Afee blog

Anwish

3月29日ライブ出演キャンセル

2014-04-14 23:49:04 | Weblog
皆様には大変ご心配をおかけしましたが、
インフルエンザも治りやっと体調が回復致しました。
 
29日のライブを楽しみにしてくださっていた皆様、ブルーアイズの皆様、本当に申し訳ありませんでした。
 
普通の風邪を長くひいていたところにインフルエンザをもらったようで、かなり長引いてしまいましたが、ようやく本調子です。
 
今回のライブでは、インフルエンザを発症してから出演日が近かった為、お医者様とも相談しましたが、感染拡大する可能性があるとの事もあり、やむなくキャンセルさせて頂く事となりました。
本当に申し訳ありませんでした。
 
こんな事がないように、いつも予防接種を受けるのですが、なぜかかかってしまい…
情けない限りです。
 
今回は、皆様に大変残念な思いをさせてしまいましたが、次回ライブで、しっかりお返ししていきたいと思いますので、皆様どうか今後とも変わらぬ応援をよろしくお願い致します。
 
この度は、本当に申し訳ありませんでした。
 

今年も本当にありがとうございました!

2013-12-31 21:02:05 | Weblog

今年も残すところあとわずかですが今年も大変お世話になり、
本当にありがとうございました。

振り返れば今年は、神戸、大阪、京都、横浜、岩手とさまざまな場所で歌わせて頂き、
たくさんのかけがえのないご縁を結ぶ事が出来ました。
またプロ野球戦での国歌斉唱という大きなステージを踏ませて頂く事が出来、大変に嬉しい一年でした。
皆様には、暖かく見守って頂き、本当にありがとうございました。

これからも一瞬一瞬のステージを精一杯に、そして出会えたお一人お一人とのご縁を大切にし、
これからも頑張って参りたいと思いますので、今後ともどうぞ変わらぬ応援をよろしくお願い致します。

来年のAnwishは、2月頃までは、創作活動予定ですが、そこからはまたしっかりとLIVE活動をと
考えております。
また、来年は念願のCDをと考えております!
一歩一歩、誠実に、そして精一杯頑張って参りますので、どうか今後ともAnwishをよろしくお願い致します。

愛を込めてAnwish-Afee


魂の歌

2013-12-31 18:36:38 | Weblog
幼い頃、家には、たくさんのレコードがあって

いつも魅力的な音楽が流れていた

すべてが聞きなれない言葉だったけれど

流れるようで、どこまでも美しかった


歌う人の感情や描かれる情景は、幼い私には分かるはずもないのに

いつしか私と溶け合って、なぜか涙になって溢れた


彼女の歌を聴くと、あの頃を思い出す

聞く人の状況や感情など全く関係なく

国境さえ飛び越えて、歌が聞く人と溶け合うんだ
 
 

衝撃的な一枚

2013-12-26 10:46:08 | Weblog

長らく、blogをお休みしていました

みんなに、お話したいことはたくさんあるけれど、日々頑張っていますよ!

Anwishは現在、楽曲制作中という感じlです

ただ作って歌うのではなくて

日々の小さな事を大切に

出会いを大切に

感謝を忘れずに

そうやって人としての成長を大切にしたい

そしてより音楽を深めていきたい

歌うということを深めたいと思うのです

 

自分をアピールするのではなくて、もっと音と一体になりたい

音の中で描かれる情景の一部であり一色でありたい

最近、とても強くそう思います

 

そして今年一番衝撃を受けた

その人の声はどこまでもnaturalで、とても心の強さを感じる素晴らしい声の方でした

「Nao Yoshioka」さん

 

日本にとって世界に誇れるSingerである事は間違いないと思います

是非、一度聞いてみて

 


ご報告 ライブキャラバン収支決済

2013-09-08 23:25:13 | Weblog
「ライブキャラバン Wish on a Rainbow ~港町から港町へ・祈りよ届け大槌町へ」
の多大なご協力を頂き、本当にありがとうございました!

