朝から雨の降る鬱陶しい日だった。
NHKの番組に突然テロップが流れ、
小泉総理が靖国神社に参拝するという。
あぁ、またこれで大騒ぎだな・・・。
天気よりもさらに憂鬱な気分になった。
何が憂鬱かと言えば、それは
中国や韓国がまたエキセントリックになって騒ぐこと、
そして、日本のマスコミが判で押したように
アジア諸国の感情を無視しているという批判を繰り返すことだ。
この種の批判を聞くたびに、いつも不思議でならない。
日本国民でかつての国家神道の復活を願っている人間など
果たしているのだろうか。
靖国神社を日本国民の精神的支柱だと考えている人間などいるのか。
ましてや、靖国神社に詣でることと戦争礼賛を
同一視している人間などいようはずがないではないか。
にもかかわらず、毎度毎度、靖国の話題が出るたびに
過去の戦争を美化し肯定し再び戦争を行う準備をしている
と騒ぎ立てる中国、韓国、日本のマスコミは
我々日本国民を馬鹿にしているのか。
お馬鹿な国民が政治家にいいように騙されて
また軍国主義の道をひた走るとでも思っているのだろうか。
だとしたら、我々日本国民は随分と見くびられたものだ。
昨日の総理の参拝を受けて、早速隣国では、
日章旗を焼き小泉氏を批判するプラカードを掲げ
叫んだり暴れたりいつもの見慣れたパフォーマンスが繰り返された。
朝日新聞は今朝の朝刊一面に署名記事で批判を行ったが、
その論点はアジアの近隣諸国への配慮を欠くというものだ。
しかし、ならば聞こう。
この状況で小泉氏が以後靖国参拝を取りやめたら
それはどう評価されるのだろうか。
中国や韓国は自分達の主張が通ったのだから満足だろう。
しかし、我々日本国民はどうか。
戦後60年どこの国とも軍事的紛争を起こさず
いづれの地にも軍事目的の派兵を行なわず
自国の領土を不当に占領されようと
自国民を不当に拉致監禁されようと
一切戦力に訴えず、耐えて、ひたすらに平和を希求してきた
我々日本国民の立場はどうなる。
私は神道に信仰としての興味は無い。
同様に、靖国を信仰の拠り所とするつもりもない。
従って、本来、総理が靖国神社に公式参拝することには反対だ。
しかし、もう、靖国参拝は、
そういうレベルの問題ではなくなってしまった。
事実、国民の多くは、靖国参拝を自分達の国内問題ではなく
外圧に屈して良いのかという外交問題としてとらえている。
こうなると、自らの主義として反対か賛成かなど関係ない。
あるのは、意地と誇りだけだ。
意地と誇りの問題になってしまったら、もう後には引けない。
日本は今そういう状況に追い込まれつつある。
中国も韓国も日本のマスコミも、やり方を間違ったようだ。
何故それに気付かないのか。
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NHKの番組に突然テロップが流れ、
小泉総理が靖国神社に参拝するという。
あぁ、またこれで大騒ぎだな・・・。
天気よりもさらに憂鬱な気分になった。
何が憂鬱かと言えば、それは
中国や韓国がまたエキセントリックになって騒ぐこと、
そして、日本のマスコミが判で押したように
アジア諸国の感情を無視しているという批判を繰り返すことだ。
この種の批判を聞くたびに、いつも不思議でならない。
日本国民でかつての国家神道の復活を願っている人間など
果たしているのだろうか。
靖国神社を日本国民の精神的支柱だと考えている人間などいるのか。
ましてや、靖国神社に詣でることと戦争礼賛を
同一視している人間などいようはずがないではないか。
にもかかわらず、毎度毎度、靖国の話題が出るたびに
過去の戦争を美化し肯定し再び戦争を行う準備をしている
と騒ぎ立てる中国、韓国、日本のマスコミは
我々日本国民を馬鹿にしているのか。
お馬鹿な国民が政治家にいいように騙されて
また軍国主義の道をひた走るとでも思っているのだろうか。
だとしたら、我々日本国民は随分と見くびられたものだ。
昨日の総理の参拝を受けて、早速隣国では、
日章旗を焼き小泉氏を批判するプラカードを掲げ
