<女の子には敵わない>
フロースの宿屋の一階、食堂でアルデノーマは相変わらず遅い朝食を採っていた。
ファンベルクのレベル上げも順調に進み、既にアルデノーマとだけでは無く、他のギルドメンバー4人と第6階層の探索に出ている。
もう自分は必要無いだろう。アルデノーマは一通り食事を終え、木のフォークを下ろすと小さく嘆息した。
温かい紅茶を飲み一息吐くと、少し上着が苦しく感じた。
太ったのだろうか。
食べ過ぎる程、食事は多く採っていない。無意識にお腹を擦ってみるが、肉の薄い腹は相変わらず硬く、少しも膨らんでは居なかった。
確かに上着がきつい気がするのは下半身では無いのだろうか。
上半身を確認し、其処でアルデノーマは愕然とする。
少年のように平だった胸が、何となく滑らかな曲線を描いているような気がしたのだ。
いや、まさか。
そんな筈は無い。
アルデノーマは俯き、嫌な汗を掻き始める。先ずは自分で確認するしかない。
拳を握り小さく気合を入れると、胸を張り小さく深呼吸してみた。
そして再確認する。
上着がきついのはやはり胸囲なのだ。
-ヘルマフロディトス-神と同じ存在、両性具有の人間を言う。
彼等はこの世界では数える程しか居らず、成長するのと共に自らの意思によって概ね男性化、女性化を決める事が出来るが、それぞれの性の象徴は一生消える事はない。
神と同じ性を持つと神格化され神殿に仕える者が多いが、稀に一般人と同じように暮しているケースがある。
その場合、男性、若しくは女性として生活し、両性具有である事を隠しているケースが殆んどである。
それは両性具有の数が極限に少なく、周囲の人間が上手く対応出来ない理由が挙げられる。
酷いケースでは人間扱いをされず、村八分、最悪の場合は殺されてしまう場合もあるのだ。
十数年前、アルデノーマは片田舎の豪族の家に生まれた。
身体の弱い母親はアルデノーマを産むと二度と子供は産めないだろうと医師から診断された。
その為、アルデノーマが両性具有で産まれた事は屋敷内だけの秘密とされ、心優しい両親や召使い達の許、大切に育てられた。
しかしアルデノーマが7歳の時、近辺の広い荘園を仕切っていた父親は事故により急死してしまう。
残された病弱の母親は自分の命が残り少なく、家の財産を狙うアルデノーマの叔父が二人の命を狙っている事を察知した。
秘密を知られれば、アルデノーマはこの地で生きていけないだろう。
幼いアルデノーマに一人で生きる術を教えなくてはならない。
また、仮に叔父の追手が来た場合、命を狙う敵から身を護る術が必要だ。
アルデノーマの母親は一時的に村に戻っていた幼馴染のアルケミストにアルデノーマを託した。
そして逃亡先の遠い街でアルデノーマは母親が死に、家督は叔父が継いだ事を知ったのだ。
叔父を恨む事はしなかった。寧ろ金にしか執着出来ない叔父を哀れだと思った。
復讐を考えずに居られたのは、アルデノーマを連れ出したアルケミストのせいだった。
師匠となったパイヴァは豪快な女だった。
カナリアのような長い金髪を綺麗に編み込み、肩と腰に巻き付けていた。
姉御肌の性格の通り、炎系の術式が得意で、元々才があったアルデノーマも自然と炎系の術式を得意とするアルケミストになった。
二人は世界中を旅し、やがて世界樹の迷宮で賑わっていたハイ・ラガード公国を訪れ、この国で当分身を潜め、追手の目を眩ます事にした。
冒険者に紛れてしまえば、公宮が保護してくれる。
この国は冒険者以外の人間がそう易々と入国出来なくなっていたのだ。
其処でアルデノーマはヴァランシェルドのギルドマスター、リュシロイと出逢う。
勿論、パイヴァの言い付け通り、男として自己紹介をした。
しかしリュシロイは、アルデノーマが彼であり、彼女なのである事を本能的に知ってしまった。
ギルドに入ったばかりの為、アルデノーマの事は当分秘密にする事になった。
自室で上半身裸になったアルデノーマは蒼白になった。
確かに薄っすらと胸に陰りがある。
太ったのだと言い訳が出来ない程細身であるアルデノーマは、頭を抱えた。
両性具有であるアルデノーマは男性、女性、二つの性を持っている。
屋敷では家督を継ぐ為、旅では有利な為、常に男性として振舞って来た為、身体はほぼ男性だったのだ。
しかし、最近、身体が女性化し始めているのだ。
今でも世界樹の迷宮の探索には男性である方が有利だ。体力的にもHPの伸びにも影響がある。
男性として生きて行こうと決めていたのに女性化する理由が分からない。
