今年も盛大な愚痴タイムがやってまいりました。
今年一年で溜めた心のヘドロを、思う存分ぶちまけたいと思います。
あまり愉快な内容ではないので、苦手な人は読まないで下さいね!(覚悟はいいですかー?笑)
この世の中には、誰に命令されることなく、強制されることなく自分が予定していることを予定通りに実行しながら生活できる人と、そうでない人がいるような気がします。
これは私の勝手な実感なので、そう思わない人もいるだろうことは分かっています。あくまでも、私個人の非常に狭い範囲の経験に基づいた所見です。
自分のやりたいことができる人生を歩んでいる人は幸せだと思います。
もちろん、やりたいことをやるために沢山努力をして、様々な困難を乗り越えての結果だということは分かっています。
決して、その人が何の苦労もせずに自分のやりたいことをやっていると言うつもりはありません。
ですが、どんなに頑張っても、多大な犠牲をはらっても自分のやりたいことが出来ない人もいます。
どちらかといえば、私は「こっちの人間」です。
少し虚弱体質なので、人より疲れやすく沢山の人との交流の場では疲弊しきってしまいます。
少人数で短時間であれば、問題なく交流することができるので、音楽教室の仕事は続けることができています。
仕事柄、音を集中して聞くことが求められるので、神経が疲れますし、大きな音が苦手なので仕事以外で音楽を聴くことはあまりありません。
騒がしい人混みも避けるようにしています。
疲労が溜まっている時に自動車がせわしなく行き交う街中にいると、息苦しくなって、目の前がクラクラしてくることがあります。
おそらく、疲労とストレスが原因で精神的な余裕がなくなって、神経が映像や音声の情報を受け付けなくなっているためなのだろうと思います。
今まで読んだ本の中に、心因性のストレスによって、電車に乗ることができなくなったケースが書かれてあったのを覚えています。
多分、それと似たような症状なのだと思います。
自分と同年代の人の話を聞くと、外国にお子さんと旅行に行ったとか、語学習得や美容に力を入れていたり、充実した人生を送っているような印象を受けます。
一方で、自分は日々の疲労とストレスに負けないように生きるだけで精一杯。時には、どうにか続けている努力を他人に土足で踏みにじられるような出来事が起こったりもして、心身共にダメージを受けて、いよいよ人と関わることに嫌悪を感じることもあります。
社会の中で生きるには、特別なことができたり、何かを目指さないといけないし、何者かにならなければいけないと強制されているような気持ちになるのです。
SNSをやるならバズらないといけないし、芸能活動をするならテレビに出て有名になるのが主な目的で、そうならない人は「残念な人」認定されてしまう世界になっているような気がします。
そのため、とある芸能人が一時期テレビに出なくなると、すぐに「干された」と評されてしまいます。芸能人としての活動はテレビ出演だけではないというのに。本当に疲れる世の中です。
社会が求めるような人間になるように期待され、その期待に応えられなければ存在を否定されてしまう。
このような考えは大袈裟だと感じる人もいるでしょう。
多くの人は社会の中で、一人ぼっちでいることにストレスを感じるようですが、私の場合は誰かと接することによって、神経が過剰に過敏になって消耗してしまうのかもしれません。
=====
飲食店のアルバイトを始めたのは、2020年のコロナ禍で音楽の仕事が全くなくなってしまった時に、経営者である知人からバイトをしないかと声をかけてもらったことがきっかけでした。
それまで、飲食店で働いたことがなく、慣れないことばかりで仕事を覚えるのが大変でしたが、収入ゼロ生活を続けるわけにはいかないと何とか続けることができました。
そうこうするうちに、音楽教室の仕事が週5日で入るようになり、二つの仕事を両立するのは体力的に厳しかったのですが、音楽教室の方もまたいつ仕事がなくなってしまうか分からないという不安があったので、貧弱な身体に鞭打って頑張ってきました。
今年、2024年になってから、コロナに罹患したり、体調を崩すことが多くなり、またそこからの体力回復にかなりの時間がかかるようになりました。
