茨木市合唱連盟

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音楽辞典(モダン派音楽)

2010年02月09日 | 更新情報

クラシック音楽ミニ辞典  日本音楽教育センターの資料より  

  
**モダン派音楽**




 **民族主義が新しい音楽ジャンルを生み出しました**

 近代音楽と言われるものは、一般的には19世紀後半から、第一次大戦
終結の1918年までを指しています。
 この時期のヨーロッパは、民族国家形成の社会運動に伴って各地で
ナショナリズムに目醒めた人々が活躍します。
 
 ロマン派の時代も終り頃になると、音楽はそれぞれの地域の特徴的な
自然、文化、風土を持ち出す様にもなってきました。
 その背景としてさまざまな民族運動の高まりがあり、それを国民楽派と
呼ぶ事もありますが、これは一つの独立した楽派と言うより、むしろ
ロマン派と近代の音楽の共通の背景と考えて良いでしょう。
 この時期の代表的な作曲家としては、ロシアのチャイコフスキー、
ボヘミアのドヴォルザーク、ノルウェーのグリーク等です。
 チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」や「弦楽セレナーデ」
には、ロシアの雪原の様な素朴ながらも美しい広がりが感じ取れる様です。
 又、ドヴォルザークの「スラヴ舞曲」には、ボヘミアの土の香りが、
グリークの「ソルヴェーグの歌」からは、北欧の民謡の調べが聴こえて
来るようです。
 しかし、それらはどれも、映画音楽のBGMの様な音楽ではなく、
それぞれの場所に生まれ育って来た作曲家自身の、内面にある感情から
生まれて来た音楽なのです。
 こうして音楽は、この様に1人1人の感性の違いをくっきりと表現
するほど、洗練されて行ったのです。

**ナショナリズムから近代・現代音楽へ**

 一方、中央ヨーロッパに影響されたチャイコフスキーに批判的だった
同世代のロシアの作曲家達はロシア民族としての意識を前面に押し出し
て活動しました。
 彼らは「ロシア5人組」と呼ばれ、特にムソルグスキー、リムスキー・
コルサコフ等が有名です。
 「ロシア5人組」がフランスの近代音楽に与えた影響にも大きいもの
があります。
 中でも、ムソルグスキーは印象主義の音楽を確立したドビュッシーに
大きな影響を与えました。
 又、近代管弦楽法の父とも称えられるリムスキー・コルサコフは、
巧みで効果的な色彩感溢れるオーケストラによる表現を生み出し、
後の時代への大きな遺産となりました。
 リムスキー・コルサコフの見事な管弦楽法は、「交響組曲 シェヘラザード」で
聴く事が出来ますが、ドビュッシーよりほんの少し後の世代のラヴェルの
管弦楽法にも、このリムスキー・コルサコフの影響が聴かれます。
 彼らの作品は、正にオーケストラの音色できらびやかに織られた
絵巻物の様です。
 この国民楽派の活動は、やがて発展して、中央ヨーロッパを中心とした
音楽に疑問を持ち始めた現代の音楽への橋渡しともなりました。
 ドヴォルザーク以降のチェコからはヤナーチェクが、ハンガリーからは
バルトークが、グリーク以後の北欧からはフィンランドのシベリウスが登場
しています。
 スペインでは、グラナドス、アルベニス、ファリャ等が活躍しますが、
彼らには、フランス近代音楽の祖とされるドビュッシーの確立した
印象主義音楽の影響を聴く事が出来ます。

 *国民楽派
  19世紀前半から20世紀初頭にかけて、スラヴ系の国々や、東欧、
 北欧等、それまでヨーロッパ音楽の主流にならなかった地域で、
 その国独自の音楽を作り上げようとした作曲家達の総称。

 *ロシア5人組
  19世紀後半に活動したロシアの国民楽派の作曲家5人のグループ。
  バラキレフ(1837~1910)、キュイ(1835~1918)、
 ムソルグスキー(1839~1881)、リムスキー・コルサコフ(1844~1908)、
 ボロディン(1833~1887)がそのメンバー。

 *印象主義
  19世紀後半にマネ、モネの画家を中心に興った印象派の考え方は
 光と色をより純粋に効果的に表現しようとするものであった。
  ドビュッシーはこの考え方を作曲に取り入れ、音楽における印象派の
 表現法を確立した。 

