ここで書くのは一般的なものでなく、個人的なもの
今、平和という言葉がいい様に使われ使いまわされている現状。
平和な人生だったかと訊かれると、真反対だったと振り返る。平和だと仮定した者が〝死んだらどうなる?〟なんて小学校にも入学していない者が考えるものか。
小学生低学年の自分に大人が〝お前のお父さん殺す〟なんて言われるものか。耐性がついて〝自ら堕ちるのを選ぶんだな〟なんて事を思うものか。
〝隣の芝生は…〟的なもので、そんなに平和におもえたんだろうか。いつも心は荒波だった。逃げたいが逃げれない年齢。
〝人の不幸は…〟そんな事だったんだろうか。それで心の平和を他人様は守っていたのだろうか。それならそれでいいのだが。
いろんなものを隠され、知らないで生きる、平和だと思って…何か大きな事の裏で重要な案件が可決されていく。怖いと思わないかい、中継で居眠りしている議員にイエローカード制を作って欲しいものだが、三権分立と言いながら、そうではない。その裏で重要な案件が可決される。
不用意に不安を覚えなくていい。
平和だと思えば平和で良い。
和かなぁ、個じゃないかな?巡り巡って和になるのなら良し。
平和ならカードを紐付けして個人情報を預けなくてもいいんじゃないかな。昔のどこぞの国みたいだ。
平和とは何か?各個人の尊厳に任せよう。
駄文。