この記事のタイトルは、私の母校の学長がよく口にしていた言葉ですが、社会における男女間の不公平―「差別」という言葉が使われますが―は、度々社会問題として取り上げられる話題です。
少し前に、ある大学の医学部の合否判定において、男女間に不公平があったことがニュースになりました。
しかし、医師という職務内容は必ずしも女性の体力に見合ったものばかりではないという意見もあり、しかも、結婚や出産、育児などで離職するのであれば、女性医師を育成することに消極的でも止む無しとの考えが、なんとなく世の中に受容されたような印象を受けました。
人間の本来の目的は、種の継承だと私は思います。
社会で活躍することも意義のあることだと思いますが、第一に重視すべきことは安全な環境で子供を育てることではないでしょうか。
それができなければ、人口がどんどん減っていき、終いには活躍できる社会自体が消滅する可能性もあるのです。
人類最後の人間になった時の悩みが、就職先がないことなんて、笑い話みたいですね。
しかし、このまま少子高齢化が進めば、いずれそれが笑い話ではなくなる時がやって来るかもしれません。。。
現代社会では、あまりにも「男らしさ」や「女らしさ」という概念を対立させ過ぎているような気がします。
女ならば家事全般ができて、美容に興味があって、男性のお世話をして当然だとか、男は細かいことを気にせずに豪快に生きるべき(もはや意味不明)などという概念から少しでもはみ出すと、「あの人は変わり者だ」と異端視されてしまうばかりか、謂れのない酷い扱いを受けることもあるような気がします。
男女に関わらず、できる人ができることをやる社会ではいけないのでしょうか。
私たちは、一人一人の社会における役割分担を考えるあまり、人間本来の目的を見失っているような気がします。
大切なことは、今後も人類が生命を繋いでいくことではないでしょうか。
働いて経済効果を上げるとか、社会的地位を手に入れるとか、高い評価を得ることは全て副次的なことと考えれば、男性だけ(もしくは女性だけ)が働いて出世する世の中でも、結婚率や出生率が高ければ人類の将来のためには「良い社会」と評価できるのかもしれません。
しかし、「働かない人間はダメだ」という考えが根底にあるために、女性が家庭にいることが良くないことのように思う人もいるようです。
決して、働かなくていいと言っているわけではありません。
女性でも男性でも、安心して家事や育児に従事できる社会にした方が、将来的な人口減少に歯止めをかけられるのではないかと私は思います。
男性だけでも、女性だけでも、子供は産まれません。
私たちは、社会を形成するために存在するのではなく、私たちが存在することによって社会が形成されるのだと考えた方がいいような気がします。
誰が言い出したのか、何のためのものかも分からない「平等」を実現させるために、社会の中で活動する男性と女性の数を揃えることが、果たして人類に恒久的な繁栄をもたらすのでしょうか?
そんなふうに、無理矢理「平等」にした結果、生じる不都合や矛盾を無視したまま、ただ盲目的に「男女平等」を唱えることは人々を生きづらくさせるだけだと思います。
かつて、「女には学問が要らない」という考えがありました。
それこそ、女性蔑視という非難を浴びそうな考えですが、裏を返せば、安心して子孫を育んで欲しいという願いの言葉なのではないでしょうか。
こんなことを言うと、「女性は子供を産む機械ではない!」と憤慨する人もいるかもしれませんが、もちろん、女性が機械だなんて言うつもりはありません。
しかし、女性にしかできないこと、男性にしかできないことは確かに存在します。
世間の風潮に合わせたり、誰かの言う通りにするのではなく、大切なのは現実を見極めることです。
私たちは一人一人、見つめている現実が違います。
自分が見ていることだけでなく、他人に見えていることも認めてあげること。
例え、それが自分に見えないものであってもです。これは、難しいことです。
ほとんどの人は、自分に見えているものさえもはっきりとは分からないままに、周囲に流されてしまうのではないかと思います。
また、そうした方が楽な場合もあります。
でも、いずれ、それでは苦しくなる時期がやってくるのです。
今はあたかも、そうすることが正義というかのように推し進められている「男女平等」ですが、将来的には行き詰まりがやってくるでしょうし、その時になってから、やっぱり「女性が安心して子供を産み育てられる社会にしよう」と言っても、簡単に方向転換できる社会であるという保証はありません。
かつては学問をするなと言われ、今は男性並みに働かなくてはいけないと言われ、結局、女性は振り回され損だとおもいます。
(そして、実質的に男性優位に変化はないですから…)
ともあれ、歴史の中に埋もれていた女性作曲家たちを掘り起こした《女性作曲家列伝》小林緑編著(1999 平凡社)は、クラシック音楽における女性の活躍の記録です。
彼女たちが音楽家として、どんな社会で、様々な現実と向かい合いながら生きたのか、今を生きる女性のみなさんへのエールになることを願っています。
※雑談動画【本の林】第16冊を再生するには、こちらをクリックするか、「本の林」で動画検索をお願いします。