大変遅くなってしまいましたが、収支決済が出ましたので、ご報告させて頂きます。
今回は、多大なご支援を頂きましたが残念ながら岩手への寄付までには至らない結果に
なってしまいました。...
本当に申し訳ありません。

スタッフの方々が宿泊する場所も決めずに、なりふり構わず、お忙しい中を
寸暇を惜しんで動いてくださった事

たくさんの方々が岩手へという思いでカンパ、ご寄付してくださった事

そして、岩手の方々の笑顔、、、

本当に忘れられません。

私達は、お応えする事が出来たでしょうか?
まだ、答えは見えていません。

でも、岩手へ行かせていただき思った事。

今の岩手の現状を発信するという重要性。

そして心の復興という問題。

それは岩手の方々と音楽を通してふれあい、私達にも少しでも何か出来る事が
あるのではないかと感じました。

そして、息の長い支援が必要だという事も痛感いたしました。

まだまだ未熟な私達ですが、今後も繋がっていきたい。
そして少しでも力になれたらと思います。

ご協力くださった皆様、本当にありがとうございました。



(チームリンクス野村さんFB文章引用)
【収支報告につきまして】

大変遅くなりました。
チームリンクスの野村でございます。

まず、大切なこちらの対応遅くなりましたこと誠にもうしわけございません!

今回チームリンクスにて企画させていただきました
ライブキャラバン Wish on a Rainbow ~港町から港町へ・祈りよ届け大槌町へは
皆様の多大なご協力にて、無事実施させていただくことができました。

ありがとうございました!

決済書につきましては、添付画像をつけさせていただいておりますのでご確認ください。

キャラバン自体の様子について、被災地の模様は、Afee solさんのブログや
JIINOさんのFBにて公開させていただきましたとおりですが、全体の報告また、
今回3、000円以上募金をいただいた方への記念CDは現在製作中でございます。
※CDの発送先手配として、私のほうで、個人情報のヒアリングを直接させて
いただくこともございますので、宜しくお願いいたします。

私から最後に。
企画当初の想像よりも被災地の被災状況が酷く、直接いってみてこそわかること
感じることができることがございました。

今回急に展開することとなった企画ではございましたが、たくさんの方に
応援いただき、アーティストやスタッフの皆さんのご協力、シーリンクの内海さんからの
車ご提供や、岡畑農園の岡畑常務からのフォローで実施できたこのキャラバン。

来年はまた違った形でさらに タイトル通り、願いを届ける虹になることができるよう企画
していきたいと考えております。

本当にどうもありがとうございました!!

チームリンクス 野村


ライブキャラバン Wish on a Rainbow ~港町から港町へ・祈りよ届け大槌町へ!~�

2013-08-22 23:50:20 | Weblog

そして、私がこの岩手の訪問で、一番衝撃を受けたのが、数十名の命が奪われたという、大槌町の町役場。



ここに立った時、誰もが言葉を失った。

訳もなく涙があふれそうになった。
うまくは表現出来ないけれど、魂が宿っているようで、思いがつまっているようで胸が押しつぶされそうになった。

きっと写真では伝わらないだろう・・・

出来る事なら一度は、この場所に立ってみてほしい。

言葉でも写真でも、伝え切れない多くの事を感じてほしいから。



最終日には、三陸銘菓「かもめの玉子」を作られている、さいとう製菓さんが運営されている「津波伝承館」に行かせて頂いた。

この日は、お盆休みで休館のはずが、館長である、さいとうさんのご好意で入館させていただく事が出来た。



この伝承館は、震災、そして津波で多くの尊い命が奪われた事実を風化させない為に、そして今後、震災や津波で一人でも多くの人に助かって欲しいという強い思いから作られた。

今後も日本は、大規模な南海トラフ地震がこの100年の間に発生する可能性が高いと言われている。

もし、発生すれば東日本大震災の10倍の被害が出ると言われ、死者は最悪で32万人。

でも、適切な対応で死者は5分の1に被害を抑えることが出来るとも言われている。

南海トラフ地震の予想は、M9.1。
津波は最大で、高知県34mが予想されている。

それを考えると、「津波伝承館」の存在は本当に大きい。

伝承館でお聞きした事は、「人は災害時などに、自分自身には大変な事は起こらない」という、冷静にいようとする心理が働くそうで、亡くなられた方々の多くは「ここまでは、津波はこないだろう」と逃げなかった方や、一度は非難したのに、自宅にまた戻られた方がとても多いとの事だった。

