我が街と名古屋を結ぶ名鉄瀬戸線。
子供の頃から利用してきたこの路線。
手動ドアの電車が私の小学生時代まで走り
ローカル色が強いと昔はよく言われた。
ただ今は名鉄のドル箱路線と言われる程、
利用者の多い近代的な路線となったのは、
以前もこのブログで記した記憶が残る。
それでも都心部以外は昔の路線のまま。
狭い所を回りくねって走る事しか出来ないので、
地下鉄の早さとは随分違う速度感。
まぁ、それもローカル色が強かった要因。
その回りくねって走る一つの場所が、
並行して走る瀬戸街道との交差部である喜多山。
瀬戸街道の渋滞箇所のひとつでもあるが、
一寸前から念願の立体交差工事が続いている。
で、とうとう先日その高架の一部が現れた。
長年馴染みのこの景色も変わる日が近い。
子供の頃から利用してきたこの路線。
手動ドアの電車が私の小学生時代まで走り
ローカル色が強いと昔はよく言われた。
ただ今は名鉄のドル箱路線と言われる程、
利用者の多い近代的な路線となったのは、
以前もこのブログで記した記憶が残る。
それでも都心部以外は昔の路線のまま。
狭い所を回りくねって走る事しか出来ないので、
地下鉄の早さとは随分違う速度感。
まぁ、それもローカル色が強かった要因。
その回りくねって走る一つの場所が、
並行して走る瀬戸街道との交差部である喜多山。
瀬戸街道の渋滞箇所のひとつでもあるが、
一寸前から念願の立体交差工事が続いている。
で、とうとう先日その高架の一部が現れた。
長年馴染みのこの景色も変わる日が近い。
ほんの一本、薄い板みたいなのが先ずは付いたみたいですょ。
でも、ここから一気に進むんでしょうね。
ken坊さんも早く街に出てきてください^^
かつては、踏切のおじさんが手動で遮断機を上げ下げしていました。
踏切脇の書道塾にも通っていました。
それがどうということではないのですが、
感慨深いです。
その写真と、昔の想い出だけで、
今夜はグラス一杯余計にいけそうです。
この踏切が手動式であったのは覚えています。
踏切番の方の小屋があったと思いますが、
子供心にこの人が下すの忘れたらどうなるの?
と、心配した記憶ですよ^ ^
しかしここはある意味名所ですよね。
この風景が思い切り変わってしまうのは、
少し寂しい気さえします。
手動の踏切だったとは知りませんでした。
大曾根の踏切は印象に強く残っているのですが…
子供のころ、この近くにあったお寿司屋さんに時々行った記憶があります。
詳しくは知りませんが聞いたことがあります。
手動でしたよ^ ^
この踏切は我が家界隈同年代には、
何かと思い出がある様ですね!