母からの最期の手紙

2020年09月30日 | 日記

みなさん、今日もお元気だったでしょうか?

 

昨日はさほどでもなかったが、今日は秋晴れ~

洗濯を2回して、8時過ぎに整骨院へ。

2番だったので、直ぐ治療してもらえた。

それからお布団干したり、片付ける物があったりで

午前中はしっかり家事をしました。

 

午後から自治会館での体操。

今日も4人、私はフェイスシールドをつけて行った。

さすがにクーラーは要らず、網戸にし、扇風機は外に向けて点けていた。

・・・・

昨日のブログで書いた母からの最期の手紙は便箋に4枚。

書くことの好きな母だったが、寝込んでからは字も乱れ

母の字とは思えないようだったが、この夜もらった手紙の筆跡は

元気な時に机で書いたように見えた。

涙もろい母がどんな思いで、長兄、義姉、次兄、姉、私、妹に

書いたのであろうか?

それぞれにどんなことが書かれてあったのだろうか?

知る由もありませんが・・・

読むと目が腫れるほど泣けるので、何度も読みたく思ったけれど

読めなかった。

要所要所書き出してみます。

 

死は予測の出来ない時になります。

なげいたりせずカラオケもジャンジャンやりなさい。

泣いてくれては孝行ではないよ。喜んで送ってください。

それが最高の孝行です。

何事があっても動揺せずにください。

 

故郷の空」の歌が好きということは知っていたが

2番までの歌詞がしっかり書かれていた。

夕空はれて 秋かぜ吹き

月かげおちて 鈴虫なく

おもえば遠し 故郷の空

あゝわが父母 いかにおわす

 

美空ひばりさんの「柔」が好きだということも聞いてもいたし、

書かれてもいた。

色々書いてあり、更に最後に

これだけの心に母のあるものを

     泣いてくれるな 我が子なりせば アハハハ・・・

と短歌を詠み、

〇〇さん(私の主人)へくれぐれもよろしくお礼申し上げてください。

とあった。

手紙に付いてはこのくらいで・・・

・・・・・・

葬儀の時は「柔」の歌で送ってほしいと、元気な時から頼まれていたので

いつ何時知らせが来ても、持って帰るのを忘れないように、

「柔」のテープを用意してあった。

しかし、出棺の際にテープをかけることは、兄嫁の立場として、

出来ないということだった。

それはそうでしょうねぇ。

立場が逆だったら私もそう言うと思いました。

充分理解できたので、約束は果たせなかったが

枕元で聴かせてあげ、私としては精いっぱいのことをしました。

あれから23年、昨日のことのようです。  

 

メドセージです。

明日も皆さんにとって、良い日となりますように・・・