『ミラクルクリエーターのパーソナルヒストリー~その2』
こんばんは。
ミラクルクリエーターです。
さてさて、もう一回告知させていただきますね。
22日(月)11時からの、無料遠隔セッション
ガイアとテラのヒーリングセッションにはお申し込みいただき
ましたでしょうか?
まだの方、ぜひぜひこのチャンスに
このブログの、左カラム、最新の記事欄の
”ミラクルクリエーターの無料ヒーリングセッション”
のコメント欄よりコメントを送って、参加表明ください。
もしくは、shinjikaneko3580@ezweb.ne.jp
まで、お申し込みいただいてもOKです。
さて、前回から遂に本邦初公開、
ミラクルクリエーターのパーソナルライフ(履歴書)を
全面公開、
第一回目はいかがでしたでしょうか。
いや~
自分のことを語るのは思った以上に
こっぱ恥ずかしいものですネ。
でも、
真理に到達しようとミラクルクリエーターが
これまで生きてきた軌跡を
みなさんにお伝えすることで、少しでも
皆さんのなかから、
こんな人間でもここまで到達できるのなら
俺にも、私にもできるんじゃないか、
なんて、ぜひそう思っていただきたいんですね。
それが、このミラクルクリエーターに与えられた
大げさですが、ある種、天命かな、と。
というわけで、前回の続きから。
ミラクルクリエーターの幼年時代。
ものごごろついた時から異常なこわがりだった
ミラクルクリエーターですが、今考えると、そのように守護霊さんから
仕向けられていたようです。
もともと、エンパス体質(人の考えていることはこのころから
すぐにわかる、なので相手の想念を受けやすい体質)だったので
三次元での生活をバランスできるように、こわがることを表に出すことで
あまり、そっちの霊的なほうに行かせないように調整されていたと。
さて、小学校時代はほんとにおもしろかったですね。
なんせ、毎日友人とドッジボールに砂場での相撲取り
家に帰ってまた、ソフトボール、キャッチボールや魚取り、釣り。
学校以外で勉強した記憶ゼロ。
またなんせ、滋賀県のかた田舎、関西の東はじですが
関西文化圏のまっただ中、おもしろないと、学校やない、
くらいの精神があふれていた時代でした。まだ。
先生もまだまだいい先生もいっぱいいたような気がしてます。
今から思うと。
そんなこんなで小学校4年時、担任の先生が変わります。
はじめて男のT先生に。この先生戦争孤児であることを
最初に告げ、やおら黒板に難しいことを書き出す。
”自主性”
君たちはもう大人なので、先生は君たちをそのように扱う。
ただし、自主性にまかせるからには自己責任。
これ、小学校の4年生生徒に言った言葉。
この言葉すっかりやられたミラクルクリエーター、以来この先生を
尊敬し、教師の鏡と思ったものです。
でも厳しいときはとても厳しく、ビンタされたことも一度二度では
ありません。しかし、愛が溢れていれば、子供はわかるんですね。
みんなこの先生が大好きでした。(その後、体罰教師として閑職に
追いやられたと聞き、やっぱり今の教育システム間違ってますネ)。
このときに、このT先生、しょっちゅう私に時事問題の意見を聞いてくれました。
おかげ様で、エンパス体質から、三次元世界への現実適応を促してくれた。
感謝感謝です。
そして、爆笑、愉快の小学校を卒業、滋賀県立守山中学へ。
この中学、市にひとつしかない、マンモス中学、クラスは学年12クラス
一学年で530人もいた。
実はここでもミラクルクリエーター、毎年級長、おまけに3年時は
生徒会の役員など、表の顔は華々しかったのですが、
やっぱり、ここでも人種差別・いじめの事件は何回かありました。
このころは多感なので、信頼していた友人に差別発言されたときは
かなりショックでしたが、まあ、若気の至りの売り言葉に買い言葉みたいなことも
あったので、私にも大いに反省するところありました。もう中学生ですからね。
今はやっぱりどう考えても
”天がその人物を測うるに、まずやその身体を苦しめ、その心魂を苦しめ、、”
(でしったっけ?)の易経にある一節ではないか、と。
また、自分に少しでもエゴがある行動があると、とたんについてくる者が
離反する、リーダー学も学ばされていたように思いますですネ。
このころ、結構ミラクルクリエーターもててまして、部活は卓球部で主将、
告白されたことが数回、いや、しかし、告白されるのも恥ずかしいもんですよ。
女性はみんなの前で告くるんですから、勇気ありますね~
実は、ミラクルクリエーター、このころバレー部のセッターやってた同級生に初恋。
以外と奥手です。
もちろん、恥ずかしくて、こわくて、告白なんかできません(笑)
(その後、高校生のときに電話告白して、せいせいして、なんか好き、という
感情まで、すっきりなくなったのはびっくりしましたが(^_^;))
高校は、滋賀県立膳所高校。文武両道の進学校。ここでもがり勉はしたことなく
塾に行くこともなく。やっぱりがき大将体質は直らなくて、午後の武道授業中に
剣道のお面が臭くてかぶるのがイヤで、(夏の暑い日でした)、
友人とトイレで煙草吸って、あやうく停学処分になるところ、なんていうのも。
(親呼び出され、膳所藩から続く藩校の歴史はじまって以来の不祥事!といわれる)
まあ、そんなこんなで、高校は相変わらず部活と学校でばたんきゅー
3年途中まで部活やったら、周りはみんな受験モード、あわてて受験勉強に
突入し。そして無事現役で国立大学に合格できた。なんか、このころは
恐ろしく順調で、なにも怖いものなし。
事実、大学入学後も飛ぶ鳥落とす勢いで遊びまくり、
朝大学校門の前で、友人みつけては、麻雀三昧、夏はテニス合宿
(軽井沢!)、冬はスキーの山篭り(八方尾根、栂池)。
夜な夜なディスコ(昔はこう呼んでましたよね、お父さんお母さん!)
