青色日誌

還暦を超え、子育てもひと段落。さて!

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2009年06月15日 | ジャズだ。ビッグバンドだ
昨日の記事で触れた通り、
ビーハッピーの西川さんの紹介記事に感銘を受けたと
言って下さった方かいらっしゃいましたので、
ずうずうしくも、5月2日開催されたライブでの
パンフレットの載せたレアサウンズ用紹介記事も公開。

ライブに来てくださった方は
読んでいただけた方もいらっしゃると思いますが、
字が小さいという不評には、反省しております。

では、改めまして追悼。




昭和49年7月に若干19歳で
このレアサウンズを創設した初代リーダー。
名古屋市立工業高校でジャズバンドを経験した後、
社会人になって更に音楽への思いが膨れ上がり、
当時の高校の仲間が集いレアサウンズを結成する。
先輩も巻き込みながら、自らがリーダーを務めたあたりから、
彼の積極性と、音楽に寄せる情熱を感じ取る事ができるが、
当時は練習場所にも随分苦労し、
譜面の調達にもかなりの苦労をされたと聞く。

私の知る限りでは、
ベースプレーヤーである彼しか知らないのだが、
ドラムも叩いていた歴史もある。だが、実は現在のメンバーで
これを知る者はほとんどいないのが実態である。

創設当時から、UCバークレー・ジャズ・アンサンブルとの
ジョイントコンサートの開催、ジャズグランプリの出演、
自主コンサートの開催、そして、
全国規模の社会人ビッグバンドの祭典、
ビッグバンドシンポジウムへの出演など、
正に破竹の勢いで活動の範囲を広めていった。
そしてバンド創設から約10年を経た昭和58年、
第1回ビー・ハッピー・ジャズ・フェスティバルを
自らの発案にて開催。併せて愛知社会人ビッグバンド連盟を
創設し自ら代表に着任する。

このビー・ハッピー・ジャズフェスティバルは、
ビッグバンドジャズが盛んな当地名古屋において、共
同で社会人ビッグバンドの発表の場を設け、
其々の技術向上の切っ掛けと、
バンド相互の交流を盛んにすることを目的とし、
併せて、中学生から大学生までの幅広い学生の皆様方への
演奏の場の提供と、ビッグバンドジャズの普及を
目指す実に画期的な活動であった。

今では、このビー・ハッピー・ジャズ・フェスティバルも、
次回本年6月の開催で、24回目を数える
当地においてはなくてはならない行事として
成長をしたものの創設時の苦労は数え切れない物があったと、
周りから見ていた我々には思えることが多かったのは確か。
しかしそれでも彼の志は真っ直ぐで強く、
その行動が今、見事に花を咲かせているのは周知の事実。
このフェスティバルを経験した人、お世話になった人が、
どれほど沢山居るかは計り知れない。
次回のこのフェスティバルにおいても、当然我々は
追悼の意をこめ演奏させていただく予定であります。

彼はその頃、自らの楽器であったベースを人に託し、
ノー・プレーヤーとしてこのレアサウンズを率いる事となる。
何故その選択をしたのか、
その真意を知る者は実は余り多くはいないのだが、
少なくとも彼は音楽プレーヤーとしての情熱よりも、
とりわけ学生ビッグバンドジャズの普及に対する情熱と、
社会人バンドの技術向上、なによりレアサウンズの
更なる飛躍へとの思いが上回ったのだ、
と、後の活動からは判断できる。
従ってその後もレアサウンズの活動範囲は、
広がりを続けるのであった。

その最たるは、2度のアメリカツアーの実現であった。
社会人働き盛りの者を20人
まとめてアメリカへ連れて行くことが、
どれほどの困難を伴うかは、安易に想像がつくであろうが、
彼のその一途なる思いと、揺ぎ無い決断は、
我々をそれに従わせるには充分な説得力があった。
特段2度目のツアーは平成9年のこと、
なんとジャズプレーヤー憧れの街、
モンタレーでのジャズフェスティバル参加。
それも40周年と言う節目の出来事であったが、
いまアルバムの写真を眺めても、彼が先頭に立ち、
我々のステージを実現する為立ち振る舞うその姿に、
涙が込み上げるのである。

彼はその2度目のアメリカツアーの暫く後、
社会人の宿命である、転勤と言う難題にぶつかる。
リーダーの転勤と言うのは、余り聞いたことが無く、
自らも困惑が隠し切れなかった様子だったが、
当然仕事あってのバンド活動である為、
これを受け入れ赴任の地である
横浜へと出かけていったのであった。

丁度彼が転勤する日、
おりしも我々レアサウンズ日曜練習日に重なり、
偶然新幹線の見えるところに位置する練習場にいた我々は、
彼が乗ると聞いていた新幹線にめがけ
旗を振って見送ったのである。
正に戦場へでも行くかのごとく。後に彼から、
横浜勤務での勇気はここで貰ったと嬉しい一言を頂いたが、
今思えば、我々が自然にそんな行動をさせる程の、
分厚い人間味溢れる彼が、
その頃の姿であったのだと今改めて感じるのである。

リーダー不在のままのバンド活動は、
勢いが衰える事無く進んだ。
誰も代わりのリーダーを必要としなかったのは、
遠隔操作であっても、彼がこのバンドを
充分リードする能力があったからであった。
転勤中も、当然本番には顔を出し、
当時の彼のもう一つの大きな役割である司会を務めてくれた。
時に熱く語る彼は、我々が「まき」を入れたくなる程に
長くなることも有ったが、今ではそれすら懐かしい。

