あまねこブログ

守護天使のメッセージを降ろし、お手紙でお届けします✽あまねこ占✼心里遇ころりの見えない世界スピリチュアルな日常ブログ

光の射すほうへ⑩

2024-05-23 22:53:00 | 見えない世界
自己紹介は「ごあいさつ」
の記事に書いております。
ご一読の上お読みいただけますと
お話しが解りやすいと思います。
☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆


私にとって「見える世界」は
「孤独感」「不安」「怖れ」の
3大ネガティブ要素との
闘いではじまった。

いつも緊張状態にあり、
10歳に満たないうちから
心の休まるときはなくなっていた。

それでもなんとか成長を続けた。
但し基本的に自分について、
「私は悪い人間だ」という
概念が植え付けられており、
自己肯定感の低さは
マイナスに振り切れていた。

小学生になり、「この人」以外の
大人の価値感と触れ合う場面もあった。

人それぞれに私への接し方が
異なることに気付き、戸惑った。
どう対処してよいのかわからない。
苦痛だった。
家では「はい」だけ言っていれば
事が済んだ。
自分の気持ちを表に現せば
叩きのめされてしまうだけだから。
「はい」以外喋らないのは我ながら
得策だし楽だった。

「この人」の抑圧のおかげで、
社会の中の様々なシーンでは
「大人しい子ね〜」
「しっかりした子ね」
「キチンとしてるわね」
と評されることが多かった。
実際のところ、単に
自分を出せないだけだった。
いや、自分を曝け出すことを
封印せざるを得なかっただけだった。

このギャップの狭間で苦しんだ。

人に褒められるのが苦手になった

何を褒められても
心からそう思ってはいないだろう?
という猜疑心で大人を見るようにるので
やめてほしかった。

「この人」にとっては
この子育ては成功モデルだと
満を持していたと思われる。
「この人」の成功事例が増えるほど
こちらは逆にしんどくなった。

そうして益々、空想に逃げ込んだ。
「私の本当のお父さんとお母さんはね、
お空の上にいて、いつか私を迎えに来て
くれるんだよ。」
と、自分に向かって呟いていた。

呟きながら見えてくるイメージは
ゴールドがかったサンドベージュの建物。
この世で見るタイプとは異なるが
「お城」のイメージだった。
シンデレラ城のようなものではなく
四角い建物が幾つか重なったもので、
イメージが近いとすればモロッコとか
中東辺りの風景に見える。
(行ったことはありませんが)
更に、もっと成長した後に見た
映画スター・ウォーズの世界が
少し近い雰囲気だった。

そこに、建物と同色の
お父さんとお母さんと思しき
人の姿が浮かんで見えた。

そうした、空想に逃げ込む事を
続けるうちに「この人」に
「お前は私の子どもではない」
と言われても、そりゃ〜そうだよね~
と思うようになり、いつの間にか
割り切って暮らすようになっていた。

なので、あまり血縁であるとか
親戚、一族、といった
コミュニティ意識には執着が無かった。
興味も持てなかった。

血が繋がっているから
何をやってもカワイイし許される
だとか、
血が繋がっていないから
やっぱりアイツは変わり者で悪者
だとか、
そういう目盛りで良し悪しを推し量る
「この人」的教育であったが、
私には、ちっとも賛成出来なかった。

「お前は私の子どもではない」
と言われて、そりゃ〜そうだよね~
と、受け入れた時から
何かが1つ楽になった。

これはこれで、1つの学びを
クリアしたということかもしれない。
ただもちろん、まだまだ先は長かった。

一本の糸ほどの細さでも
そこに光が射し込めば
実態はなくても「希望」という
光のEnergyを感じ取ることができた。

光の射すほうへ⑨

2024-05-08 12:22:00 | 見えない世界
自己紹介は「ごあいさつ」
の記事に書いております。
ご一読の上お読みいただけますと
お話しが解りやすいと思います。
☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆


私にとって「見える世界」が
はじまって直ぐのレッスンは
「孤独感」「不安」「怖れ」の
3大ネガティブ要素との闘いだった。

10歳にもならない頃。
既に心休まることはなくなっていた。

「この人」の影響下で暮らすなかでは
言葉を発する機会が少ないため、
不安から気を揉んで、常に頭の中で
グルグル思考を巡らすようになっていた。

※「この人」については古い記事を
お読みいただくと、お話がつながります。


よくわからない自分との闘いは
このようにジワジワと
自分の内面へ侵食していった。

小学校へ上がると、
そのグルグル思考巡りは、
だんだんと空想の世界へ
入っていったようだ。

「痛み」を消化しきれず、
精神的に追い込まれていたのだろうか。
辛さ、苦しさから逃避するように
空想をして、時折、天に向かって
話しかけていた。

と言っても、傍から見れば
独り言をブツブツ言っている
変な子だ。

独りで、お絵描きをしながら
「私の本当のお父さんとお母さんはね、
お空の上にいて、いつか私を迎えに来て
くれるんだよ。」
と、自分に言い聞かせるように
呟いていた。

