自己紹介は「ごあいさつ」
の記事に書いております。
ご一読の上お読みいただけますと
お話しが解りやすいと思います。
☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆
私にとって「見える世界」は
「孤独感」「不安」「怖れ」の
3大ネガティブ要素との
闘いではじまった。
いつも緊張状態にあり、
10歳に満たないうちから
心の休まるときはなくなっていた。
それでもなんとか成長を続けた。
但し基本的に自分について、
「私は悪い人間だ」という
概念が植え付けられており、
自己肯定感の低さは、
マイナスに振り切れていた。
小学生になり、「この人」以外の
大人の価値感と触れ合う場面もあった。
人それぞれに私への接し方が
異なることに気付き、戸惑った。
どう対処してよいのかわからない。
苦痛だった。
家では「はい」だけ言っていれば
事が済んだ。
自分の気持ちを表に現せば
叩きのめされてしまうだけだから。
「はい」以外喋らないのは我ながら
得策だし楽だった。
「この人」の抑圧のおかげで、
社会の中の様々なシーンでは
「大人しい子ね〜」
「しっかりした子ね」
「キチンとしてるわね」
と評されることが多かった。
実際のところ、単に
自分を出せないだけだった。
いや、自分を曝け出すことを
封印せざるを得なかっただけだった。
このギャップの狭間で苦しんだ。
人に褒められるのが苦手になった。
何を褒められても
心からそう思ってはいないだろう?
という猜疑心で大人を見るようになるので
やめてほしかった。
「この人」にとっては
この子育ては成功モデルだと
満を持していたと思われる。
「この人」の成功事例が増えるほど
こちらは逆にしんどくなった。
そうして益々、空想に逃げ込んだ。
「私の本当のお父さんとお母さんはね、
お空の上にいて、いつか私を迎えに来て
くれるんだよ。」
と、自分に向かって呟いていた。
呟きながら見えてくるイメージは
ゴールドがかったサンドベージュの建物。
この世で見るタイプとは異なるが
「お城」のイメージだった。
シンデレラ城のようなものではなく
四角い建物が幾つか重なったもので、
イメージが近いとすればモロッコとか
中東辺りの風景に見える。
(行ったことはありませんが)
更に、もっと成長した後に見た
映画スター・ウォーズの世界が
少し近い雰囲気だった。
そこに、建物と同色の
お父さんとお母さんと思しき
人の姿が浮かんで見えた。
そうした、空想に逃げ込む事を
続けるうちに「この人」に
「お前は私の子どもではない」
と言われても、そりゃ〜そうだよね~
と思うようになり、いつの間にか
割り切って暮らすようになっていた。
なので、あまり血縁であるとか
親戚、一族、といった
コミュニティ意識には執着が無かった。
興味も持てなかった。
血が繋がっているから
何をやってもカワイイし許される
だとか、
血が繋がっていないから
やっぱりアイツは変わり者で悪者
だとか、
そういう目盛りで良し悪しを推し量る
「この人」的教育であったが、
私には、ちっとも賛成出来なかった。
「お前は私の子どもではない」
と言われて、そりゃ〜そうだよね~
と、受け入れた時から
何かが1つ楽になった。
これはこれで、1つの学びを
クリアしたということかもしれない。
ただもちろん、まだまだ先は長かった。
一本の糸ほどの細さでも、
そこに光が射し込めば
実態はなくても「希望」という
光のEnergyを感じ取ることができた。