これまで、体調不良の改善のために漢方外来に通院したり、体質に合わせた食事をしたり、出来る範囲での運動を取り入れたり、自分なりに努力してきましたが、ここにきて、体力がもう追いつかないのかもしれないと感じるようになりました。
自分の能力、体力、ペースを超えて生きることはできないのだと実感せざるを得ません。
しばらくは、音楽教室の仕事だけに専念して、というかそうせざるを得なかったのですが、飲食店のアルバイトの方はやめることにしました。
私のような人間は、ハイペースな社会の流れから振り落とされて、置いていかれてしまうのでしょう。
将来的に、国民年金は減額されるようなことをよく耳にしますし、もしかしたら、支給されることもなくなるかもしれません。
そうなれば、今の私は何のために少ない収入の中から、年金の掛け金を支払っているのでしょう。
年金が支給される年齢に達する前に、虚弱体質でくたばるかもしれないのに…
とは思うものの、では掛け金を支払うのをやめるという選択もできない小心者でもあります。
考えれば考えるほど、希望は持てなくなりますし、真面目に生きていくことが馬鹿らしくなってきます。
思えば、大学院を修了した時、学長から「ここで学んだことをもとに、社会に貢献すること」という有難いお言葉をいただきましたが、社会は私程度の凡人なんか必要としていないということが今までの人生で分かってきましたし、私から見ても、積極的に貢献したくなるような社会とも思えないのです。
それでも、一応、餓死しないだけの仕事はありますし、年度末には確定申告をして、選挙では投票にも行きます。
それが、今の私にできる精一杯の生き方なのだと思います。
死なないように仕事をして、社会人として最低限の義務を果たし、後は傷つけられないように自分を守りながらひっそりと生きることができれば、私はそれでいいのです。
来年も、自分の体力、体調と相談しながら、自分のペースで歩いていこうと思います。(這いつくばっての間違いかな…笑)
(2024年の総括②に続く)
今年一年で溜めた心のヘドロを、思う存分ぶちまけたいと思います。
あまり愉快な内容ではないので、苦手な人は読まないで下さいね!(覚悟はいいですかー?笑)
この世の中には、誰に命令されることなく、強制されることなく自分が予定していることを予定通りに実行しながら生活できる人と、そうでない人がいるような気がします。
これは私の勝手な実感なので、そう思わない人もいるだろうことは分かっています。あくまでも、私個人の非常に狭い範囲の経験に基づいた所見です。
自分のやりたいことができる人生を歩んでいる人は幸せだと思います。
もちろん、やりたいことをやるために沢山努力をして、様々な困難を乗り越えての結果だということは分かっています。
決して、その人が何の苦労もせずに自分のやりたいことをやっていると言うつもりはありません。
ですが、どんなに頑張っても、多大な犠牲をはらっても自分のやりたいことが出来ない人もいます。
どちらかといえば、私は「こっちの人間」です。
少し虚弱体質なので、人より疲れやすく沢山の人との交流の場では疲弊しきってしまいます。
少人数で短時間であれば、問題なく交流することができるので、音楽教室の仕事は続けることができています。
仕事柄、音を集中して聞くことが求められるので、神経が疲れますし、大きな音が苦手なので仕事以外で音楽を聴くことはあまりありません。
騒がしい人混みも避けるようにしています。
疲労が溜まっている時に自動車がせわしなく行き交う街中にいると、息苦しくなって、目の前がクラクラしてくることがあります。
おそらく、疲労とストレスが原因で精神的な余裕がなくなって、神経が映像や音声の情報を受け付けなくなっているためなのだろうと思います。
今まで読んだ本の中に、心因性のストレスによって、電車に乗ることができなくなったケースが書かれてあったのを覚えています。
多分、それと似たような症状なのだと思います。
自分と同年代の人の話を聞くと、外国にお子さんと旅行に行ったとか、語学習得や美容に力を入れていたり、充実した人生を送っているような印象を受けます。
