猫派娘(仮)による雑記だらだら

タイトルの通りさまざまなことをだらだらと書きます。なので不定期になることが予想されます。どうでも良いことを考えていたい。

映し出されない真実に何処か安堵してしまい、フィクションと捉えてしまう。わたくしはそんな自分が悔しい。

2018-03-11 01:46:55 | 日記
3月11日です。

忘れません、東日本大地震

わたくしはまだ小学四年生でした。

北海道もいつもよりは強めに揺れました。

学校でニュースを見ました。

家に帰ってもまたあり、我が母、父とも連絡が取れず、恐怖を味わいました。


しかし、現地の皆様の恐怖とは比べ物にならないでしょう。


ニュースでは上空から撮られた町並みや津波しか映りませんでした。

地上での、間近での視界に入る景色はもっと残酷で、もっと衝撃的だったでしょう。

皆様が大変な思いをしている。それは分かってはいたのですが



翌日には普通の日常を過ごす自分がいました。

しかもまだ幼かったために、正直「テレビつまんないな」なんてことを考えてしまっていました。


今、凄い後悔しています。

後日改めて考えてみると家族を亡くしてる人がいるんだ、とか、もっと言うとわたくしと同じくらいの歳、またはもっと下の歳の子でも命を落としたり、親を亡くしてる子もいるんだ。恋人や友達など、大切な人を失った人もいるんだ。あの日がなにかの記念日だったのに一瞬にして崩れ去ったこともあったのか。
そう考えてみると、普通の日常を過ごして、挙げ句の果てには「暇」だなんて思ってしまった自分が情けなくて悔しくて、罪悪感に苛まれました。

わたくしが知らない細かい事実、より鮮明な景色を現地の皆様は知ってる。

それがどんなに辛く悲しいことか。わたくしには知り得ないほど深いものでしょう。

しかし、皆様は今日まで努力していることでしょう。
日常を取り戻すことはできていますでしょうか。立ち上がって前を向けていますでしょうか。

わたくしにとってはあの日が教訓となりました。防災訓練ってよくやりますよね。前までわたくしはなんとなくでやってましたが、今ではまじめに行うようになりました。もしものことも考えるようになりました。
それと同時に当時のことも忘れないように思い出すようにしております。

わたくしは直接、皆様に何かができるのか、それはまだ分かりません。しかし、皆様への想いが届くと幸いです。

まだ完全な復興はしていないかもしれません。多くの課題が残っているかもしれませんが、力を合わせて諦めずに頑張りましょう。

そして未来を託されたわたくしたちは二度とあのような大きな悲劇が起きぬように責任を持ち、防災について積極的に知識を蓄えるべきだと思っています。

わたくしはただの学生ですがそんな目標を持っています。

皆様の明るい未来を心から願っております。


ちなみにわたくしは当時、朝から具合が悪く、頭がグワングワンしてる中で地震を経験し、病院に行ったらインフルエンザだと言われました。すいませんでした。

以上、猫派娘でした。

もっとちゃんと大人になりたい。

2018-03-11 01:40:31 | 日記
こんばんは。猫派娘です。

初めてお題に参加します。お題が「ありがとうを言いたい人」ということでわたくしはその対象に家族を選びました。

当たり前というか、普通、人間としては必ず感謝すべき相手、それが家族だと思うのですが、正直「産んでくれてありがとう」とは言えません。

わたくしはネガティブなのですが、そのせいで自分に全く自信がないのです。容姿も性格も。やはり容姿端麗になりたかったし、頭も良くなりたかったし、明るく、めんどくさくないさっぱりした社交的な性格になりたかったです。なんでこんな風に産まれたんだろうといつも思います。もっと深刻な悩みを持つ方もいらっしゃるとは思うのですがわたくしはそんな思いを持ちながら生きてます。

しかし、死にたいとは思ったことがありません。大小関わらずどんな悩みを抱えていても死にたいなんて思わないんです。よく「死にたいなんてしょっちゅう思う」という方がいますがわたくしは一切思わないのです。

それは嬉しいことに「幸せ」だからです。

「幸せ」は些細なことで構わない、なんてよく言いますが、わたくしはそもそも些細な幸せなんてないと思ってます。何故なら、日々の幸せは努力から生まれるものだからです。

わたくしは今日、家族でラーメンを食べに行きました。とても楽しかったし、美味しかったし、幸せでした。もちろん、我が母の作る料理も幼い頃から大好きです。あ、本心ですからね。

