「いつも二人で」
「シャレード」

「ラッキー・レディ」
「パジャマ・ゲーム」
「いつも上天気」
「掠奪された七人の花嫁」など。
マーティン・スコセッシよりオスカーを受け取るスタンリー・ドーネン


私の気持ちはとても言葉では言い尽くせません。
ですからミュージカルのように歌に託して歌います。
オスカー像に頬よせて、
曲チーク・トウ・チーク
そして少しタップします。

監督として成功する秘訣を教えましょう。

脚本はラリー・ゲルバート&リタ・ストーン&フレデリック・ラファイル

ミュージカルを作るなら、
ジョージ&アイラ・ガーシュイン
アーサー・フリード&レナード・バーンスタイン&コムデン&グリーン
アラン・J・ラーナー&フレデリック・ロウ

スターは、オードリー・ヘップバーン&ジーン・ケリー
ソフィア・ローレン&リチャード・バートン&
グレゴリー・ペック&エリザベス・テーラー&
ジーン・ハックマン&フランク・シナトラなどを持ってくる。

撮影が始まったら、撮影所に来ます。
そしてみんなのじゃまにならないようにします。
でも撮影現場に顔を出さないと
監督としてオスカーの栄誉を受ける事は、出来ませんよね。

どうもありがとう。

第24回ケネディ・センター名誉賞 2001年

2008年06月19日 | エンタテイメント

2001年12月26日 アメリカ CBS TV

ブッシュ大統領のスピーチ

ホスト ウォルター・クロンカイト

5名の受賞者
バン・クライバーン
ジャック・ニコルソン
ジュリー・アンドリュース
ルチアーノ・パバロッティ
クインシー・ジョーンズ


(ジュリー・アンドリュースのみ紹介します)

ジャック・ニコルソン&ジュリー・アンドリュース&ルチアーノ・パバロッティ

キャロル・バーネットのスピーチ

キャロル・バーネットの歌 曲 オールド・フレンド

スライド写真&映像が映し出されます。

舞台 ボーイフレンド


舞台 マイ・フェア・レディ

TV キャメロット
映画「メリー・ポピンズ」
アカデミー賞授賞式の受賞スピーチ
映画「サウンド・オブ・ミュージック」
映画「スター!」
映画「ビクター・ビクトリア」
舞台 ビクター・ビクトリア
パトリック・ウイルソンの歌 「マイ・フェア・レディ」より

クリスティン・チェノウェスの歌 「メリー・ポピンズ」より

ロバート・グウレットの歌 「キャメロット」

オードラ・マクドナルドの歌 「マイ・フェア・レディ」より

ジェレミー・アイアンズの歌 「マイ・フェア・レディ」より

レベッカ・ルーカーの歌 「サウンド・オブ・ミュージック」より

オードラ・マクドナルド&ジェレミー・アイアンズ&キャロル・バーネット




ボブ・フォッシー スチーム・ヒート

2008年06月08日 | エンタテイメント


1993年6月1日 BS放映
1987年 トニー賞授賞式でのスピーチ

1962年 TV ギャリー・ムーアショー
曲 ダンシン・マン 
ボブ・フォッシー&グエン・ヴァードン

1950年 TV あなたのヒットパレード
ボブ・フォッシー&ナイルズ(最初の奥さん)

1949年 TV THE MOREY AMUSTERDAM SHOW
1951年 TV THE COLGATE COMEDY HOUR
1950年 TV ジョージ・バーンズ&グレイシー・アレンショー

2度目の結婚 ジョーン・マクラケン

23歳 MGMのスクリーンテスト
かつらがいるなと言われ、傷ついた。

MGMスタジオで、フレッド・アステアが、近づいてあいさつしてくれた。
(間違って名前を言われた)
心臓が飛び出しそうだった。

1951年 TV カバルゲート・オブ・スターズ

グエン・ヴァードンのコメント
ボブ・フォッシーは、ダンサーとしての限界を口にしていた。

1953年 映画「やんちゃな学生」

1953年 映画「GIVE A GIRL A BREAK」
デビー・レイノルズと共演

1953年 映画「キス・ミー・ケイト」
キャロル・ヘイニーとのダンスシーン(振付させてもらえた)

1955年 映画「マイ・シスター・アイリーン」
トミー・ロール(本物のバレエダンサーとの共演で、喜んでいた)

1957年 映画「パジャマ・ゲーム」

グエン・ヴァードンのコメント
ボブ・フォッシーの踊りのスタイルは、欠点から生まれた。
猫背だったので、背中を丸めて踊ったり
髪が薄くなったので、帽子を多用したり
バレエのターンアウトができず内股で踊ったり
すべて僕の体の欠点の所産さ
完璧に生まれなくて感謝している。

最初に大きく影響を受けたのは、
バランシンの群舞の構成とパターン
ジェローム・ロビンスにも傾倒していました。

1958年 映画「くたばれ!ヤンキース」
グエン・ヴァードンとの共演映画

1987年10月30日 ボブ・フォッシー追悼式より
ニール・サイモン(作家)のスピーチ

1959年 舞台「レッドヘッド」のときグエン・ヴァードンと結婚
トニー賞振付賞受賞

1963年 一人娘 ニコルが生まれグエン・ヴァードンは、
3歳まで仕事を離れた。

1966年 舞台 スイート・チヤリティ
トニー賞振付賞受賞

ブロードウェイで当たって、映画化の話がきた。
映画における限界は、監督自身の技量で決まる。
1969年 映画「スイート・チヤリティ」

1972年 映画「キャバレー」
ビリー・ワイルダー&ジーン・ケリーが断ったので、話がきた。
アカデミー監督賞受賞

1972年 舞台 ピピン
興行成績が悪くて、プロデューサーがテレビ広告を思いついた。
撮影も編集もボブ・フォッシーが手がけた。
これが当たり、6年半上演された。
トニー賞演出賞&振付賞受賞

1972年 TV LIZA,WITH A Z
エミー賞受賞

1974年 映画「レニー・ブルース」

グエン・ヴァードンのコメント
映画「星の王子さま」の仕事の話を娘のニコルにすると娘は、
その話が大好きで、引き受けなくちゃと言いました。
ボブ・フォッシーのくちぐせは、気がついたらアフリカさ

ニコル・フォッシーのコメント

1979年 映画「オール・ザット・ジャズ」
アン・ラインキング&E・フォルディ

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1975年 舞台 シカゴ

1978年 舞台 ダンシン
トニー賞振付賞受賞
ミュージカルの枠に収まり切れない踊りを集めて、
作品にするという構想は長い間温めていた。

1983年 映画「スター80」
最後の映画は、女性を商品化することへの怒りと抗議を表明した物。
(実話の映画化)

1986年 舞台 ビッグ・ディール
トニー賞振付賞受賞
グエン・ヴァードンのコメント
ブロードウェイ最後となったこの作品のテーマは、
彼自身の事でした。
小さな男が困難にもめげず懸命に前へ進もうとします。
舞台は彼が若い頃のシカゴで、当時の歌を実際に用いました。
これは今までとは全く違う激しいリズムが主体となった作品。
ダンサーたちはまるで、ドラム奏者さ
踊りに強いアクセントを要求したからね。

プロデュース&監督 JUDY KINBERG

1990年制作