「地震があったらすぐに高いところに、非難する。そして、絶対に戻らない。」
簡単な事のようだけれど、その時、本当に動けるのか。
この伝承館が一番伝えたいことだ。

また、伝承館では、実際にさいとうさんが撮影されたビデオが放映されている。
地震発生から、津波に街が飲み込まれていく様子。

建物がきしみ、潰れていく音
あちらこちらから吹き出る煙
あっという間に全てが飲み込まれていく

「もうやめてくれー!」と泣き叫ぶさいとうさんの声と共に
多くの方々の泣き叫ぶ声が収められていた。

もう、誰も涙を止められなかった・・・

ビデオ放映の後は、食料確保等に大変苦労された体験もお話くださった。

「お金なんて何の役にも立たないよ。物々交換になるからね。」
そして、周りの人達との日々のコミュニケーションが大切だと強く語られていた。

そして、印象的だったのは、

「震災後何もなくなってみんなもうダメだと思った。でも、ボランティアの方の姿を見て、私らも頑張らないといかんのやと気がついた」

と、復興のきっかけを語られた言葉だった。

そして「人は、決して一人では生きられない。」

そうおっしゃっていた言葉が忘れられない。



美しい岩手



あったかい岩手



私達は、決して一人では生きてはゆけない。

そう、みんなどこかでつながってる。

神戸の震災の時も多くの方々から支援を戴いて、今の神戸がある・・・

どこまでも続く平地、ボロボロの建物、山のように積まれた瓦礫。
岩手の「復興」への道のりは、まだまだ遠い。

支援を、みんなの愛を、どうか少しでも岩手へ。

そして、物質的なものだけではなく、一番長くかかる「心の復興」も忘れてはいけない

私達はいったい何が出来るか。

この訪問で、ほんの少しだけだけれど、分かった事。

それは「何が出来るかではなく、自分がやれる事を精一杯させて頂く」という事。


そして、今回、横浜、神戸から応援メッセージ、カンパ、募金で応援してくださった皆様。
私たちを暖かく迎えてくださった岩手の皆様。
最高にアツイTEAM LINKSのみんな。

応援してくださった全ての方々に

本当にありがとうございました。

このblogが、震災を振り返り、支援の輪が広がるきっかけになりますように
そして、今後震災にあった時に一人でも多くの方が助かる為に少しでも役立ちますように

あなたの為に、そしてあなたの大切な人達の為に


ライブキャラバン Wish on a Rainbow ~港町から港町へ・祈りよ届け大槌町へ!~③

2013-08-22 21:49:06 | Weblog

マストに来て、時間を忘れて展示会を拝見させて頂いていたようで、気がつけばもうすっかりお昼になっていた。

こんなにも苦しい。
こんなにも悲しい。
でも誰もそれを、決して表に出さない。
出会う人、出会う人、みんな優しげな笑顔だった。

私たちが今、出来ること。

それはやっぱり「精一杯歌わせて頂く事」だった。
亡くなった方々を偲び、鎮魂の思いをこめて。
そして、それぞれの傷をおいながらも今を懸命に生きている方々のために。

そう心が決まった。

いよいよLIVE会場である「福幸きらり商店街」に向かう。



福幸きらり商店街はプレハブで出来ていた。
やっぱりここでも、みんな笑顔で迎えてくださった。

そして「Team LINKS」の皆と再会!



「ライブキャラバン」のフライヤーを貼って横浜から車で何時間も走りっぱなしで来てくれたんだ。





言葉では、表現しきれない・・・
みんな、アツイ最高の人なんだよ!



そして、横浜の方々も応援に駆けつけてくださったりと、なんだか同窓会気分で、テンションはあがっりっぱなし。



今回初対面のミュージシャン「JIINO」



抜けるような青空の下、JIINOの声がみんなのheartに響いていた・・・

私達が演奏する頃には、もう日が陰りだしてきた。



空は高く山は青々としている。

空や、山、海を感じる。

柔らかな風がふいていた。

亡くなった方々の魂や思いが、岩手の自然と一体になったような気がして。

魂が思いがそこにあるような気がして。

思わず手を伸ばした。

見えないけれど・・・

「来たよ」とつぶやいた。



なぜか、目の前にたくさんの方々が優しい気持ちで見てくださっている。
そんな気持ちで立っていた。



君の心が濡れてしまわぬように
いつでも僕が傘になる

未来は二人見つけに行こう
だから今日は少し雨宿り

その悲しみにいつか虹がかかる
降り止まない雨なんてないから
信じて きっと守ってみせる
君の空が晴れに変わるまで

日は昇り必ず君を照らす
いつでも僕がそばにいる
(「虹がかかるまで」より)