一方で、自分は日々の疲労とストレスに負けないように生きるだけで精一杯。時には、どうにか続けている努力を他人に土足で踏みにじられるような出来事が起こったりもして、心身共にダメージを受けて、いよいよ人と関わることに嫌悪を感じることもあります。
社会の中で生きるには、特別なことができたり、何かを目指さないといけないし、何者かにならなければいけないと強制されているような気持ちになるのです。
SNSをやるならバズらないといけないし、芸能活動をするならテレビに出て有名になるのが主な目的で、そうならない人は「残念な人」認定されてしまう世界になっているような気がします。
そのため、とある芸能人が一時期テレビに出なくなると、すぐに「干された」と評されてしまいます。芸能人としての活動はテレビ出演だけではないというのに。本当に疲れる世の中です。
社会が求めるような人間になるように期待され、その期待に応えられなければ存在を否定されてしまう。
このような考えは大袈裟だと感じる人もいるでしょう。
多くの人は社会の中で、一人ぼっちでいることにストレスを感じるようですが、私の場合は誰かと接することによって、神経が過剰に過敏になって消耗してしまうのかもしれません。
=====
飲食店のアルバイトを始めたのは、2020年のコロナ禍で音楽の仕事が全くなくなってしまった時に、経営者である知人からバイトをしないかと声をかけてもらったことがきっかけでした。
それまで、飲食店で働いたことがなく、慣れないことばかりで仕事を覚えるのが大変でしたが、収入ゼロ生活を続けるわけにはいかないと何とか続けることができました。
そうこうするうちに、音楽教室の仕事が週5日で入るようになり、二つの仕事を両立するのは体力的に厳しかったのですが、音楽教室の方もまたいつ仕事がなくなってしまうか分からないという不安があったので、貧弱な身体に鞭打って頑張ってきました。
今年、2024年になってから、コロナに罹患したり、体調を崩すことが多くなり、またそこからの体力回復にかなりの時間がかかるようになりました。
これまで、体調不良の改善のために漢方外来に通院したり、体質に合わせた食事をしたり、出来る範囲での運動を取り入れたり、自分なりに努力してきましたが、ここにきて、体力がもう追いつかないのかもしれないと感じるようになりました。
自分の能力、体力、ペースを超えて生きることはできないのだと実感せざるを得ません。
しばらくは、音楽教室の仕事だけに専念して、というかそうせざるを得なかったのですが、飲食店のアルバイトの方はやめることにしました。
私のような人間は、ハイペースな社会の流れから振り落とされて、置いていかれてしまうのでしょう。
将来的に、国民年金は減額されるようなことをよく耳にしますし、もしかしたら、支給されることもなくなるかもしれません。
そうなれば、今の私は何のために少ない収入の中から、年金の掛け金を支払っているのでしょう。
年金が支給される年齢に達する前に、虚弱体質でくたばるかもしれないのに…
とは思うものの、では掛け金を支払うのをやめるという選択もできない小心者でもあります。
考えれば考えるほど、希望は持てなくなりますし、真面目に生きていくことが馬鹿らしくなってきます。
思えば、大学院を修了した時、学長から「ここで学んだことをもとに、社会に貢献すること」という有難いお言葉をいただきましたが、社会は私程度の凡人なんか必要としていないということが今までの人生で分かってきましたし、私から見ても、積極的に貢献したくなるような社会とも思えないのです。
それでも、一応、餓死しないだけの仕事はありますし、年度末には確定申告をして、選挙では投票にも行きます。
それが、今の私にできる精一杯の生き方なのだと思います。
死なないように仕事をして、社会人として最低限の義務を果たし、後は傷つけられないように自分を守りながらひっそりと生きることができれば、私はそれでいいのです。
来年も、自分の体力、体調と相談しながら、自分のペースで歩いていこうと思います。(這いつくばっての間違いかな…笑)
(2024年の総括②に続く)
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