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あみの3ブログ

切山城@石川県金沢市宮野町 令和三年(2021)4月3日

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2021年2月に訪ねた「松根城」と共に、国史跡・『加越国境城跡群及び道』に指定されている【切山城】
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加賀国と越中国を結ぶ国境沿いの街道にはいくつもの山城、加越国境城跡群が築造されていた。その歴史的背景は、織田信長亡き後の天下統一に向け、天正12年(1584)羽柴秀吉と対立した織田信雄・徳川家康連合軍が尾張の小牧・長久手で争ったことによる。前年の賤ケ岳の合戦の後、秀吉に降伏することで越中に留まった佐々成政は、これを機に反秀吉へと方向転換し、秀吉方の前田家と敵対した。成政は8月に朝日山城を攻撃した後、9月には末森城を攻めるが、いずれも失敗する。天正13年になると、両者が国境付近への侵入を繰り返す中、しだいに前田勢が優勢になり、秀吉遠征軍の登場によって成政は降伏した。この後、越中の西半分が利家の長男利長に与えられたことで、加越国境付近の緊張状態は解消され、城跡群は不要になったと考えられる。
城跡群は広範囲に分布しているが、金沢市域には小原越の切山・松根、二俣越の高峠・荒山、田近越の朝日山の各城跡が所在している。城跡を比較すると、推定佐々方の城跡は規模が大きく、高度な縄張り技術を駆使しているのに対して、前田方の城跡は規模で劣るものが多いと言える。秀吉は、成政が山(加越国境付近か)を占領したからと言って、軽率な行動は慎むように利家に厳命している。
約400年の時を超えて現在に残された城跡群の遺構が、すでに味方が無く孤立した成政と、秀吉の援軍を待つ利家の政治的状況を示している可能性が考えられる。(金沢市文化財保護課)、、、現地案内板より


加越国境付近の街道と城の配置図、、、同上
北陸道の脇道にあたる小原越えでは、越中佐々成政方の「松根城」は加賀前田利家方の「切山城」と加越国境を挟んで対峙していたことがわかります。
両者は小原越という街道を、城や堀で遮断して戦時封鎖していたことが発掘調査により確認された初めての事例であり、その点が評価され国の史跡に指定されたものと思われます。



場所は石川県金沢市宮野町
国道359号線と304号線が交差する辺りから、北陸自動車道に架かる袴橋を超えて林道を20分ほど歩いたところ。



金沢市宮野町、R359とR304交差点


同交差点よりR304富山方向1つ目の交差点を、高速道路側の山に向かって住宅街に入る。


高速道路に架かる袴橋に出ますのでそこからは徒歩で進みます。
車は袴橋手前にある公園の駐車場が利用できますが、閉鎖の場合は袴橋詰めに若干の空き地があります。


袴橋の先は獣除けの柵(バリケード)がありますが侵入可能です。必ず閉めておくこと!


そこから先は林道で途中分岐がありますが、道なりです。(写真右方向)


舗装道が未舗装に替わった辺りから程なく城域となります。




そこでまず目にする異様な光景


赤茶けた裸の山がパックリと口を開けたような姿に度肝を抜かれます。
城域東端の「切岸と大横堀」です。



さらに谷側に向け横堀が切られ、発掘により街道が遮断されていたことが確認されたそうです。



そこを過ぎると国史跡碑と案内看板が設置されています。



林道を挟んで右と左に山がありますが、城跡は木立で覆われた小ぶりな山の方です。
切山城復元イラスト、、、同上
イラスト右上(北東方向)が越中の方角で、その先には佐々方の「松根城」がある。
同左下(南西)は金沢方向で前田方の領地。

つまり、越中に向けて街道を遮断していることから、この城は前田方の城と言う訳。




佐伯氏による縄張り図、、、越中中世城郭図面集Ⅲ(筆者朱書き)



街道の小原越えに接した山に城を構え、越中側の街道を横堀と堀切で遮断し、敵陣めがけて兵を繰り出す「馬出」が施設されている。
更に主郭に入るための「外枡形」まで備えているなど、松根城に比べ非常にコンパクトながら高い防衛力を備えていたそうです。

「馬出」
主郭先端から見下ろした馬出 
小さな平坦部を囲うようにして土塁や柵列が配置され、手前の両側出入り口から兵が出撃したんでしょうね。
遺構だけではまったく想像が付きませんが、イラストで妄想を広げました。



「外枡形」
頂上部の主郭への出入り口。主郭下の帯曲輪をぐるっと回って西側にある長方形の削平地に至る。この長方形の空間が土塁によって枡形となっており、当時虎口には門があったことが礎石の発見で確認されたそうです。
残念ながら虎口に相当する箇所は分かりませんでした。



「櫓台」
主郭南東隅に櫓を建てて、眼下を通る街道・小原越を監視していたんでしょうね。
こちらも看板等の表示が無いので、縄張り図やイラストとすり合わせての推測の場所です。



主郭下の腰曲輪は街道と並行して設けられているため、長時間にわたって上から狙い撃ちの攻撃ができそうです。



また街道の曲がり角から腰曲輪への斜面には竪堀が施され、敵が左右に回り込むことを抑制しています。



南側切岸と堀切
この先に土橋が架かり、クランクを繰り返しながら外枡形へと誘導されていきます。



城郭南西端の横堀


溝が二重に掘られている箇所もある



街道を挟んだ二つの山。その片方だけに軍事施設を置いたようですが、もう一方(裸の山)の役割は何だったんでしょうね?
挟み撃ちにする絶好の位置だと思うんですが。

次は国の史跡には指定されていませんが、同じく加越国境付近の山城で佐々成政が大改修した3城。
「松根城」「一乗寺城」に次ぐ
「加賀荒山城」
それに準じる改修を施した「源氏ケ峰城」を紹介したいと思います。


※2022年6月12日 いしかわ城郭カードリンク、写真追加

【切山城】


名称(別名);
所在地;石川県金沢市宮野町
城地種類;山城
標高/比高;
築城年代;天正12年(1584)
廃城年代;天正13年(1585)
築城者;前田利家
主な改修者;
主な城主;城将・不破彦三
文化財区分;国の史跡
主な遺構;曲輪、堀切、馬出、外枡形、横堀
近年の主な復元等;


※出典、、、越中中世城郭図面集Ⅲ
地図;
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