4曲、心をこめて歌わせて頂いた。





そして、神戸と横浜から頂いた寄せ書きを商店街の会長さんに、お渡しさせて頂く事が出来た。



神戸のみんなの笑顔が思い浮かぶ。

何度もありがとう、ありがとうと心の中でつぶやきながら、商店街を後にした。



次のLIVE会場「おらが食堂」
お客様にとっては、突然のLIVEとなる。

でも、JIINOも私達もやっぱり暖かく迎えて頂いた。







住み慣れた故郷。
見慣れた光景は、もうそこにはない。
今までの日々が嘘のように、どんなに目を凝らしても、もう何も見えない。
大切な人と共になくなってしまった。

こんなにも苦しい。
こんなにも悲しい。

でも誰もそれを、決して表に出さない。

「遠いところから来てくれてありがとう。」
みんなそうやって、優しく微笑んで迎えてくれた。

聞けば、お母さんや、おじいちゃん、大切な人を失くされた人・・・

でも、優しく微笑んでくれるんだ。

おじいちゃんが言う。

「大槌は街を歩けば、みんな知り合いだった。でも、今は誰も会わないよ。
人が歩いてると思って話しかけたら、県外からのボランティアの人なんだよ。」

って。

漁師だったおじいちゃん、船と右腕だった相棒が津波に流されてしまった。

「飲んでくれよ、飲んでくれよ。」

そうやって、微笑んでくださった笑顔が忘れられない。



そして、大槌町の若者達。
彼らの未来の為にも、岩手は立ち上がらなければならない。



みんなで思いっきり盛り上がったね。

ありがとう。

本当に、ありがとう。



「また、絶対来てくれよな!!」

そう言って一人の若者が、これをくれた。



そして、

「大槌を忘れんといてくれよ。」

真っすぐの目で、そう言った。

忘れないよ、絶対。

また必ず帰ってくるからね。



横浜、そして神戸からのたくさんのカンパと寄付。
そして、心のこもった寄せ書き。

自分達は、野宿でもいいと当日まで宿さえとらず、必死に奮闘してくださったTeam LINKSのみんな。
何時間もかけて、応援に駆けつけてくださったみんな。
そして、岡畑農園の方々も当日同行くださり、熱中症対策にと、たくさんの梅干しを差し入れてくださった。

たくさんの思い、たくさんの愛に支えられて、私達は岩手の皆さんの前で歌う事が出来ました。

本当にありがとうございました。

なんかね、あったかくて、嬉しくて、テンション上がっちゃって、もう思わず梅かぶっちゃった(笑)






みんなみんな、本当にありがとう!!



いつも、心は岩手のみんなと共に。

私達の活動は、まだまだ始まったばかりだ。

(photo:イッセイ コバヤシ)


ライブキャラバン Wish on a Rainbow ~港町から港町へ・祈りよ届け大槌町へ!~②-1

2013-08-20 22:20:08 | Weblog

岩手の事を書かせていただいてる途中ではありますが、震災直後に現地入りされ電話等の復旧にご尽力された
NTTの方から、さきほどご連絡を頂戴し、写真を頂いたので、皆様にも見ていただきたいと思いアップさせて頂きます。

私が初め見渡す限り「ただ何もない平地」だと感じてしまった場所、陸前高田。
震災直後はこんな風だったそうです。

(震災直後)

コンクリートの建物がひっくり返っています。





(現在)


(震災直後の釜石市メイン通り)




(写真:NTT西日本 岸本氏撮影)

復興がまだまだ遅れているのは事実ではあるにしても、こうやって見れば、復興のスピードが遅いという訳ではなく、
被害が大きすぎたという事を実感しました。

 


ライブキャラバン Wish on a Rainbow ~港町から港町へ・祈りよ届け大槌町へ!~②

2013-08-19 20:22:28 | Weblog

翌朝、大槌町にある「福幸きらり商店街」にてLIVEの為、大槌町へバスで向かう。

大槌町は、死者803人、行方不明者437人(2013年3月11日時点)
死者・行方不明者を合わせると市の人口の8%以上が失われた。
人口の約8%が失われた事を考えると、一番被害があったといってもいいかもしれない。

そして、火事も多くあった場所で、地元の方から地震直後は「火の海」だったとお聞きした・・・

LIVEまで少し時間があるので、途中、道の駅のご夫婦から聞いた「マスト」というスーパーマーケットに向かった。
私達がLIVEをさせて頂く、きらり商店街の建設にご尽力された方がマストの経営者との事で、大槌を愛するその方のスーパーマーケットに行かせて頂きたかったのだ。