平成13年、無事横浜から名古屋に戻り、
同年ゴールデンウィークの愛知県勤労会館大ホールにて、
トランペットプレーヤー、ジョージ・グラハム氏を招いての
コンサートが特別な物になるとは、当時本人はもとより、
我々メンバー誰とて想像がつかなかった。
客席千人規模のその大舞台で、彼は当然司会を務め、
無事にそのイベントを終えた数週間後、
突然その連絡が届いた。彼の白血病発覚。
慌ててメンバー全員が病院に集い、
ただただ困惑をする我々を彼がなだめた・・・と言っても
過言ではないほどに、彼は悠然と病気に立ち向かった。

一進一退とはまさにこの事であろうか、病魔との戦いは、
思わぬ長期戦を呈した。その間、我々レアサウンズは
何人の海外アーティストと競演することが出来たであろうか?
これも、病床の身でありながら、リーダーを張り、
コンサート実行委員長を務めてくれた彼がいたから
出来た事でもあった。そして、快方への兆しは
時間を追うごとに明るさを増した。かに思えた。

世界的に有名である
「ボビー・シュー」というトランペッターは、
私たちと大変縁深いプレーヤーの一人である。
実に今まで5回の競演を果たしている。
勿論これも、彼の判断と実行力によって
実現した話では有るのだが、その5回目の共演が
今から3年前の平成18年に開催をされた。
このボビー再来のコンサートの時には、
彼は職にも復帰を果たし、あと少しで
完全復活というところまでの回復を成し遂げ、
リハーサルから勿論本番、そして念願かなって、
打ち上げで乾杯のビールを呑む事が出来たのであった。
あの時の彼の喜び様は凄かった。
おそらく我々凡人には経験した事の無い
喜びであったのであろうが、
ボビー・シュー氏もその事を理解くださったことが、
私には実に感慨深いのである。

しかし運命は皮肉であった。
その後、癌発病と言うショッキングな事態が、彼を襲った。
我々も何ともいえぬやるせなさと虚脱感を覚えた。
そして苦渋の日々は流れ、昨年11月、
その病状は決してよくないのにもかかわらず、
彼は我々レアサウンズの一大イベントであった、
初ブルー・ノートでのライブ、リハーサル会場に居た。
痛みが止まぬ日々が続いているのにもかかわらず、
立ち上がることすら辛い日々であったにもかかわらず、
我々のライブにバンドリーダーとして、
コンサート実行委員長としてリハーサルから臨んだのであった。

幸いライブは今までに無い盛り上がりで終わった。
終演まで彼はしっかりと我々の音を聴いてくれた。
痛みが薄れたとも言ってくれた。
満面の笑顔で我々の演奏をたたえてくれた。
こんな素晴らしい仲間が作れてよかったとも言ってくれた

・・・そして、
彼が覚悟をしてその場に臨んでいるように感じたのは、
私だけではないようにも思えた。
 
ボビー・シュー氏の弔意は我々にとっても、
大変有り難いものであった。
ボビーを始め海外アーティスト共演者実に6名から届いた
お別れの言葉とともに、彼は昨年暮旅立った。
彼のレアサウンズへの思いは最後の最後まで、
実に情熱的であった。

西川さん、ありがとう。本当にありがとう。
心からご冥福をお祈りいたします。

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2 コメント

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ありがとうございました (とつねーさん)
2009-06-16 20:58:10
 心に染み入る記事ですね。
じっくり、読ませていただきました。

 今回のBE HAPPY、6/2の記事を読まなければ、普通に幹事をし、普通に演奏し、通り過ぎていたかもしれないのに、この記事を読んでから、「なんとか、盛り上げていかなければ!」と少し意識していた2週間でした。
 無事に終わり、皆さんに楽しんでいただいて、心底ほーーっとしています。


 西川さんは、BE HAPPYの時、必ず"握手"で「がんばれよ」とか「よかったよ」と、他バンドの、いち平民にも、わけ隔てなく声を掛けてくださり、この"握手"が、もうじんじんする程、ぎゅーーーっと握られ、「この人、ホントに病気かな?」と思ったこともありました。なんか、その感覚を妙に思い出してしまい、ちょっと、じわっときました。
 香典返し(?)か何かで、静岡の自宅まで郵送されてこられた、「おふろ?セット」の中にあった「ボディタオル」は、毎日愛用させていただいてるおかげで、今でも10代のピチピチ肌をキープしております。(ホントですって!)


Freckle Face


 あたたかかったですね。
 じーんときました。
 きいてて、吹きたくなりました。



 今回、BE HAPPY、ホント皆さんレベル高くて、恐縮してしまいます。

 いい、勉強させていただきました。
 BE HAPPYって、ホントにイイナとつくづく感じた二日間でした。



 西川さんに、感謝。
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とつねーさんさま (あおやき)
2009-06-16 23:13:34
投稿有り難うございました。

酔っぱらいながら約束していた記事、
ちゃんと覚えていて掲載出来ました。

それと、幹事役本当にお疲れ様でした。
幹事長の下、しっかりとしたチームワークで
今年も又素晴らしいイベントとなり
大変感謝しています。
メンバーの皆様に、是非お礼を後伝言下さい。

フレックルフェイス
有り難うございます。

実はセブンスさん同様!?
最近カウントベーシーとは縁遠い選曲が多く、
この曲をやって、改めてこの曲の良さ、
ベーシーの良さを痛感したところです。

セブンスさんのベーシー物、聴いてみたかったりします!!

又来年全バンド揃って、健康にビーハッピーが出来る様、
頑張って練習を致しましょう。

投稿有り難うございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
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