繰り出して一夜を明かすのはしょっちゅう。
えっ、スピリチャルボーイのかけらがどこにもないって?
その通りなんです。
ここから、社会人になって、結婚、アメリカ駐在をし、30歳の冬を
迎えるまでは。スピリチュアルのかけらもありません。
むしろ、宗教的なものをばかにしてましたですね。無神論者、とか言って。
ただ、なぜか、神社仏閣だけにはこころが常に惹かれていて、
小学生の遠足で行った、近隣の有名神社などはそのあともなぜか参拝に行ったり、
バス旅行で行った、大津三井寺(小二)、奈良東大寺(小三)、伊勢神宮(小六)
奈良法隆寺、唐招提寺(中二)などなどは、仏像の前で足が凍りついたり、
参拝すると足が止まって動けなることがしょっちゅうありました。
これなども、今から考えると、自己の本性(魂)が覚えていたんだなぁ、と。
と、青春時代は、三次元の罠にどっぷりと浸かりきっていた
ミラクルクリエーターでした。そこでついに”鉄槌”が下ります。
この話は次回。
何かの参考になれば幸いです。
ミラクルクリエーター
※意識変容とは?に関するお問い合わせ、またはこのブログトップページの意識変容に関するセッションへのお申し込み、お問い合わせのある方は、こちらにご連絡いただければ、折り返しご案内をさせていただきます。
shinjikaneko3580@ezweb.ne.jp
こんばんは。
ミラクルクリエーターです。
さてさて、もう一回告知させていただきますね。
22日(月)11時からの、無料遠隔セッション
ガイアとテラのヒーリングセッションにはお申し込みいただき
ましたでしょうか?
まだの方、ぜひぜひこのチャンスに
このブログの、左カラム、最新の記事欄の
”ミラクルクリエーターの無料ヒーリングセッション”
のコメント欄よりコメントを送って、参加表明ください。
もしくは、shinjikaneko3580@ezweb.ne.jp
まで、お申し込みいただいてもOKです。
さて、前回から遂に本邦初公開、
ミラクルクリエーターのパーソナルライフ(履歴書)を
全面公開、
第一回目はいかがでしたでしょうか。
いや~
自分のことを語るのは思った以上に
こっぱ恥ずかしいものですネ。
でも、
真理に到達しようとミラクルクリエーターが
これまで生きてきた軌跡を
みなさんにお伝えすることで、少しでも
皆さんのなかから、
こんな人間でもここまで到達できるのなら
俺にも、私にもできるんじゃないか、
なんて、ぜひそう思っていただきたいんですね。
それが、このミラクルクリエーターに与えられた
大げさですが、ある種、天命かな、と。
というわけで、前回の続きから。
ミラクルクリエーターの幼年時代。
ものごごろついた時から異常なこわがりだった
ミラクルクリエーターですが、今考えると、そのように守護霊さんから
仕向けられていたようです。
もともと、エンパス体質(人の考えていることはこのころから
すぐにわかる、なので相手の想念を受けやすい体質)だったので
三次元での生活をバランスできるように、こわがることを表に出すことで
あまり、そっちの霊的なほうに行かせないように調整されていたと。
さて、小学校時代はほんとにおもしろかったですね。
なんせ、毎日友人とドッジボールに砂場での相撲取り
家に帰ってまた、ソフトボール、キャッチボールや魚取り、釣り。
学校以外で勉強した記憶ゼロ。
またなんせ、滋賀県のかた田舎、関西の東はじですが
関西文化圏のまっただ中、おもしろないと、学校やない、
くらいの精神があふれていた時代でした。まだ。
先生もまだまだいい先生もいっぱいいたような気がしてます。
今から思うと。
そんなこんなで小学校4年時、担任の先生が変わります。
はじめて男のT先生に。この先生戦争孤児であることを
最初に告げ、やおら黒板に難しいことを書き出す。
”自主性”
君たちはもう大人なので、先生は君たちをそのように扱う。
ただし、自主性にまかせるからには自己責任。
これ、小学校の4年生生徒に言った言葉。
この言葉すっかりやられたミラクルクリエーター、以来この先生を
尊敬し、教師の鏡と思ったものです。
でも厳しいときはとても厳しく、ビンタされたことも一度二度では
ありません。しかし、愛が溢れていれば、子供はわかるんですね。