さっそくバスに乗ると、他の市と少し違う事に気づく。

何もない風景・・・
ではなく、まだまだ瓦礫や建物がそのまま残っている所が多くある。



瓦礫には、木や鉄が混じっていて仕分けをしなければならず、撤去作業が難航しているらしい。

大槌町は、まだまだ手付かずの場所が多く残っていた。

バスがスーパーマーケット「マスト」に到着。

すると、突然おじいさんに声をかけられた。

「あんたら、ミュージシャンか?」

Ni-noのギターケースを見て分かったのだろう。
「はい」と答えると、「コンサートしてくれるんか?ありがとうな」と少し寂しそうに言って下さった。

「私たちが出来ること」とは一体何だろう、と問い続けた答えが初めて見つかったような気がした。
お盆という心安らかにありたいこの時期に、歌など歌って迷惑にはならないだろうか、そんな不安もあった。
でも、この言葉で迷いも不安も消えていった。

ありがとう、おじいちゃん。

そして、このマストで「三陸復興」の文字の旗を上げて、震災直後から今までを写真に収めた「復興カメラ」という展示会が行われていた。

ここから、そのままを添付させて頂きます。



「3.11 皆がすべてを失った。希望の光はいつ芽生えるのだろう。」



「恐ろしい黒い壁が町を沈めた。私たちはここから新たな町づくりへと歩き出す。」



「震災後、住民自らが通れるように切り開いた国道。無残にも、まだまだ瓦礫が横たわっている。」




「防波堤が決壊し、傾く根浜海岸レストハウス」



「甚大な被害を受けた市街地を行く自衛隊。」



「数十名の命が奪われた大槌町役場。この悲劇を忘れるわけにはいかない。」



「民宿からおろされた観光船『はまゆり』」


「東日本大震災から5ヶ月、復興の願いをこめて3,000本の手作りキャンドル。」



「漁港の復興に汗を流す漁師さん。元気をもらった。」



「トライアスロン大会の再開を願う・・・・」



「命の記憶を刻んだ『津波記憶石』」



「海に向かい、手を合わせる 『忘れないよ』」



「甲子(カッジ)川に流れる灯篭の火に、たくさんの人が手を合わせた。」

展示された写真を、とてももう写真としては見れなかった。
窓をのぞけば、そこに見えた景色・・・






もう、どこでとった写真か思い出せないぐらいあちらこちらに傷跡がある。

二年経った今でこれなんだ。
初めはそう思った。

でも、震災直後の写真を拝見して、どれだけ岩手の方々が頑張ってこられたかを思わずにはいられなかった。


そして、マストには、大切な思い出達が主人をただひたすら待ち続けていた。



引き取り手がいまだ見つからない写真の数々、サッカーボール、、、



ただ、ひたすらに主人を待ち続けていた・・・。


ライブキャラバン Wish on a Rainbow  ~港町から港町へ・祈りよ届け大槌町へ!~①

2013-08-18 21:16:32 | Weblog

以前、横浜LIVEで大変お世話になり、その後も親交を深めさせて頂いている「チームリンクス」の
メンバーの方から東日本大震災のチャリティLIVEの話をいただいたのは、一ヶ月ほど前の事。

(趣旨)被災地支援ライブキャラバン 実施情報!

東日本大震災から2年5ヶ月。被災地の多くは未だに震災の爪痕が残ったまま、行政の対応の遅れから現在も不便を強いられています。

そこで、横浜の市民団体で構成される「Team Links」では、来る8月15日、16日、岩手県上閉伊郡大槌町にて、被災地への祈りを捧げるために、神戸と横浜2つの港町からのメッセージ(歌と寄せ書き)を届ける復興支援ライブキャラバンを開催いたします。

今回の計画は、現在も三陸鉄道・JR山田線、岩泉線、気仙沼線などが...運行再開されずにバスによる仮復旧という状態であること、そして、未だ多くの仮設住宅が稼働していることなど、あまり公開されていない現地の情報を市民団体の活動として公開し、被災地への理解を全国に広めることを目的としています。

内容としては、阪神大震災の被災地、神戸からの実力派デュオ「Anwish」と、同じ港町の横浜からは「JIINO」、この2組のアーティストによる応援と祈りを込めた歌と、両地元の方々から託された被災地へのメッセージ(寄せ書き)を、お盆という魂が帰る大事な時期にお届けいたします。

