先日NHK番組「あさイチ」でやっていた、
「私の台所物語」を見ながら(聞きながら)
自家用車で出勤をした。
この番組ご存じの方も多いかもしれないが、
どこの家にも必ずある「台所」を通して、
そこに住む人の、正に物語が作られている。
亡き親や家族の思い出だとか、
単身の人の生活に向き合うスタンスだとか、
飲食店の方の母屋の台所の存在だとか...。
何か見ていて(聞いていて)ほっこりする内容は
YouTubeでも見る事が出来るのでお勧め。
アナウンサーの方がその素材としての
其々のご家庭の台所を募集していると仰っていた。
ただ殆どが「我が家は何も物語は無い」と言うが
取材すると本当に数々の物語が眠っているのだとか。
ふと我が家の台所を頭に思い浮かべる。
確かに二人の子供を育て上げたその台所は、
今や親になった子供たちが育っていったその場であり、
そして日々の戦争のような忙しさの場所であったり、
はたまた週末の穏やかな空気が流れる場でもあったり。
ただ若い頃は忙しいを言い訳として、
台所は100%家内に任せていた私。
家内の立つ姿しか思い出せないのも情けないかも。
それでも思い出したのは家内が大病した時の事。
今は勿論元気でいてくれるので平和で穏やかだが、
娘小6、息子小1のその時に4カ月の間家内が入院し、
私がその子供達の世話をした時の台所の思い出だ。
喫茶店で軽食程度しか作った事が無い私が、
それでも育ち盛りの子供をちゃんと食べさせねばと。
ウィークデーの夕食こそ我が母のお世話にはなったが、
週末の夕食と毎日の朝ごはんをその我が家の台所で
自分で一生懸命作り提供していたのを思い出す。
必死だったな。
でも、ある時、
おかあさんのご飯が食べたい。
と言われた時は、さすがに滅入った事も思い出に残る。
正に物語だね。
ところで近々
空き家になっている「実家」を取り壊す事となっている。
勿論そこにも台所はある。
母がいつも窓に向かって立ち料理してくれた姿は
当然今でも目に焼き付いている光景でもあるが、
それも見れなくなってしまうかと思うとやはり寂しい。
折角なので今度の週末でも見に行ってこようとするか。
そんな思いにさせられた朝の番組。
画像は勿論イメージ
「私の台所物語」を見ながら(聞きながら)
自家用車で出勤をした。
この番組ご存じの方も多いかもしれないが、
どこの家にも必ずある「台所」を通して、
そこに住む人の、正に物語が作られている。
亡き親や家族の思い出だとか、
単身の人の生活に向き合うスタンスだとか、
飲食店の方の母屋の台所の存在だとか...。
何か見ていて(聞いていて)ほっこりする内容は
YouTubeでも見る事が出来るのでお勧め。
アナウンサーの方がその素材としての
其々のご家庭の台所を募集していると仰っていた。
ただ殆どが「我が家は何も物語は無い」と言うが
取材すると本当に数々の物語が眠っているのだとか。
ふと我が家の台所を頭に思い浮かべる。
確かに二人の子供を育て上げたその台所は、
今や親になった子供たちが育っていったその場であり、
そして日々の戦争のような忙しさの場所であったり、
はたまた週末の穏やかな空気が流れる場でもあったり。
ただ若い頃は忙しいを言い訳として、
台所は100%家内に任せていた私。
家内の立つ姿しか思い出せないのも情けないかも。
それでも思い出したのは家内が大病した時の事。
今は勿論元気でいてくれるので平和で穏やかだが、
娘小6、息子小1のその時に4カ月の間家内が入院し、
私がその子供達の世話をした時の台所の思い出だ。
喫茶店で軽食程度しか作った事が無い私が、
それでも育ち盛りの子供をちゃんと食べさせねばと。
ウィークデーの夕食こそ我が母のお世話にはなったが、
週末の夕食と毎日の朝ごはんをその我が家の台所で
自分で一生懸命作り提供していたのを思い出す。
必死だったな。
でも、ある時、
おかあさんのご飯が食べたい。
と言われた時は、さすがに滅入った事も思い出に残る。
正に物語だね。
ところで近々
空き家になっている「実家」を取り壊す事となっている。
勿論そこにも台所はある。
母がいつも窓に向かって立ち料理してくれた姿は
当然今でも目に焼き付いている光景でもあるが、
それも見れなくなってしまうかと思うとやはり寂しい。
折角なので今度の週末でも見に行ってこようとするか。
そんな思いにさせられた朝の番組。
画像は勿論イメージ