みんなこの先生が大好きでした。(その後、体罰教師として閑職に
追いやられたと聞き、やっぱり今の教育システム間違ってますネ)。
このときに、このT先生、しょっちゅう私に時事問題の意見を聞いてくれました。
おかげ様で、エンパス体質から、三次元世界への現実適応を促してくれた。
感謝感謝です。
そして、爆笑、愉快の小学校を卒業、滋賀県立守山中学へ。
この中学、市にひとつしかない、マンモス中学、クラスは学年12クラス
一学年で530人もいた。
実はここでもミラクルクリエーター、毎年級長、おまけに3年時は
生徒会の役員など、表の顔は華々しかったのですが、
やっぱり、ここでも人種差別・いじめの事件は何回かありました。
このころは多感なので、信頼していた友人に差別発言されたときは
かなりショックでしたが、まあ、若気の至りの売り言葉に買い言葉みたいなことも
あったので、私にも大いに反省するところありました。もう中学生ですからね。
今はやっぱりどう考えても
”天がその人物を測うるに、まずやその身体を苦しめ、その心魂を苦しめ、、”
(でしったっけ?)の易経にある一節ではないか、と。
また、自分に少しでもエゴがある行動があると、とたんについてくる者が
離反する、リーダー学も学ばされていたように思いますですネ。
このころ、結構ミラクルクリエーターもててまして、部活は卓球部で主将、
告白されたことが数回、いや、しかし、告白されるのも恥ずかしいもんですよ。
女性はみんなの前で告くるんですから、勇気ありますね~
実は、ミラクルクリエーター、このころバレー部のセッターやってた同級生に初恋。
以外と奥手です。
もちろん、恥ずかしくて、こわくて、告白なんかできません(笑)
(その後、高校生のときに電話告白して、せいせいして、なんか好き、という
感情まで、すっきりなくなったのはびっくりしましたが(^_^;))
高校は、滋賀県立膳所高校。文武両道の進学校。ここでもがり勉はしたことなく
塾に行くこともなく。やっぱりがき大将体質は直らなくて、午後の武道授業中に
剣道のお面が臭くてかぶるのがイヤで、(夏の暑い日でした)、
友人とトイレで煙草吸って、あやうく停学処分になるところ、なんていうのも。
(親呼び出され、膳所藩から続く藩校の歴史はじまって以来の不祥事!といわれる)
まあ、そんなこんなで、高校は相変わらず部活と学校でばたんきゅー
3年途中まで部活やったら、周りはみんな受験モード、あわてて受験勉強に
突入し。そして無事現役で国立大学に合格できた。なんか、このころは
恐ろしく順調で、なにも怖いものなし。
事実、大学入学後も飛ぶ鳥落とす勢いで遊びまくり、
朝大学校門の前で、友人みつけては、麻雀三昧、夏はテニス合宿
(軽井沢!)、冬はスキーの山篭り(八方尾根、栂池)。
夜な夜なディスコ(昔はこう呼んでましたよね、お父さんお母さん!)
繰り出して一夜を明かすのはしょっちゅう。
えっ、スピリチャルボーイのかけらがどこにもないって?
その通りなんです。
ここから、社会人になって、結婚、アメリカ駐在をし、30歳の冬を
迎えるまでは。スピリチュアルのかけらもありません。
むしろ、宗教的なものをばかにしてましたですね。無神論者、とか言って。
ただ、なぜか、神社仏閣だけにはこころが常に惹かれていて、
小学生の遠足で行った、近隣の有名神社などはそのあともなぜか参拝に行ったり、
バス旅行で行った、大津三井寺(小二)、奈良東大寺(小三)、伊勢神宮(小六)
奈良法隆寺、唐招提寺(中二)などなどは、仏像の前で足が凍りついたり、
参拝すると足が止まって動けなることがしょっちゅうありました。
これなども、今から考えると、自己の本性(魂)が覚えていたんだなぁ、と。
と、青春時代は、三次元の罠にどっぷりと浸かりきっていた
ミラクルクリエーターでした。そこでついに”鉄槌”が下ります。
この話は次回。
何かの参考になれば幸いです。
ミラクルクリエーター
※意識変容とは?に関するお問い合わせ、またはこのブログトップページの意識変容に関するセッションへのお申し込み、お問い合わせのある方は、こちらにご連絡いただければ、折り返しご案内をさせていただきます。
shinjikaneko3580@ezweb.ne.jp