自己紹介は「ごあいさつ」
の記事に書いております。
ご一読の上お読みいただけますと
お話しが解りやすいと思います。
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私にとって
残酷な物語ではじまった
「見える世界」のお話し。
4歳の誕生日を迎えたあと、
近所に親戚も見知った顔もない
別の地域へ引っ越した。
ここで、はじめて味わったのは
仄かな「孤独感」
孤独感による「不安」
そして、この後に味わうことになる
「恐怖」
大まかに大別すると、この3つだ。
この世に生まれ落ちて
「見える世界」で、
はじめて経験することが
3大ネガティブ要素だなんて!
「神様なんていない」
(少なくとも私には)
この頃は、そう思っていた。
ここから大人になるまで続く
自分の中の「何かとの闘い」
その正体とは、
今、振り返れば
この3大ネガティブ要素を
乗り越える作業だった。
こんな小さな体に
押し込められた魂に対して
背負った荷は、重く大きかった。
7歳を迎えた頃には
「お前は私の子どもではない。
もう7歳なのだから十分大人だ。
自分で働いて生きて行け。
此処に居させてもらいたければ
言うことを聞け。」
というセリフを聞くようになった。
そんなことを言われても
不思議と泣くことは無かった。
寧ろ、冷静に受け留めていた。
「この人が本当の親でなくて良かった」
と、思ってホッとしていた。
あの唯一の楽しい記憶の前後には
既に他の姉妹との差別的なものが有り、
自分だけに冷酷で、暴言を吐かれる
ような場面があった。
幼心に、周りと同じことをしていても
自分だけ否定されたり
自分だけ叱られたりする
と感じていた。
だから「物事の良し悪し」を学ぶ
という以前に、この人の顔色を確認する
という習慣が染み込みつつあった。
けれども、ここまではまだ
身体の痛みは経験していなかった。
本格的な「虐待」が始まる
まだ入り口に立っただけに過ぎなかった。
そもそも命令口調で
威圧的な態度が、
この人の特徴だった。
子どもの私だけでなく
周囲の大人たちも、
誰しも圧倒されていた。
親戚の間でも良い噂を
聞かれないタイプだった。
ここまで書くと「この人」について
到底、良いイメージが描けない
という読者の方もいるだろう。
何を擁護するつもりもないが、
あくまでも、
この人も一人の人間だ。
そうなった切っ掛けが何か
あったのだろうと思われる。
が、その点を深掘る責任は
私にはない。
誰もが、自分を生きなければならない。
例え、どんな状況に置かれようとも
どんな環境下で生きることを
強いられていたとしても。
生きなければならないのは
自分自身でしかない。
例え家族であろうと
人の生きづらさに
ともに責任を持つ必要はない。
自分が生きることが先ず先で
必死で生きてさえいれば
何か見えてくるものがある。
それが光だと、私は感じて生きてきた。
この頃やっと射し込んだ
一筋の光明は
「この人が本当の親でなくて良かった」
と、思ってホッとした瞬間だった。