これらは極端といえば極端なのかもしれませんが、日々、我が父や我が母が必死に稼いだお金やそのために費やした計り知れない努力があったから実現しています。

わたくしの家は極端に貧しいわけでもありませんが、有り余るほどの財産があるわけでもありません。
おそらくどの家庭も同じでしょう。自ら働いて稼いでいるか、わたくしのようにまだ未成年で養ってもらっているかでしょう。

養ってもらうことは本当に本当に凄いことだと思います。

自分のためだけではなく、家族とは言えど、自分以外の人のことも想って日々の幸せをつかもうと必死になっている。

そんな両親の偉大な愛情に感謝の気持ちでいっぱいです。

また、わたくしをここまで育ててくれたことも感謝しています。我が母はどんなときも悩みを聞いてくれたり、わたくしに人として恥じない生き方を教えてくれました。

たまに我が母に辛くあたってしまうこともあります。でもいつも優しく、時に厳しく、本当に心から愛してくれる我が母には感謝しかありません。

我が父もわたくしの気持ちを汲み取り、理解しようとしてくれたり、わたくしと真正面から向き合ってくれました。いつも冷静に、わたくしのことを考えてくれる我が父にも感謝しております。

わたくしはまだまだ未熟者です。まずは自分に自信を持てるような素晴らしい大人になりたい。そして両親により大きな恩返しがしたいです。あと数年で大人になり、自分で働けるようになります。(まあ、今もアルバイトとかできなくはないが)
両親にはそのときまで元気でいてほしいものですね。


と、いうのを中学の卒業式で両親に渡す手紙に書いたら我が母は大号泣してマスカラが残念なことになってました(笑)

それは置いといて、最後に皆様にも感謝します。

わたくしは不定期にブログを更新しており、さらにまだ始めたばかりなため、まだまだ認知はされておりません。
しかし、日々、閲覧数は増えております。

こんなわたくしのブログが一瞬でも目に留まり、(誤クリックだったとしても)記事を読んでくださったことに感謝します。

これからも頑張らせていただきます。なので是非、よろしくお願いします。

以上、猫派娘でした。

常識という言葉の汎用性に踊らされ、自信を失いかけてしまってはつまらない。

2018-03-08 23:36:46 | 日記
我が母にこう言われました。

「牡蠣の旬って "R" つく月だって知ってる?」

わたくしは悔しかったけど正直に

「知らん」

と返しました。

どうやら牡蠣の旬はJanuaryやFebruaryなど、月を英語にしたときにRがつく月らしいのです。
そんなこと、わたくしと同じ年の高校生は知ってり人が少ないでしょうし、案外知らない人もいるでしょう。

しかし、我が母にはこう言われました。

常識だよ







じゃあなんで「知ってる?」って聞いたんだよ。

わたくしはこの時点で常識って何?と感じました。

常識。いつ聞いても嫌な言葉です。

なんか「お前は普通の人間じゃねえ」って言われてる気分になりませんか?ただの名詞なのに。それはわたくしだけ?すいません。

この常識という言葉、わたくしの中では定義があります。

"常識" とは、もし老若男女問わず、ここに無作為に集められた100人の人間がいたとき、9割以上が出した一つの答えのこと

というものです。9割はやりすぎかも。

要はほとんどの人が認知してるもの。

そう考えると先ほどの牡蠣の話、わたくしのクラスにこの知識を携えている人はどれくらいいるだろう?と考えてみただけで、常識かどうか疑ってしまう訳です。

確かに、大人は知ってるかも。さらに言うと主婦なんて知ってて当たり前かも。でもわたくしたちよりも年下の子や、わたくしたちよりも数える位しか年上じゃない人にはどれくらい認知されているか分かりません。

それって常識?そう言える?


「常識だよ」という言葉はよく耳にします。「常識のある人間」を人々は目指したがります。でもその知識が本当に世間一般的に普遍なものかは確かめようがありません。確かめられたとしても自分の周りの人々だけで、それは日本、もっと言えば世界の1割にも満たない訳です。
今ではネットでもっと多くの人とコミュニケーションをとることができますが、あれは匿名性があるため信用しきれません。(例えば一人の人が複数人になりきってるかも)

じゃあ、どうして人は「常識だよ」って言えるのか?