取り敢えず衣服の上から見ても分からないように、アルデノーマは薄いタオルを裂き、グルグルと胸に巻き付けると、その上から赤い上着を羽織り、自室を出た。
部屋を出ると廊下に二つの人影が見えた。
不審に思いつつも目を凝らすと、ドクトルマグスのアンジェリンとメディックのシャスだった。
二人はアルデノーマの姿を見付けると、待ち人が来たと言ったように笑顔を見せた。
アルデノーマは笑い掛けられる理由が分からず、眉間にシワを寄せる。
しかし、開口一番。アンジェリンが言い放った言葉にアルデノーマはその場に硬直し立ち尽くした。
「サイズ的にはシャスのお下がりが一番だと思うんだよね。私やイブのだときっと大きいだろうし、ヒメもサラシ巻いてるけど、実は結構あるし。ね、試着してみない?ハイ・ラガード商店街だとあんまり可愛いの無かったのよ。シャスのは趣味いいし、ノマもきっと気に入ると思うからさ」
「何の…事を…言っているんだ?」
サイズ、シャスのお下がり、単語の節々から大体想像は付くが、アルデノーマは聞き返さずには居られなかった。
しかし、恐れていた通りアンジェリンは、笑顔でその「ブツ」、いやらしくない程度にレースのピラピラが付いたピンクの水玉模様の「ブラジャー」を、可愛い巾着袋から大切そうに取り出してアルデノーマの目の前に差し出した。
アルデノーマの切れ長の目が大きく見開かれる。
「!!!!!!!!」
昼に差し掛かる頃、アルデノーマのか細い悲鳴がフロースの宿屋中に響き渡った。
今にも卒倒しそうなアルデノーマをアンジェリンとシャスは急遽、アンジェリンとイヴェリアの部屋へ連れ込んだ。
靴を脱がせアンジェリンのベッドに急いで寝かせる。
天然な癖に医療に関しては迅速な対応をするシャスの手際の良さにアルデノーマは反論する余地が無く、言われるまま横になっている。
既に部屋で休んでいたイヴェリアが冷えた濡れタオルを作り、彼女等の処に持って来た。
此処で居ない女性陣は現在、探索に出ているブシドーのサクヤヒメと常にリュシロイの許にいるオルガだけだ。
オルガは女性陣に入れるのが迷う処だが何故か雌と言うよりは女性という感じが皆するのだ。
アンジェリンとシャスとイヴェリアはベッドに横たわるアルデノーマを囲むようにそれぞれ椅子に腰掛けた。
六つの視線に晒されてアルデノーマの居心地は最悪だった。
しかしリュシロイを疑っている訳ではないが、確認しなければならない事がある。
「君達、何故僕にそんなモノを薦めるんだ。僕は男だぞ」
「でも、最近、女の子っぽくなって来たでしょ?身体の線も丸くなって来たし、胸も…」
間髪入れずいつもは大人しいシャスが指摘してくる。
それは先程アルデノーマが気付いてしまった事を、シャスは少し前から気付いていたという事を示している。
また、ずっと気遣ってくれていたという事にもなる。
「馬鹿言うな!男である僕が何で女になるんだ!」
「ノマ。恋してるでしょ?」
今度はアンジェリンだった。頭をハンマーで殴られたような衝撃に、アルデノーマは一瞬目の前が真っ白になる。
今は女性化の話をしていた筈だ。
とても会話に付いていけない。嫌、会話になっていないのだ。
必死に会話をしようとアルデノーマは仕方無くアンジェリンに対して回答した。
「恋だなんて、馬鹿馬鹿しい。そんなもの、僕には関係ない」
「相手はベルクだよね?一緒に組んでから、次第にノマ、綺麗になって来たもの」
アンジェリンはアルデノーマの言った事を全く聴いた素振りも見せなかった。
「やっぱり恋って偉大よね~」とシャスに同意を求めている。
質問をしておいて、全く答えを聴かないのだ。アルデノーマは危うく左手の錬金術器具を発動しそうになった。
必死に冷静になれと自分に言い聞かせ怒りを抑える。その様子を隣でイヴェリアが気の毒そうに見詰めていた。
シャスが慌てて話を元に戻す。
「とっ…兎に角、私達はノマが男の子だろうと、女の子だろうと関係ないの。ほら、今ノマ、男の子としてギルドにいるでしょ?もしノマが身体のこと、男の子達に言えなくて困っているのなら、私達が相談の乗らなきゃ!…と思ってアンと一緒に声を掛けたの。…違ってました?もしそうだったら、御免なさい」
暴走して反省をしている子供のように、しゅんと項垂れて見せたシャスをアルデノーマはぽかんと見た。
(ノマが男の子だろうと、女の子だろうと関係ないの)
確かにそうだった。
シャスもアンジェリンも相手が男だろうと女だろうと、傷付いたパーティメンバーに回復魔法を唱え治療を施してくれた。
男も女も関係ない。
傷の深さで彼女達は判断した。
