時には目食耳視も悪くない。

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2024年の総括②心の報酬

2024年12月15日 | ひとりごと
 一週間の過ぎるのが早いこと。刻一刻と2024年の残り時間が減って行きます。
 私がこのブログを続けている主な目的は、自分の思考を整理するためですが、そんな個人的なことはオンラインで公開する必要はないと以前に人から言われたことがあります。

 確かに、心の中の鬱憤をノートに書くか、文章ソフトに打ち込んで誰にも見せずにそっと保存しておけばいいのかもしれません。
 ですが、ブログで公開するということは、それなりの体裁を整え、第三者の目を意識するということなのです。
 そうすることで、それまで気がつかなかった自分の思考の癖や傾向が見えてくることもあり、その結果、どん詰まっていた将来への見込みが新しく開けてきて、また前向きに頑張ろうという気持ちにもなれるのです。

 ブロガーのように、不特定多数の人に見てもらって経済的効果を得ようという目的はないので、誰が読む読まないに関わらず、自分の心が吐き出したい言葉をただ綴っていくだけです。
 そもそも、20代30代の頃は、私の気持ちや意見をまともに聞いてくれる人はいませんでした。家族でさえ。
 周り人間たちから、言うことを聞けと言われることは多々ありましたが、私の希望が通ることはほとんどなかったのです。
 私は周囲の人たちにとって、「都合のよい人間」にされていたのだと思います。
 「若い頃の苦労は買ってでもしろ」みたいなことを、よく言われていました。その言葉を言う人間がどんな苦労をしたかは知りませんけど。

 私が何か意見しようとすると、「あなたって発言が批判的だよね」と言われて相手にされず、私には自由な発言が許されないことが多かったように思います。
 思えば、それゆえに、自由に言葉を綴れるブログを始めたくなったのかもしれません。世間の認知度が低ければ、何を書いてもクレームが来ませんからね。
 また、私は忘れっぽい性格なので、自分が思ったことでも時間が経つと忘れてしまうことが多いため、いつどんなことがあって、どんな気持ちになったかということを単純に記録しておくという目的もあります。(それこそ、ノートに書けって?笑)

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 さて、今週も好きに書きます。
 人生において報われるとはどういうことなのか、時々考えます。
 そういう時は決まって、人間関係で不都合なことがことが生じていることが多いのですが。

 誰だって不愉快な思いはしたくないものだと思いますが、音楽教室で仕事をしていると、こちらが望むと望まざるとに関わらず困った状況に陥ることがあります。
 例えば、まったく楽器を弾かずにいる子供、私の言うことも母親の言うことも聞かずに、ただ睨みつけてくる子もいます。
 (その場合、その子の意志ではなく、親の希望で教室に来ていることが多いです。)

 それから、これもまた私の言葉をちゃんと聞いてくれない年配の人、用意したテキストも「やりたくない」と拒否して、自分のやり方でしか弾こうとしない人。
 自己流なので、いつまでたってもまともに弾ける曲が一曲もないという人もいます。
 音楽教室は、あくまでも趣味で楽しむもので、試験があるわけでもありませんし、専門性をきわめる必要もありません。

 どんな生徒に対しても、バイオリンを教えるという仕事をしている以上、私は私の仕事を全うするべきなのだと思います。
 音楽のルールを守らないままで平然としている人に苛立ちを覚えても、人として最低限の礼儀が身についていない(身につけようとしない)子供に嫌悪を感じたとしてもです。
 こうして冷静に考えれば、そうしなければいけないと分かっているのに、実際にその場面に立ち会うと、どうしてもストレスを感じてしまいます。

 レッスンをしに教室に来ているのに、楽器の準備もせずに関係ないおしゃべりをしたり、部屋の中を歩き回ったり、教室の備品にいたずらをいたり。
 私が子供の頃に同じことをすれば、父親から恫喝されましたし、容赦なく叩かれました。
 それは「いけないこと」だと覚え込まされたのです。
 だから、それをしない今の親が信じられなかったりもするのです。
 「まだ子供なんだから」という大人を軽蔑してしまいます。では、いつから教えるのでしょう?