簡単です。それはそういう生活をしてきたからです。

例えば目玉焼き。ソースか醤油がまあ、一般的でしょう。しかしわたくしの家は全員塩胡椒です。
わたくしはどの家庭も塩胡椒なんだと思っていました。それどころか、ソースや醤油などの濃い味はわたくしにとって邪道でした。

つまり、わたくしにとっては塩胡椒が常識ソースや醤油が非常識だったわけです。

目玉焼きにも言えることですが、
「〇〇派」というテーマの話や記事、よくあるじゃないですか。あれこそが「常識同士の衝突」だと思います。「ウチはこうだよ!」「普通こっちじゃない?」というのを優しく言い換えたのが「〇〇派」という言葉。

もしこの優しさがなく、ストレートな言葉のままだとただの喧嘩。つまりそれぞれの常識が噛み合わない時に喧嘩になる。

要は常識というものはや世間一般的なものではなく、日々の生活で自身が培ってきた個人的なものなのです。

自分が普段やっていることは決して変じゃない(と信じたい) = これが常識

と思い込んでるのです。

そもそも人間には個性があるとか言ってるくせに「常識」というものが存在している時点で破綻してません?人それぞれの生き方があるんだからそんなものいらない気がするんですが…。

しかし、唯一必要な常識があります。それは「道徳的な常識」
これがないと最終的に殺人行為に繋がりかねませんから。
絶対必要だと思います。絶対。


なにが言いたいのかというと「常識」にとらわれず、自分らしく自信を持って生きていきたいね。
「常識だよ?はぁん、そんなことも知らんのか君」とか言う奴はまずそうやって言うこと自体が非常識だと気づけ。です。


なんか常識常識言ってたら本当に自分に自信がなくなってきたので寝ます。

以上、猫派娘でした。

アイデンティティーを侮辱することにならないかね、君。

2018-02-20 01:36:21 | 日記
こんばんは。猫派娘です。

突然ですがわたくしはまあまあアニメ好きです。

最近は時間がなく、あまり見ていませんが見るときは見ます。オタク、と言えるほどではありません。

話は過去に遡りますが、わたくしは小学生の頃、少年漫画を好む友人たちが自分たちの世界に入り込んでしまい、こんなはなししちゃってごめんと謝られたことがあります。どうやら友人たちは(ちなみに女の子)自分たちが少年漫画を好んでいることが恥ずかしかったようです。なのでわたくしは
「全然いいよ、そもそも好きな漫画のジャンルが違うだけでなんも恥ずかしいことじゃないじゃん」と答えました。
そのときの彼女たちの涙は忘れられません。
(一部誇張表現あり)

さて、今日わたくしが主張したいのは

"オタク" を差別用語と勘違いするな!

です。

いや、別にしてはいないのでしょうけど。

なんか "オタク" という響き、嫌な感じがしませんか?

それは "オタク" に対して負の固定概念が未だに払拭しきれず残っているからでしょう。

じゃあ、ここで考えてみましょう。

"オタク" って恥ずかしい存在なの?

わたくしは絶対違うと思います。

例を出します。

ある家族がいます。

お父さん→盆栽ずっといじってる

お母さん→裁縫大好き。暇なときは何かしら作ってる

お姉ちゃん→メイク大好き。毎日メイクの勉強してる

弟→遊ぶの大好き。今は積み木を完成させてはミニカーでぶっ壊して腹抱えて笑ってる。こわい。

僕→アニメ大好き。今は録っておいたアニメを見ている。







別に普通じゃないですか?ちなみにこんな現代にもありそうなごく普通の家庭でなぜ父親だけが昔ながらの「盆栽」という趣味なのかは分かりません。ほっといて。

なにが言いたいのかというと

オタクオタク言ってるけどみんなが持つ趣味がたまたまアニメ鑑賞だっただけじゃん!

別に盆栽も裁縫も趣味として普通なのになぜ趣味がアニメ鑑賞のときのみ "オタク" という名が付けられてしまうのですか?変じゃないですか?

開き直って「俺、オタクだからー」みたいに自虐っぽく言う人もいますが自虐にするほどのものですかね?

わたくしはそうは思いません。いいじゃないですか、アニメが好きでも明るく、社交的な人だっています。頭がいい人も真面目な人もいます。モテる人もいます。お洒落な人もいます。ただアニメが好き。それだけ。

オタクにはろくな奴がいないなんて思ってはいけないと思います。

"腐女子" も同じだと思います。恋愛なんて広く見ればただの「人間同士の関係の手段の一つ」
子孫を残す残さないを抜きで考えてみればそこには必ず男女じゃないといけないなんて決まりはありません。恋バナが好きな人がいるように、恋愛漫画を見るのが好きな人がいるように、ボーイズラブを嗜む方がいてもいいじゃありませんか?