叫んだり暴れたりいつもの見慣れたパフォーマンスが繰り返された。
朝日新聞は今朝の朝刊一面に署名記事で批判を行ったが、
その論点はアジアの近隣諸国への配慮を欠くというものだ。
しかし、ならば聞こう。
この状況で小泉氏が以後靖国参拝を取りやめたら
それはどう評価されるのだろうか。
中国や韓国は自分達の主張が通ったのだから満足だろう。
しかし、我々日本国民はどうか。
戦後60年どこの国とも軍事的紛争を起こさず
いづれの地にも軍事目的の派兵を行なわず
自国の領土を不当に占領されようと
自国民を不当に拉致監禁されようと
一切戦力に訴えず、耐えて、ひたすらに平和を希求してきた
我々日本国民の立場はどうなる。
私は神道に信仰としての興味は無い。
同様に、靖国を信仰の拠り所とするつもりもない。
従って、本来、総理が靖国神社に公式参拝することには反対だ。
しかし、もう、靖国参拝は、
そういうレベルの問題ではなくなってしまった。
事実、国民の多くは、靖国参拝を自分達の国内問題ではなく
外圧に屈して良いのかという外交問題としてとらえている。
こうなると、自らの主義として反対か賛成かなど関係ない。
あるのは、意地と誇りだけだ。
意地と誇りの問題になってしまったら、もう後には引けない。
日本は今そういう状況に追い込まれつつある。
中国も韓国も日本のマスコミも、やり方を間違ったようだ。
何故それに気付かないのか。
失礼ながらTBさせて頂きました。
独善的ブログ、拙ブログ、宜しかったら覗いてみてください。
中国の最近の言動を見ていると、日本=悪という図式をうまく使って国内の不満を解消させようとしているだけのような気がします。
神舟の打ち上げやら、F1の開催やら、まるで一流国であるぞ!というアピールからでも、そういう印象がぬぐえませんね。戦前の日本に似ているのは今の中国かもしれません。先の戦争から一番学ばなくてはならないのは、かえって中国なのかもしれませんね。靖国神社。国会議員、とくに大臣になっている人のプライベートな時間というものが規定されていないという法律上の整備の遅れが憲法判断などが分かれるポイントなんだな、と思ってみています。24時間大臣であるなら、靖国神社はおろか、伊勢神宮もだめでしょうし、日光東照宮もだめでしょう。
心情的にはコイズミさんが、不戦の誓いとして靖国に詣でているというのは、理解できます。日本はなくなった方には敬意を払うのが常識なのですから、国の名目でかりだされ、命を落として国の守ろうとしてくださった方たちに、敬意を払うのはあたりまえの感情に思えます。A級戦犯の人にしたって、もやは裁判をうけて刑死したのですから、それで罰は終わったのではないでしょうか。罪は憎みますが、彼らとて、私腹を肥やすために戦争をおこしたとは到底おもえないのです。中国では一度犯罪者という烙印を押されると一族郎党末代までその罪を背負うのでしょうかね
。乱暴な気がします。
靖国=過去の日本の正当化、美化、そうして軍国主義化と中国に言われる度に日本人の不戦の誓いはそんな軽いものじゃないと思うのでした。
ブログ拝見いたしました。
中国の反応にびくびくしているのは親中派の政治家と外務省と朝日新聞だけじゃないですかね(爆)
>A級戦犯の人にしたって、もやは裁判をうけて刑死したのですから、それで罰は終わったのではないでしょうか。罪は憎みますが、彼らとて、私腹を肥やすために戦争をおこしたとは到底おもえないのです。
この点に関しては、ちょっと立場が違います(笑)
私は、やはり、A級戦犯は合祀すべきではなかったと思います。
戦勝国が敗戦国を裁いた東京裁判なんて、私は絶対に認めませんが、当時の軍部や政治のトップにいた者には敗戦の責任があると思います。
国を勝ち目のない戦争に導き、国民に苦難を強い、敗戦に至らしめた責任は当然負わねばなりません。
しかし、日本人はどうも厳しく責任を問うということが苦手のようで、A級戦犯となった方達も、もし日本側に対応を任されていれば、多分うやむやに済まされたでしょう。
しかし、東京裁判で被告となり、処刑されてしまった。
