東日本大震災の津波は警告されていた!
本ブログの2011年4月8日に、「16年前に警告」と題して仙台の歴史学者飯沼勇義さんが著した
「仙台平野の歴史津波~巨大津波が仙台平野を襲う!」を紹介した。
本は絶版となっていたが、仙台の印刷会社が復刻版を販売していたので入手した。
著者は40年余にわたって、仙台平野を襲った過去の地震・津波について歴史文献、口承、口伝、等を
丹念に研究を重ねてきた結果、仙台平野は歴史的に津波の常襲地域であるという結論に達した。
宮城県の多賀城が現在の地にあるのも、大津波に起因しているらしい。
それらの研究成果を出版原稿にし、平成6年9月30日に仙台市長藤井黎氏宛、さらに平成7年9月に
宮城県知事浅野史郎氏宛に「陳情書」と「仙台平野の地方の津波防災について」を提出している。
著書では、三陸地方の方々は津波がいつか必ず襲ってくる・・と知恵を出し合ってその予知・予防に
全力尽くされているが、仙台地方の沿岸の方々は残念ながら津波災害に対する認識は全く無いといって
良いでしょう。これは、千年以上も前の「貞観津波」(869年=貞観11年)や1611年の「慶長津波」
(慶長16年)等を忘れ去られ、津波とは無縁であるという意識が醸成されたとしている。
さらに、各市町村史を編纂する際、これらの不都合なことは無視されてしまったことも一因にあげられる。
急いでこの本を読み終わった時、今回の東日本大震災はまさにこの本が警告していたものが
来るべくして来た・・という思いでいる。
宮城県・仙台市・沿岸各市町村の行政に関わっている方々が津波に対する危機意識がもう少し高かったら、
そして、教育委員会および学校関係者も同様に危機管理として地震だけでなく津波に関心を抱いていたなら
70余人もの児童を失った大川小学校のような悲劇が発生しないで済んだのでは・・なかろうか・・。
せっかくの警告が無視(?)されて活かされなかったことは、まことに残念至極である。
3.11発災後、多くの地震学者たちは「想定外の震災」と言ったが既存の知識の詰め込みに努めて
イマジネーションの発揮がなされない方々の言い訳だったのではなかろうか。
民間会社では、こんな言い訳が通用しない。
そして、危機管理を怠る企業は直ちに消滅していく・・。
【追加】
復刻本は、本田印刷株式会社のホームページで・・
本ブログの2011年4月8日に、「16年前に警告」と題して仙台の歴史学者飯沼勇義さんが著した
「仙台平野の歴史津波~巨大津波が仙台平野を襲う!」を紹介した。
本は絶版となっていたが、仙台の印刷会社が復刻版を販売していたので入手した。
著者は40年余にわたって、仙台平野を襲った過去の地震・津波について歴史文献、口承、口伝、等を
丹念に研究を重ねてきた結果、仙台平野は歴史的に津波の常襲地域であるという結論に達した。
宮城県の多賀城が現在の地にあるのも、大津波に起因しているらしい。
それらの研究成果を出版原稿にし、平成6年9月30日に仙台市長藤井黎氏宛、さらに平成7年9月に
宮城県知事浅野史郎氏宛に「陳情書」と「仙台平野の地方の津波防災について」を提出している。
著書では、三陸地方の方々は津波がいつか必ず襲ってくる・・と知恵を出し合ってその予知・予防に
全力尽くされているが、仙台地方の沿岸の方々は残念ながら津波災害に対する認識は全く無いといって
良いでしょう。これは、千年以上も前の「貞観津波」(869年=貞観11年)や1611年の「慶長津波」
(慶長16年)等を忘れ去られ、津波とは無縁であるという意識が醸成されたとしている。
さらに、各市町村史を編纂する際、これらの不都合なことは無視されてしまったことも一因にあげられる。
急いでこの本を読み終わった時、今回の東日本大震災はまさにこの本が警告していたものが
来るべくして来た・・という思いでいる。
宮城県・仙台市・沿岸各市町村の行政に関わっている方々が津波に対する危機意識がもう少し高かったら、
そして、教育委員会および学校関係者も同様に危機管理として地震だけでなく津波に関心を抱いていたなら
70余人もの児童を失った大川小学校のような悲劇が発生しないで済んだのでは・・なかろうか・・。
せっかくの警告が無視(?)されて活かされなかったことは、まことに残念至極である。
3.11発災後、多くの地震学者たちは「想定外の震災」と言ったが既存の知識の詰め込みに努めて
イマジネーションの発揮がなされない方々の言い訳だったのではなかろうか。
民間会社では、こんな言い訳が通用しない。
そして、危機管理を怠る企業は直ちに消滅していく・・。
【追加】
復刻本は、本田印刷株式会社のホームページで・・
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