少し前に、ある大学の医学部の合否判定において、男女間に不公平があったことがニュースになりました。
しかし、医師という職務内容は必ずしも女性の体力に見合ったものばかりではないという意見もあり、しかも、結婚や出産、育児などで離職するのであれば、女性医師を育成することに消極的でも止む無しとの考えが、なんとなく世の中に受容されたような印象を受けました。
人間の本来の目的は、種の継承だと私は思います。
社会で活躍することも意義のあることだと思いますが、第一に重視すべきことは安全な環境で子供を育てることではないでしょうか。
それができなければ、人口がどんどん減っていき、終いには活躍できる社会自体が消滅する可能性もあるのです。
人類最後の人間になった時の悩みが、就職先がないことなんて、笑い話みたいですね。
しかし、このまま少子高齢化が進めば、いずれそれが笑い話ではなくなる時がやって来るかもしれません。。。
現代社会では、あまりにも「男らしさ」や「女らしさ」という概念を対立させ過ぎているような気がします。
女ならば家事全般ができて、美容に興味があって、男性のお世話をして当然だとか、男は細かいことを気にせずに豪快に生きるべき(もはや意味不明)などという概念から少しでもはみ出すと、「あの人は変わり者だ」と異端視されてしまうばかりか、謂れのない酷い扱いを受けることもあるような気がします。
男女に関わらず、できる人ができることをやる社会ではいけないのでしょうか。
私たちは、一人一人の社会における役割分担を考えるあまり、人間本来の目的を見失っているような気がします。
大切なことは、今後も人類が生命を繋いでいくことではないでしょうか。
働いて経済効果を上げるとか、社会的地位を手に入れるとか、高い評価を得ることは全て副次的なことと考えれば、男性だけ(もしくは女性だけ)が働いて出世する世の中でも、結婚率や出生率が高ければ人類の将来のためには「良い社会」と評価できるのかもしれません。
しかし、「働かない人間はダメだ」という考えが根底にあるために、女性が家庭にいることが良くないことのように思う人もいるようです。
決して、働かなくていいと言っているわけではありません。
女性でも男性でも、安心して家事や育児に従事できる社会にした方が、将来的な人口減少に歯止めをかけられるのではないかと私は思います。
男性だけでも、女性だけでも、子供は産まれません。
私たちは、社会を形成するために存在するのではなく、私たちが存在することによって社会が形成されるのだと考えた方がいいような気がします。
誰が言い出したのか、何のためのものかも分からない「平等」を実現させるために、社会の中で活動する男性と女性の数を揃えることが、果たして人類に恒久的な繁栄をもたらすのでしょうか?
そんなふうに、無理矢理「平等」にした結果、生じる不都合や矛盾を無視したまま、ただ盲目的に「男女平等」を唱えることは人々を生きづらくさせるだけだと思います。
かつて、「女には学問が要らない」という考えがありました。
それこそ、女性蔑視という非難を浴びそうな考えですが、裏を返せば、安心して子孫を育んで欲しいという願いの言葉なのではないでしょうか。
こんなことを言うと、「女性は子供を産む機械ではない!」と憤慨する人もいるかもしれませんが、もちろん、女性が機械だなんて言うつもりはありません。
しかし、女性にしかできないこと、男性にしかできないことは確かに存在します。
世間の風潮に合わせたり、誰かの言う通りにするのではなく、大切なのは現実を見極めることです。
私たちは一人一人、見つめている現実が違います。
自分が見ていることだけでなく、他人に見えていることも認めてあげること。
例え、それが自分に見えないものであってもです。これは、難しいことです。
ほとんどの人は、自分に見えているものさえもはっきりとは分からないままに、周囲に流されてしまうのではないかと思います。
また、そうした方が楽な場合もあります。
でも、いずれ、それでは苦しくなる時期がやってくるのです。
今はあたかも、そうすることが正義というかのように推し進められている「男女平等」ですが、将来的には行き詰まりがやってくるでしょうし、その時になってから、やっぱり「女性が安心して子供を産み育てられる社会にしよう」と言っても、簡単に方向転換できる社会であるという保証はありません。
かつては学問をするなと言われ、今は男性並みに働かなくてはいけないと言われ、結局、女性は振り回され損だとおもいます。
(そして、実質的に男性優位に変化はないですから…)
ともあれ、歴史の中に埋もれていた女性作曲家たちを掘り起こした《女性作曲家列伝》小林緑編著(1999 平凡社)は、クラシック音楽における女性の活躍の記録です。
彼女たちが音楽家として、どんな社会で、様々な現実と向かい合いながら生きたのか、今を生きる女性のみなさんへのエールになることを願っています。
※雑談動画【本の林】第16冊を再生するには、こちらをクリックするか、「本の林」で動画検索をお願いします。
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