だからと言って、その方達を昭和の受難者として靖国に祭るという発想は私には受け入れられませんね。
ただ、私は日本には戦争をしたい人が意外と多いのではないかと思います。「多いって、どれくらい?」と聞かれても答えられないのですが、「日本が戦争に巻き込まれる危険」だけでなく「日本が戦争を始める可能性」もあって、それが何となく靖国神社の近くにありそうなので、日本の首相は近づいてはいけないと思っています。「不戦の誓い」は別の場所で、落ち着いて心置きなく、すればいいのではと思います。
(アイマイな話ばかりでスミマセン。)
私は日本の総理が靖国に参拝することも、国会議員達が大挙して靖国に参拝していることも、憲法違反だと思っています。少なくとも、公然と参拝するのは即刻辞めるべきと考えます。
しかし、事態がこのような状況に陥ってしまった今、参拝を取りやめたら中国や韓国の圧力に屈したことになってしまう。そういう形で参拝を取りやめることは絶対に出来ません。小泉首相もそういうサインを出しているではありませんか。
にもかかわらず、相変わらずの中国・韓国・日本のマスコミの対応振りです。恐らく、中国や韓国は小泉氏に靖国参拝を本当は辞めてもらいたくないのでしょうね。そうとしか思えませんもの(笑)
>ただ、私は日本には戦争をしたい人が意外と多いのではないかと思います。
>「日本が戦争に巻き込まれる危険」だけでなく「日本が戦争を始める可能性」もあって、それが何となく靖国神社の近くにありそう
私が、日本国憲法は論争の的になってはいるが結局改正されないままずるずるしているのが良いと考えている論拠もそこにあります。
いつの時代にも戦争を仕掛けたい人間はいるものです。憲法9条はむしろ都合の良い足かせかも知れません。
確かに戦死した方たちと戦犯の合祀者には意味合いの違いはあるでしょうね。なかには一緒に祀られたくないと思う人もあるでしょう。一緒に祀られたくない人が抜けたいといったら、抜けさせてくれるといいのに、なかなか靖国神社も応じませんよね。結構勝手に祀っているし。
私は祀るということが、崇拝ではなく、鎮魂であるとおもっていますから、戦犯にも言い分があったでしょうけど、とりあえず刑死(一部獄死)していただいたお礼と思っています。命をとられる、ことの重さに対してです。また、たくさんの人間の犠牲を強いたから死刑は当然だと言われることも理解します。
私は総理大臣が靖国に参拝したかったらすればいいとは思います。それこそ個人の信仰というでしょうから。ただいつかクリスチャンとかの総理大臣がでて、宗教上の理由でいけませんと言ってほしいな、なんて思ってます。
憲法に定められた政教分離は、戦時中の行過ぎた国家神道のあり方に対する強烈な反省に基づいているはずです。
にもかかわらず、国会議員達があくまで公式参拝に拘ったり、大挙して参拝する意図は何でしょう。
素朴な感情などと本気で言っているのならとんでもないことです。国会議員である以上、この問題に鈍感であることは許されません。
あるいは、そうした行動の裏にある明確な意図が隠されているのかも知れません。もしそうであるなら、私達はより敏感に彼らの行動を監視していかなければならないと思います。
ほとんどデモ行進のように見えることに気づいていないはずはないので、「どーだ!」という気持ちで、意図的に団体で参拝していることは確かだと思います。
その意図が個人的で内省的な「不戦の誓い」なら、団体で示威行動をとる事の必要性はないので、その意図というのは、個人的な「不戦の誓い」以外の何かだということになるのではないでしょうか。
私も、あの「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の連中には呆れます。
日本は、戦時中、国家総動員法によって国民に対し一丸となって戦争に突き進む事を強要しました。そして皆が冷静さやまともな判断力を失っていった。
集団の狂気を嫌というほど思い知ったはずなのに、今また国の指導者達が徒党を組んで自分達の意思を表明しようとしている。
彼らは歴史から何も学んでいないのでしょうか。情けないことです。