先週、握手会について書いた。
会いに行けるアイドルというコンセプトでスタートしたAKB48。
詳しいことはまったく知らないんだけど、あれは握手会ではなく劇場公演のことを言ってたんでしょ。
握手会なら80年アイドルも新曲をリリースするたびに全国で行っていた。
コンサートという形なら、今のアイドルより本数をこなしていたようにも思う。
さて、今のアイドルとファンの関係って、近すぎる気がする。
握手を重ねることで、アイドル側がファンの顔と名前を一生懸命に覚え、ファンも覚えてもらおうと工夫を凝らす。
もちろん、それが悪いと言ってるわけではない。
僕自身、頻繁にアメブロにコメントを送っていたアイドルと初めて直に会った時に、名前を覚えてくれていたのが、すごくうれしかったし。
また、多くのファンレターを送っていたアイドルに初めて会った時、僕の本名は音で聞いても漢字変換できないような珍しい名前なのに、名乗ったらサインに漢字で名前を入れてくれたのも、めちゃめちゃうれしかった。
さらには、1年後に会った時に顔を憶えていてくれたのも、感動するくらいうれしかった。
でも、そこには、あくまでもアイドルとファンという、見えない壁が間にあるべきだと思う。悪い意味でなくね。
絶対に、友達感覚であってはならないと。
80年アイドルには親衛隊なるものがあったが、親衛隊のメンバーはアイドルに顔と名前を覚えられていたと思う。しかし、間には一線を画するものがあったと思う。
親衛隊に入ってたわけじゃないから、はっきりとは言えないけど。
AKBの総合プロデューサーは、遠い存在だったアイドルを身近なお姉さんにしてしまったおニャン子クラブを世に送り出した秋元康。
そのことを批判するつもりはないが、アイドルとファンのあるべき関係を壊してしまったような気もする。
僕はアイドルの握手会やイベントにはあまり行かないタイプだけど、何回か会ってるアイドルでも、会うたびに必ず緊張する。
この緊張こそがアイドルだと思う。
アイドルとは偶像、すなわち神のような崇拝の対象だ。
その間に緊張感がなくなったら、それはアイドルとファンの関係ではなくなってしまうと思う。
「古いなぁ」と言われるかもしれないが、僕にとっては、どんなに身近な存在になろうともアイドルとは特別な存在なのだ。
会いに行けるアイドルというコンセプトでスタートしたAKB48。
詳しいことはまったく知らないんだけど、あれは握手会ではなく劇場公演のことを言ってたんでしょ。
握手会なら80年アイドルも新曲をリリースするたびに全国で行っていた。
コンサートという形なら、今のアイドルより本数をこなしていたようにも思う。
さて、今のアイドルとファンの関係って、近すぎる気がする。
握手を重ねることで、アイドル側がファンの顔と名前を一生懸命に覚え、ファンも覚えてもらおうと工夫を凝らす。
もちろん、それが悪いと言ってるわけではない。
僕自身、頻繁にアメブロにコメントを送っていたアイドルと初めて直に会った時に、名前を覚えてくれていたのが、すごくうれしかったし。
また、多くのファンレターを送っていたアイドルに初めて会った時、僕の本名は音で聞いても漢字変換できないような珍しい名前なのに、名乗ったらサインに漢字で名前を入れてくれたのも、めちゃめちゃうれしかった。
さらには、1年後に会った時に顔を憶えていてくれたのも、感動するくらいうれしかった。
でも、そこには、あくまでもアイドルとファンという、見えない壁が間にあるべきだと思う。悪い意味でなくね。
絶対に、友達感覚であってはならないと。
80年アイドルには親衛隊なるものがあったが、親衛隊のメンバーはアイドルに顔と名前を覚えられていたと思う。しかし、間には一線を画するものがあったと思う。
親衛隊に入ってたわけじゃないから、はっきりとは言えないけど。
AKBの総合プロデューサーは、遠い存在だったアイドルを身近なお姉さんにしてしまったおニャン子クラブを世に送り出した秋元康。
そのことを批判するつもりはないが、アイドルとファンのあるべき関係を壊してしまったような気もする。
僕はアイドルの握手会やイベントにはあまり行かないタイプだけど、何回か会ってるアイドルでも、会うたびに必ず緊張する。
この緊張こそがアイドルだと思う。
アイドルとは偶像、すなわち神のような崇拝の対象だ。
その間に緊張感がなくなったら、それはアイドルとファンの関係ではなくなってしまうと思う。
「古いなぁ」と言われるかもしれないが、僕にとっては、どんなに身近な存在になろうともアイドルとは特別な存在なのだ。