世界樹の迷宮では窮地に陥っても、その心の強さが問題だった。
男も女も関係無かった。
アルデノーマが身体の事を告白出来なかったのは、要は皆を信じるか、信じないか。自分の心の問題だったのだ。
リュシロイが話す筈も無い。
アルデノーマはリュシロイを信頼している。
ならば、シャスとアンジェリンは仲間としてアルデノーマの身の上を本気で心配して声を掛けてくれたのだろう。
彼女達ならば、きっと親身になってくれる。
こんなに無愛想な自分にさえ気を遣ってくれた仲間なのだから間違いはない。アルデノーマは決意した。
「僕の身体の事、女の子達に聴いて貰いたい。長い話になるけど、いいかな」
イヴェリアが無言のまま頷いた。シャスも明るい向日葵のような笑顔で頷く。アンジェリンは愛らしい八重歯を見せた。三人の笑顔に背を押されてアルデノーマは語り出す。午後の弱い日差しが部屋を照らしていた。
第六階層の探索から帰って来たパーティは、フロースの宿で早目の夕食を採り、それぞれの自室に戻って行った。
ファンベルクは現在一人で宿の部屋を取っている。新しいメンバーが入れば相部屋になり、宿泊代を折半する事になる。
一人で毎日の宿泊代を払うのは新人の身では大変だが、現在その宿代はギルド運営費から補助が出ている。
その為、少ない報酬でも何とかファンベルク一人で連泊出来ている。
必要な武具やアイテムは全てギルドから支給される為、特に問題は無い。
安定した日々だ。
ファンベルクはハイ・ラガード公国に来るまでの生活を思い苦笑した。ホレイショは疲れて眠っている。穏やかな夕暮れだった。
シャワーを浴び武具の点検とアイテム整理を終えると、ごろりと広いベッドに横になる。
大柄なファンベルクの為に、フロースの宿の女将は、少ないダブルベッドの部屋を用意してくれた。
相部屋になれば標準ベッドの部屋に移らなければならない。だが今だけは、長い手足を一杯に伸ばして寝れるのは嬉しい事だった。
天井を見上げながらファンベルクは数週間前の出来事を思い出していた。
アルデノーマと随分長く逢っていない。
元気でいるだろうか。
華奢な手足、勝気そうな灰青の瞳。
傍に居てやりたいと思いながら、レベルが低い立場上、レベルアップの命令があれば探索に出ない訳にいかなかった。
ギルドに入りレベルが最下位だったファンベルクも毎回探索に出ていた為、現在はギルド内でも中堅レベルに達している。
これからはパーティの一人としてアルデノーマと探索に出られるだろう。そう思うと急に顔が見たくなった。
しかし何と言えばいいのか。ファンベルクは逢いたい勢いでベッドから起き上がったが、立ち上がれずベッドに座り込んだ。
アルデノーマは半陰半陽、両性具有だ。最初の探索でファンベルクが自らの正体を明かした際、その誠意の証として、その秘密をファンベルクに告白してくれたのだ。
しかし、アルデノーマはギルドでは男として生きているし、これからも男として生きていくだろう。
その彼に逢いたいという気持ちは何なのか。
ファンベルクは思い悩んだ。
初対面の際、ファンベルクは本能で彼を女性と判断し護ろうとした。
しかし、それは男として生きようとしていたアルデノーマを侮辱していたのではないか。
謝罪したファンベルクをアルデノーマは許してくれたが、自分のこの逢いたいという気持ちは、アルデノーマをまた女性としてみているのではないか。
そんな気持ちを知られれば、アルデノーマは今度こそファンベルクを許してはくれないだろう。
「私は一体どうすればいいのだ…」
ファンベルクは頭を抱えた。
青にも見える大きな満月が上がったばかりの空で静かに彼を見下ろしていた。
「ほら。ノマ!ベルクしか居ない今がチャンスよ!」
「ファイトです!当たって砕けろです!」
「砕けちゃ駄目だと思う…」
ドクトルマグスのアンジェリン、メディックのシャス、カースメーカーのイヴェリアの三人が熱でもあるかのように真っ赤になって俯いているアルデノーマの背をぐいぐいと押しているのを、自室から出て来たファンベルクは茫然と見詰めていた。
翌日。一睡も出来ずに朝一で朝食を採りに部屋を出ようとして、この奇妙な四人組に出くわしたのだ。
どうやら随分前から四人は待ち構えていたようで、思いの他早く部屋を出て来たファンベルクに計画が狂ったみたいである。
恐らくぶっつけ本番で何かを為そうとしているようだった。
結局自分で歩み寄ることが出来ずにモタモタしているアルデノーマに三人が痺れを切らして、背を押した状態でファンベルクの前に進んで来た。