**無調音楽までの歩み**

 時代の流れの一つに、マーラー、ヴォルフ、リヒャルト・シュトラウス等、
ドイツ、オーストリアの後期ロマン派と呼ばれる作曲家達がいます。
 彼らはワーグナーに多大な影響を受け、その作曲技法を自らの作品に
取り入れていますが、中でも「半音階的和声」は最終的には現代音楽に
大きな革命をもたらしたシェーンベルクの「12音技法」へと辿る事が
出来ます。
 これまでの西洋音楽の歴史は、一つの調性の中では個々の音に
それぞれ役割があり、その中心となる主音に向かって終結する、
つまり旋律は落ち着く所に落ち着いて終わると言う、安定した着地感と
でも言うものを中心としてきました。
 それが「機能和声」の考え方です。
 この機能和声に基づいた調性による音楽がこれまでのロマン派の
作曲家達の基本にありました。
 ところがワーグナーは、作品の中でそうした終了感と言ったものを
先送りにする事を試みました。
 この方法は時を経るに従って次第に調性を曖昧にし、ついには
「無調音楽」へと突き進んで行きました。
 それを「12音技法」として理論的に確立したのが新ウィーン楽派の
シェーンベルクです。
 この技法は今世紀の多くの作曲家に多大な影響を与えました。

 *半音階的和声
  その楽曲の調性内の音以外の音を含む和音を多用する和声。
  特にワーグナーによって効果的に使用され、その後の音楽に重大な
 影響を与えた。

 *シェーンベルク・アルノルト(1874~1951)
  オーストリアの作曲家。
  ベルクやヴェーベルンらと新ウィーン楽派を形成。
  12音技法という今までの調性音楽から開放された新しい作曲技法を
 生み出し、第2次世界大戦以降の音楽に大きな影響を与えた。

 *12音技法
  無調音楽のひとつで、1オクターブの中の12の音を平等に扱い、
 隣り合う2つの音程関係を重視する作曲技法。

 *無調音楽
  調性を否定した音楽の形態の事。
  19世紀後半にシェーンベルクによって開始され、その後の音楽にも
 大きな影響を与えた。

 *新ウィーン楽派
  20世紀始め、ウィーンを中心に活躍した作曲家の総称。
  シェーンベルクとその楽派。

**新しい音楽への取り組みも始まります**

 ブルックナーの存在も近代音楽の一つの傾向を見据える上で欠かす
事が出来ません。
 ブルックナーは人間中心の主観主義全盛のロマン派作曲家の中では
端児と言っても良いでしょう。
 宗教的世界に彩られたブルックナーの音楽、彼は人間的世界から遠く
離れた高みから客観的に音楽世界を構築すると言う、広大無限な交響曲を
数多く作曲しました。
 又、古典派時代以降、作曲の分野では殆ど見るべきものがなかった
イギリスでもエルガーの登場以降、イギリス的なものを色濃く反映
させたヴォーン・ウィリアムやホルスト、ブリテンなどが活躍しました。
 一方、ワーグナーの影響下にありながらも、フランスではサティや
ドヴュっシーの様に、意図的に脱ワーグナーを試みる動きが起こりました。
 そのドヴュっシーの「印象主義」の音楽は、古典派以降の伝統的和声
進行から西洋音楽を開放し、ドイツを中心としたロマン主義からの決別
に決定的な影響を与えて現代に至っています。
 それは例えば、民族主義音楽の研究から出発して全音音階の使用で、
今世紀の音楽のあり方のひとつを示したハンガリーのバルトークや、
リムスキー・コルサコフ的作風から出発したストラヴィンスキーにも
聴かれるのです。

 *ブルックナー・アントン(1824~1896)
  オーストリアの作曲家。
  特に交響曲とミサ曲を中心とした作曲活動で、生涯カトリック
 信仰で貫いた。

 *全音音階
  全音の連続によって出来る6音による音階の事。
  ドヴュっシーが効果的に使用し印象主義の様式を特徴付けた。

 **古典への回帰とリズム重視の音楽の台頭**
 
 ストラヴィンスキーは、印象主義的作風から原始的でエネルギッシュ
な音楽に至りやがてロマン派的な情緒を排した新古典主義的な作風へと
向かいました。
 バルトークも新古典主義的な傾向と共に、打楽器を多用したダイナ
ミズム溢れる音楽を生み出しました。
 この様に、高らかに歌い上げる音楽から、打楽器の多様に象徴される
リズム重視の音楽への転換も、今世紀の音楽の大きな特徴の一つです。
 その中には、ガーシュウインに代表されるジャズのリズムも忘れる
事が出来ません。
 ジャズの影響は、パリを中心にラヴェルや以降の作曲家に刺激を与え
続けています。
 
 *全音音階
  ロマン派の音楽の特徴である情緒の過剰を排し、古典の形式と精神を
 重んじた作曲傾向。


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