 今、教えなければ、知ることのないまま大人になるのでは?と思ってしまうのです。
 叱られない子供が子供を育てている。
 人として対話のできない親が、誰の話も(親の話さえ)聞かない子供を連れて音楽教室に来ます。

 もちろん、そんな人たちばかりではないし、ちゃんとしている人はちゃんとしています。
 たまたま遭遇した困ったさんたちを例にして、それを一般化する気はありません。
 それに、私も絶対的に正しいわけではありません。私もまた未熟な人間なのだから、自分自身の問題と向き合わなくてはいけません。
 40歳をとうに過ぎているとしてもです。

 私は誰かに何かを教えることができるような人間ではないと自覚しながら音楽教室の仕事をしていますし、できればあまり人と関わらずに生きていきたいと思っている人間です。
 ですが、他にやらせてもらえる仕事もありませんし、向いていようがいまいがやらなければ生活していくことができないのであれば、やるしかありません。
 昔も今も、社会に馴染もうと努力して、うまくいかないことの繰り返しなのです。

 小学生の頃から、子供にも大人にも馴染めずに孤立していました。
 休み時間に静かな図書室に行って、好きな本を探している時が一番楽しかった記憶があります。
 家庭内で一方的に父親から怒鳴りつけられて、自由な発言や行動を禁じられていたせいか、人との関わり方が分からなくて、学校の人たちを戸惑わせるような振る舞いしかできなかったから、軽い仲間外れや、バイキン扱いをされたし、私の家庭環境がヤバイと感じた先生から、個別に聞き取りのようなことをされた覚えもあります。

 「先生からお父さんに言ってあげるよ」と言ってくれた先生もいましたが、子供心に父親が納得するとは思えなくて断りました。
 もし、あの時、学校が私の家庭に介入していたら、父親は変わったでしょうか?
 家族を大声で怒鳴りつける習性を治してくれたでしょうか?
 子どもたちに音楽家になれと強制することをやめたでしょうか?
 私は自分の人生を自分で決定することができたでしょうか?

 あるいは、徹底的に父親に反抗して、それでも父親は変わらないから、私も家族でいることを拒否して、施設などに隔離してもらって生きていたら、どんな人生だったのでしょうか?
 どんなルートを辿っても、それなりに苦しいし、楽な人生なんて一つもないことは分かっています。
 それに、そこまでの覚悟や知識(保護や施設といった考え)は小学生の私にはありませんでした。

 結局、どんな人生でもハードモードなことに変わりはありません。
 誰でも、苦しさや辛さを抱えながら生きているから、他人の人生を嫉んでしまうのだと思います。
 「隣の芝生は青く見える」という言葉もあります。

 沢山勉強をして、高い学歴を手にし、何でも知っており、自分をエリートだと自覚している人たちの中には、そうではない人たちを「低学歴」や「物を知らない」と言って馬鹿にする人がいます。
 それは、知識を持っている人が、持たざる人を下に見ることで自尊心を満たしているように見えます。
 それが「エリート」と呼ばれる人たちにとっての心の報酬になるのかもしれません。

 人を見下しても経済的な利益は得られませんが、自分の心を満たすことはできるのです。(人によりますが)
 私にとっての心の報酬は、そういう人たちに会わずに済んでいることです。

 会社や何らかの組織に属すれば、そういう人が少なからず存在しますが、幸か不幸か私は就職活動に成功しなかったので、会社員にはなれませんでした。
 音楽教室で教えているとはいえ、職場の人間関係が密接になることはありませんし、受験などとは無縁のこういう現場では学歴が重視されることがないようです。
 それよりはむしろ、生徒からの評判や、仕事に対する姿勢の方が大切なようです。
 個人事業主として契約しているので、労働者としては扱われず、社会的に損をしている(職歴とみなされないので無職と同じ扱い)と感じることはありますが、この世界の片隅にかろうじて存在することができ、自分の心を守ることができているのは、本当にささやかですが幸せなことだと思っています。

 少しでも気を抜けば、たやすく踏み潰されてしまう幸せでもあります。
 他人から見たらつまらない私だけの幸せを、私はこの歳になってようやく手にすることができました。
 かつて、私には配偶者がいました。
 私は専業主婦で、相手は一時は働いて家計を支えてくれましたが、しばらくすると仕事を辞めてしまい、「自分が使うお金は自分で稼いでくれ」と意味の分からないことを言われました。
 さらに、「仕事をするからには、社会的に意義のある仕事をするように」とまで言われました。(スーパーやコンビニのバイトではダメということらしいです。)

 今なら、笑ってしまえる出来事ですが、当時は意味が分からな過ぎて本当に途方に暮れました。
 あれやこれやがあって、今、私は世間でいうところの「独身中高年女性」なわけですが、今の方が断然幸せです。
 世間から笑われたとしても、誰かと一緒にいることで苦しい思いをするくらいなら、私は死ぬまで一人でいたいのです。
 (孤独死だけは避けなければいけませんね...)

 自分一人分が生き延びられるだけの仕事をして、あとは一人でのんびり好きな本を読んで余生を過ごすことができれば、それが私にとっての心の報酬となります。
 来年も、このささやかな報酬のために頑張っていこうと思います。


(2024年の総括③に続く)


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