ファンベルクは普段通りに四人に朝の挨拶を済ませる。
アルデノーマの背後の三人は相変わらずの挨拶を終えると、さっさと退散してしまった。
一人残されたアルデノーマは打ち上げられた魚のように、口を開閉している。
朱に染まった頬が少女のように丸みを帯びて可愛らしい。
暫く逢わない間に、アルデノーマが凄く可愛くなった気がする。
ファンベルクは観念して、自分の気持ちを認めることにした。
しかしファンベルクの決意も知らず、アルデノーマは上目遣いで睨み上げてくる。
心臓が早鐘のように鳴った。
「ベルク!君に…。君だけに申告したい事がある!」
余程深刻な内容なのか、緊張してアルデノーマの頬が引き攣る。釣られてファンベルクも背筋を伸ばした。
「僕は、男として生きて来たし、これからも男として生きるつもりだ!」
ファンベルクは一気に絶望した。告白する前に振られるとはこの事なのだろう。
女性として自分を見るなと釘を刺しに来たのだろうか。ファンベルクは肩を落とした。しかしアルデノーマの告白は続く。
「でも、君の前では女性で居たいと思う」
「……え?」
ファンベルクは幻聴かと耳を疑い、俯いていた顔を上げた。
其処にはトマトのように真っ赤になったアルデノーマの顔。
いつもは無表情で感情を一切見せないポーカーフェイスなのに、必死なのだろう。絞
るように何度も口を開閉させ、言葉を紡ぐ。
心なしか瞳が潤んでいる気がする。
「こんな身体だが、僕は君が好きなんだ。…女性化してしまう程に好きなんだ」
ファンベルクは言葉を失った。
女性化。
男として生きてきて、男として生きるつもりだったアルデノーマが、自分の為に女になると言うのだ。
何と言う愛の証だろう。
これまでの自分の悩みが一息で晴れていくようだった。
しかし両性具有の者では女性化し、子供を産む事が出来る場合がある。
その場合、産まれて来るのは高い確率でファンベルクの血族、共生者。
愛の証である赤子と共に獣の子を産む事になるのだ。
ファンベルクは唇を噛む。
愛する人に、愛を決意してくれた人に、そんな惨い運命を強いる事は出来ない。
「ノマ…、私は知っての通り、君を不幸にする血族なのだ。君をそんな運命には…」
「ホレイショも君の一部だ。僕が男であり、女であるように、君も人であり、獣なのだ。君が僕を受け止めてくれるのなら、僕も何が遭ったって乗り越えてみせる」
ファンベルクは一筋の涙を頬に零した。
家族を、親族を失い、ずっと一人だった。孤独を分かち合うのは半身である獣、ホレイショただ一人。運
命に導かれるまま、このハイ・ラガード公国に辿り着き、白緑のオルガに出逢った。
オルガの薦めでギルド、ヴァランシェルドに入り、初めてリュシロイという人間の友を得た。
正体を知りつつも変わらず接してくれるリュシロイに言われるまま、レベルアップの探索に出た際に知り合った少女と見紛える程愛らしい少年アルケミスト。
夢中になった。
何故か護らなければと本能が働いた。
そして少年は傷付いた自分を庇い、死に物狂いで敵から守ってくれた。
嬉しかった。
例え拒否されても自分の全てを知って欲しいと思った。
だからリュシロイ以外には絶対に言わずに居ようと誓ったにも関わらず正体を明かした。
しかし彼は受け入れてくれた。そればかりか自分の秘密も明かしてくれたのだ。
傍に居たいと思った。呪われた血族である自分を嫌悪せずに共に居てくれるだけでも嬉しかった。
それなのに、好きだと言ってくれた。
自分の意思を曲げてまで、歩み寄ってくれるというのだ。ファンベルクは子供のように手の甲で頬を拭う。
「女性化したとしても、私より君の方が男らしいな」
涙を零しながら微笑む大柄なパラディンを小柄なアルケミストが抱き締める。
誰にも言えない秘密を抱え込み生きて来た二人がお互いを支え合い、生きる決意をしたのだ。
これから多くの困難が二人を待ち構えているだろう。
しかし二人が所属するギルドのメンバーが必ず彼等を守り支えるだろう。
何せ彼等は公国でも有名なお節介好きが多いギルドなのだから。
<了>
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男性向けでよくみる「ふた●り」とか好きじゃないんですが、この眼鏡っ子アルケミストを見た瞬間、「この子は男の子」と思いました。しかしイラストはふっくらと胸が…。その為、彼には両性具有になってもらいました。
ベルクはおっさん好きには堪らないキャラ。漢前のノマから受けてもよし!!…あ。流石に書きませんが。