被災地外の我々の意識が薄れていきがちな中、被災地の現状を伝えることと、他の地域からの応援や想いを現地に伝えること、この双方の架け橋(虹)として、音楽という我々にできる手段を使い、まずは行動を起こすこと、そして今後にも繋がり、活かせるような道を見つけていくことを目指しています。
(Team Links 笠原氏作成文章より引用)

というもの。

「私たちが出来ること」とは一体何だろう。

でも、少しでも力になりたいとの思いで行かせていただく事を決意する。


新神戸から東京まで新幹線で4時間。

そして、東北新幹線に乗り換えて盛岡まで4時間。

ほぼ一日をかけて岩手に向かう事になった。

 

途中、福島の風景が目に飛び込んでくる。

美しい光景。



でも、今、放射能がこの美しい福島を苦しめている。

非難区域の方々は、家にも帰れず、目に見えない放射能に怯え、測定器を持ち歩く。

発ガンのリクスは高くないとの発表があるも、実情は分からない。

妊婦の方、子供を持つ親は、どんな思いだろうか。

風評被害で、海産物が売れないなど仕事を失った方も多いだろう。

家も、仕事もなくし、将来の不安だけが重くのしかかっている。

そして、いまだ原発の現場で命を懸けて作業を行ってくださっている方々がいる。

自己被爆するだけでなく、自分が放射化し、周囲の人までを被爆させてしまう可能性も出てくる。

それは、もちろん人だけに限らない。

もう、福島だけの問題ではなく、日本、世界の問題だ。

誰が、「日本は平和」と言ったのだろう。

これが、日本の現実だ。

 

岩手へ向かう新幹線の中、行き場のない怒りと現実と向き合わなければならないという、気持ちが入り混じっていた。

岩手に行けばきっと、目を背けたくなるような光景があるだろう。

自分自身が視察する事ももちろんだけれど、それを写真に収め、こうやって発信する事を亡くなられた方々は、遺族の方々は許してくれるだろうか・・

 

何度も何度も考えた。

でも、伝える必要がある。

亡くなった方々の死を無駄にしない為に。

未来のために。

二年経った今の岩手を知ってもらうために。

そして、頑張って生きている岩手の方々と岩手の魅力を知ってもらうためにも。

 

そして、私は何度も「どうか、許してください」と祈りながらシャッターを切ることになる。

 

新神戸をお昼過ぎに出て、夜八時過ぎに盛岡に到着。

神戸と違って夜肌寒いことに驚く。

せっかく岩手に来たのだから、岩手の三大麺の一つ「じゃじゃ麺」をいただく事に。

麺は、もちもちきしめん。

味噌とニンニク、生姜が利いていて、辛うま。

「食べ終わったら、卵を割って店員を呼んでね」と書いてあるので、付いてきた玉子を割って、店員さんを呼ぶ。

なにやら、だし汁のようなものを入れてくれ「チータンタン」というものを作ってくれた。

うましうまし。

盛岡に一泊し、翌日は朝9時出発。

震災後、6.500人の社員が岩手入りし、電話の復旧に尽力されたと聞くNTT。

今回、有りがたくもNTT東日本の方のご協力を得ることが出来、岩手の被災地を案内してくださる事になった。
 

まずは、陸前高田を視察させて頂く事になるが岩手は広い。

盛岡から林業で有名な住田町を抜け、陸前高田を目指す。

 

山が深く、何とも言えない青々とした美しい山々に迎えられる。

途中、道の駅で小休憩。



陸前高田はまだ、まだ先だ。



そして、道の駅で、さまざまな物を売っている素敵なご夫婦に会った。
ご夫婦は、内陸に住んでいて被害はなかったそうだ。
良かった。

手作りのコインケース。

Ni-noも買いそうになったりして、なかなかの商売上手(笑)

そして、宮沢賢治の作品のモデルになったとも言われる「めがね橋」が壮大な山々と共にそびえ立っていた。

夜は、ライトアップされるそう。

写真ではなかなか伝えきれないけど、スケールが大きくて、とっても気持ちよかった。


そして、鮎が良く取れるという、清流にも案内して頂いた。

釣りをしている人も多かった。

NTTの岩手の方は、飲み会の時、人数分、鮎を釣ってから行くときもあるらしい。

なんてワイルド。


そして、いよいよ陸前高田入り。

死者1556人、行方不明者217人、家屋倒壊数3341人と、大きな被害が出た岩手県陸前高田市(2013年3月11日時点)。

死者・行方不明者を合わせると市の人口の7%以上が失われたことになり、市長も奥様を亡くされている。

 