見る人が見れば、
この子おかしくなった?
大丈夫?
という感じだろう。

私には、天に向かって呟きながら
いつも見えているイメージがあった。
ゴールドがかったサンドベージュの建物に、
同色の、お父さんとお母さんと思しき
人の姿が浮かんで見えた。

自分では空想の世界だと思っていたが、
空想であれ、それは自分が今、
経験している範囲の
「見える世界」中には、
どこにも見当たらない
心地の良さを感じる
唯一安らぐ風景だった。
だから時々、天に向けて
おしゃべりをした。

その時だけは不思議と
遠慮する気持ちも湧かない、
何の気遣いも湧いてこない、
ありのままの自分で居られた。

GWイベント出展のお知らせ

2024-04-25 10:00:00 | 見えない世界




4月29日(月)
スマイルヒーリングラボさんの
イベントに出展します☆
入場は無料
会場全体が和やかな癒し空間。

GW前半! お散歩 寄り道に
ぜひ遊びに来てください☆

4月イベント出展のお知らせ

2024-04-25 00:53:28 | お知らせ
4月29日(月)
スマイルヒーリングラボさんの
イベントに出展します☆
詳細は下記の通りです。
入場は無料
たくさんのブースが出展します。
会場全体が和やかな癒し空間です。
GW前半!お時間のある方
ぜひ遊びに来てください☆



開催 4月29日(月)
時間 11:00 〜 17:00
場所 あすと長町ゼビオアリーナ仙台
ゼビオアリーナ仙台 ·〒982-0007
仙台市太白区あすと長町1丁目4−10


詳しくはスマイルヒーリングラボさんのインスタグラムをご覧下さい☆
スマラボさんのインスタはこちら
スマイルヒーリングラボInstagram

https://www.instagram.com/smilehealinglabo?igsh=bmltZ3UybGM2bTZv




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光の射すほうへ⑧

2024-04-24 08:49:00 | 見えない世界
自己紹介は「ごあいさつ」
の記事に書いております。
ご一読の上お読みいただけますと
お話しが解りやすいと思います。
☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆

「祈りの欠片」

この世に生まれて未だ
ほんの5、6年しか
生きていないのにもかかわらず、
既にハードな学びを経験していた。

その最初のステップは、
「孤独感」「不安」「恐怖」の
3大ネガティブ要素だった。
これらをクリアして、
次のステージへ行くことなど
小学校へ上がる前の幼児には
無理な話しだった。

「神様なんていない」
(少なくとも私には)
何度もそう思った

父は優しい人だった
厳しかったが愛情もあった。

でも、「この人」にされたことを
父に話すことは無かった。
今思えば何故、言わなかったのだろう。
助けを求めることもしなかった。

言わない代わりに態度に表した。
いつも元気がなく、浮かない表情で
ため息をついていた。
「何かあったか?」
そう声をかけてくれるのを
心密かに待っていた。
親の愛を求める最大限のアピールだった。

なんというか、
父も「この人」側の人間なのか?
それとも家庭内秩序を保つために
私には関心を向けないことに
敢えてそうしているのか…?
そのようにして私は、
親の愛情を推し量っていた。
或いは、敵か味方か推し量っていた。
父に対して、何とも醜い心の内である。

この家庭環境下で、世間一般的な
「親子の愛」を求めること自体
浅はかな夢だった。

「この人」にされたことを
父に話さなかった、
もう一つの理由は
「この人」の言う通り、
自分が悪い人間だから、
怒られても仕方ないんだ
と、信じ込んでいたためだ。

父は出張が多かった。
「痛み」を体験するのは
大抵、父の居ないときだった。
父は本当のことを知らないと思った。

幼い頭でグルグル思考が巡る。

父の留守中の「痛み」
を告白することは、イコール
自分の悪い子ぶりを報告して
しまうことになる。
父は家族で唯一人、皆んなと
平等に接してくれる人だった。
もし、父にまで嫌われたら
いよいよ家庭内に居場所が
無くなるのではないか。
そんな不安と恐れを抱いていた。

(この時点で、100%の「安心感」が得られなければ、例え親と云えども心を許すことができなくなっていた。)

そんなふうにして
いつも最悪の事態から
シナリオを考え、
家庭内の秩序が保たれるであろう
結論を導き出す癖が付いていった。
秩序を保つ一番の秘訣は
自ら余計な事は話さないこと。
「黙っていること」
同時にそれが、
自分の身を守るための
方法となっていた。
 
既に、日常の中に
心休まることはなくなっていた。
念の為、まだ
10歳にならない頃だった。