わたくしはそもそも「人の趣味に必要以上に踏み入るのはよくない」と思います。

趣味というのは自分が一番自分らしく、そしてそれを愛する自分を好きになれる最良の物だと思います。そこは完全プライベートです。
たまたま趣味が合って是非交流したい。そう思わない限りは若干タブーな世界だと思います。そこはユートピアであり自分しか満足できない世界なわけですから。逆を言えば理解されなくてもおかしくはありません。
だからこそ必要以上に干渉しなくていいと思うんです。
だって理解できなくて当たり前だから。

では、総括しますね。


なんか後半まじめに長ったらしく書きましたが結局私の今の心理状態は

アニメが見たい



誰かオススメアニメ教えてください。


以上、猫派娘でした。

退化を望むような発明をするのであればそもそも我らの進化など不必要だったのではないか?

2018-02-19 00:36:49 | 日記
全然意味の分からないタイトルぶっ込んですいませんでした。

どうも、お久しぶりの猫派娘です。

ネタがないために少々お暇を頂いておりました。生きてます。

つい先程、たまたま我が父と話していたことがあります。

オリンピック(特に冬季の)の競技って、どうやって考案したんだろう?

です。

それはスピードスケートのパシュートを見ていたときでした。


あ、ちなみに前置きしておきますがこの記事はオリンピックを馬鹿にするつもりはさらさらありません。


では、話に戻りますが私はそれを聞いて

「確かに!正直スキーのジャンプはあれ、なんでやろうと思ったんだろうね?」

と、即座に返しました。

我が家ではこんな話になるとふざけた話に持っていくのがお決まりとなっております。

二人でしばらく考えた後、私は我が父にこう答えを出しました。

「わかった。ジャンプは、なんか考えた人があー、鳥になりてえー…鳥みたいに空を自由に飛びてー…お?こーんなところに、スキー板があるじゃぁないかー!待てよ?あの斜面がいきなり空に向かってぐいっと曲がったら直滑降でいけば勢いで飛べるんじゃね? ってな感じになって、最初はふつうにストック付きで滑ったんだけど、あ、こりゃストック邪魔だわ ってなって結局今みたいな滑り方になったんじゃないかな!」

もちろんそんなわけないと思いますが。そしたら我が父が

「え…そんな理由?」

と、渋い顔をしてきたので

「うん、彼は鳥になりたかったんだよ」

と、真顔で返してあげました。

ちなみにその話で思いついたためこれも話しました。

「水泳のバタフライってあるじゃん?あれも同じようなもんだよ。考案者が偶然海に行ったときにトビウオを見つけて、なんだあれ!?水面から飛んだだと!?かっこいい!人間も魚に負けちゃいかん! で、はい。バタフライ。」

我が父「まじでか」

私「まじでだ」


そんなどうでもいい話をしていたらふと思ったことがありました。


人間って退化したがりがちでは?


まあ、流石に今までの話が酷すぎたのですが、人って大空飛びたがったり、自由に泳ぎたがったりしてません?

でも空を飛ぶのは鳥や虫だし、自由気ままに泳げるのは魚なんですよ。当たり前だけど。

進化ってなんのためにしたの?と、考えてみるとおそらくざっと、環境に対応するためだと思うんです。
じゃあ今のところ人間が一番対応できてるのでは?

なら、空を飛べなくたって、多少泳げなくたっていいじゃないか!!

進化の一番上に位置している私たちは羨むよりも羨まれるべき存在です。

でも、やっぱり空を飛びたい。自由に泳ぎたい。

こうなるのは私なりのめちゃくちゃ勝手な考えなんですけど

おそらくこう考えてしまうのは人間が"自由" を "可能性" に変換してしまっているからだと思うんです。

人間は一番優れている生命体であると仮定したとき、一番なんでもできて自由な生き物であると言えるでしょう。頭脳も持ち合わせている人間はそのことを自覚したときに
「自由なんだ!じゃあ、これもできるだろ?」
と、可能性を提示してきます。

人間は何事も土台があれば「できるはず」という自己暗示をします。(例.コンピュータがある→AIを発明できる)

しかしこれは自由と言えるでしょうか?逆に縛られているのでは、と私は思います。

魚や鳥には泳ぐ、飛ぶしかありません。あとは生きるために最低限必要なものしか持ち合わせていないです。

人間が空を飛びたい、自由に泳ぎたいと思うのは
可能性による強迫観念を捨て去り、自由に単調的に、野生的に生きていきたいからではないでしょうか?


と、いうのが私なりの考えです。

結局総括しますと、

「オリンピックは楽しいよね」

です。

以上、猫派娘でした。