ただ、ただ、何もない平地。

「ここは、町の中心地だったんですよ」そう、言われるまで、そんな風にしか見えていなかった。

そこは海から2、3キロは離れているのに、根こそぎ、まるごと町一つがなくなっていた。

 

平地だと思っていた所も目を凝らすと、家の基礎が残っていたり、あちらこちらに花がたむけられていた。

 

平地にぽつんと立つNTTのビル。

NTTのビルは、電話というライフラインである為、電話の設備が入っているビルは、ありえないぐらい頑丈な作りになっているそうだが、中はボロボロだった。

 

海から2、3キロはある、高いNTTのビルなのに、屋上の手すりが捻じ曲がっている。



それほど、威力のある津波が力を緩める事なく襲ってきたという事だ。

ある方から、普通「波」というのは、上が早く、下は遅く押し寄せるものだけど

津波は高い壁が上も下も同じ勢いでどん!と何度も来るようなものだ、だから逃げ場がないんだと教えて頂いた。

 

想像を絶する水圧に加え、ありえない漂流物。

生き残られた方から「ひざまでつかれば、もう手遅れだよ」とも教えて頂き、自分の甘さを痛感した。

 

これは、集合住宅。

 

これは、球場。

ライトだけを残し、球場はまるごと海に沈んでしまっている。

 

戦後を想像させる光景。

本当に何もない・・・

「町の中心地だった」

その言葉を受け入れるのに、ずいぶん時間がかかっていた。

 

もう、原型を留めていない建物。

 

防風林があった陸前高田だが、たった、一本だけが残った「一本松」

自衛隊の方々が埋まってしまった町の中を棒で遺体を捜された時、
「遺体を見つけるためにしているが、本当は見つかってほしくない気持ちもある」と
悲痛な表情で話されていたという話もお聞きした。

ボランティアでよく被災地を回られる方も同じ話をしていた。
「現場に慣れている方の僕らでも、気持ち的にかなり厳しかったよ」と。
あらゆる現場に行かれているはずだが、それほど悲惨で悲しすぎる現実だったのだ。

そして、大船渡市。
死者340人、行方不明者80人、家屋倒壊数5515人(2013年3月11日時点)
死者・行方不明者を合わせると市の人口の1%以上が失われた。

ここは、商店街だった。



そして、また見渡す限り何もない、光景が続く。



四隅の柱らしきものだけが残っている。



これはカラオケBOXだった。



あらゆる所に津波の爪あとが強烈に残っている。


そして、ご案内くださった、お二人に連れられて、「まんぼう亭」で海鮮丼をごちそうになった。
岩手は、食べ物が本当に美味しい。
こんなに、美味しいお魚を食べたのは初めてだった。



そして、腹ごしらえの後、釜石市入り。

死者888人、行方不明者152人(2013年3月11日時点)
死者・行方不明者を合わせると市の人口の2%以上が失われた。



NTTのビルも一階を潰し、二階が一階になっていた。

そして、海。

以前は満潮になっても、海までは1mは距離があったのに、地盤沈下により
今、満潮時は、足元まで海が流れ込んでくる。




ものすごい亀裂。
地震自体のすさまじさを物語っている。



海を愛する岩手の方々。
でも、この海に愛する人達が飲まれていった。
それでも、この海と共に生きている。



そして、この美しい海には、今も多くの方が眠っている。
未だ、ボランティアの方が、もぐり遺体を捜されているそうだ。

そして、ここで案内してくれたNTT東日本の方々とお別れをする。



左のかわいい人が佐々木さん
右の優しそうな人が中村課長さん

佐々木さんは、入社3年目。
入社して、初めての仕事が救援物資の仕分けだったそうだ。
お二人とも、本当に素敵な方だった。
暖かな、あの笑顔が忘れられない。



この日は、釜石市に宿泊。

次の日は、LIVEだ。
岩手の方々を少しでも笑顔にしたいと思ってきたのに、心は重く、沈んでいた。

「私たちが出来ること」とは一体何だろう。

その日は、なかなか寝付けなかった。