<欠けた月と彼女と>
誰もが羨む程に光輝く金の髪は、綺麗に縦ロールを描き、まるで生き物のようにイヴェリアの目の前で跳ねていた。
少女特有の甲高い声が、露店が立ち並ぶ賑やかな市場の中でさえ響き渡っている。
カースメーカーのイヴェリアは大きく溜息を吐いた。
見ていないだろうと鷹を括っていたのだが、その溜息の原因であるドクトルマグスの少女は目敏かった。
猫のように釣り上がった大きな目を更に尖らせてイヴェリアを指差した。
「ちょっとぉ!?あんたの防具を値切ってやってんのよ!?何、溜息なんて吐いてんのよ!?」
アンジェリンは真っ赤な衣装を炎のように躍らせながら、プリプリと憤慨している。
怒られる言われは無い。
イヴェリアは定価で買うとカースメーカーが着られる防具をカウンターに置いたのに、アンジェリンが一方的に「待った」を掛けたのだ。
イヴェリアは値切ってくれと頼んだ覚えもないし、嬉しい訳でもない。
本来、人混みが苦手な性質なのだ。
この賑やかで人だらけの場所、市場から一刻も早く立ち去りたい。
配慮のないアンジェリンの行為に憤りさえ感じたが顔には出さない。
あからさまに迷惑そうな防具屋の主人は二人の顔を交互に見遣りながら、口をへの字に曲げている。
朱色の刺青が入ったカースメーカーに赤い衣装のドクトルマグスの少女は隠と陽のように対照的ではあるが、早く買い物を終え出て行って欲しいのは同じである。イ
ヴェリアは無表情のまま、先程から繰り返し主張している言葉を、分からず屋の相棒に再度繰り返した。
「定価で買うからいい」
「そう言って!また食費削るつもりでしょ!?駄目よ!」
お見通しなんだから!と腰に手を当て得意気なアンジェリンにイヴェリアは目を細めた。
ドクトルマグスのアンジェリンとコンビを組み、この世界樹の迷宮で有名になったハイ・ラガート公国にやって来たのは、ほんの数ヶ月前である。
程無く「ヴァランシェルド」という若者ばかりで有名なギルドに入る事になり、ギルドマスターであるパラディンのリュシロイに頼み、コンビを継続させて貰っている。
勝気で優秀なドクトルマグスのアンジェリンは、持ち前の明るさと面倒見の良さからギルドメンバーの姉的存在になっていたが、無口で無表情のイヴェリアは孤立していた。
同じカースメーカーのレイヴァントと呪術について話す事はあるものの、無口同士の二人である。
会話は持続しない事が多かった。
性格が全く正反対のアンジェリンとイヴェリア。コンビを組んで二年。
まるで自分の事を知り尽くしているかのような口振りの相手に、イヴェリアは憤りを感じていた。
今回の事も同様だった。
コンビを組んではいる。
相手が次にどう動くかお互いに把握出来る。
しかし戦闘とプライベートは別なのだ。イヴェリアはアンジェリンのお節介にいい加減辟易していた。
「これ、お金。此処に置いていくから」
既に包装し終わってあったカースメーカーのローブを引っ掴むと、イヴェリアは防具屋のカウンターに素早く紙幣を置き踵を返した。
蒸し返されては堪らないと防具屋の主人はアンジェリンが大声を出す前に、イヴェリアが置いて行った紙幣を魔法のようにレジの中に滑り込ませた。
立ち去って行く相棒と消えた紙幣を狼狽しながら交互に見遣りアンジェリンは、とうとう観念して華奢なカースメーカーの背中を追い駆ける事にした。
「また喧嘩したんだって?」
ギルド、ヴァランシェルドのカースメーカーは二人。先輩である若草色の髪のカースメーカーの青年レイヴァントと後輩である灰茶色の髪のカースメーカの少女イヴェリアである。
二人は習得しているスキルの違いはあるものの、一度の冒険で共に探索に出る事は無い。
その為に情報交換はフロースの宿やギルドの事務所で行っている。
此処は宿の一階、皆が食事をしている料亭兼酒場である。
フロースの宿の一階は、夜は名前通り酒場になるのだが、宿泊者には勿論、朝食と昼食を出している。
イヴェリアは買い物から帰ると遅い朝食を採っていたのだが、其処へ寝坊をして来たレイヴァントが降りて来たのである。
イヴェリア同様、サラダと林檎酒を注文し、彼女の座る席に同席した途端、そう話し掛けて来たのだ。
イヴェリアは目の前のサラダをゆっくりと口に運びながら、先輩であるカースメーカーに視線を寄越した。今
朝の事を言っているのなら、恐るべき情報の早さである。
噂の出所はお喋りな張本人アンジェリンだろう。
イヴェリアは視線をサラダの皿に戻し、ゆっくりと頷いた。
否定するのは馬鹿げている。
あの出来事が喧嘩であろうと無かろうとイヴェリアにはどうでもいい事だ。
それに、レイヴァントが真偽の分からぬ事で、自分を問い詰めたり責めたりしない事は分かっていた。
二人は暫く無言で食事を採っていたが、イヴェリアがまるで独り言を呟くように口を開いた。
「レイ、私、呪言マスタリーのスキルが7になったの」
レイヴァントはラディッシュを口に運んでいたフォークを下ろし、少女の面影を残すカースメーカーの娘を見遣った。
呪術を習得する為には、強い意志が必要だ。
しかしその瞳は何も映しては居ない。硝子玉のような朽葉色の両目は無感情に、遠い何かを見詰めていた。
呪言マスタリー7で習得出来るスキルは一つだけ。
レイヴァントは悲痛な表情を見せたが、イヴェリアは怯まない。
そして顔色を変える事なく囁いた。
「だから、教えて。私に、あの呪術を」
明日の探索のパーティメンバーが発表された。
今回は三竜を倒す為のメンバー育成のボス連戦という事で、上層階の地図作成メンバーとは異なっている。
その中には着々とレベルを上げているイヴェリアの名もあった。
しかし相棒である筈のアンジェリンの名は無かった。
カースメーカーとドクトルマグスのコンビだからと言って常に同じパーティメンバーになる事は無い。
レイヴァントの連戦が続いた場合、彼の代役として同じカースメーカーであるイヴェリアだけが探索に出る事もあるし、メディック二人のレベルが高過ぎる場合、メディックの代わりとして、下層階の探索にアンジェリンのみが出る事もある。
しかしアンジェリンは何か嫌な予感がして、ギルドマスターであるパラディン、リュシロイの許を訪れた。
フロースの宿の一室を改装して創られたギルド「ヴァランシェルド」の事務所には、既に先客が二人訪れていた。
馴染みの顔にアンジェリンは険しい顔を一瞬崩す。
しかし自分を見詰める一対の紅い瞳に顔を強張らせた。
二人はダークハンターのラザフォードとカースメーカーのレイヴァントだった。
相棒であるイヴェリアと同じカースメーカーの青年レイヴァント。
冒険を知らない公国の人間が見れば顔を顰める職業の一つであるカースメーカーでありながら、その相貌は女性と見紛う程に美しい。
性格も無口である処はイヴェリアと同じだが、レイヴァントは柔和な印象を受ける。
それは公私共にパートナーであるダークハンターのラザフォードの影響だろう。
今も青褪め、立っているのも辛そうなレイヴァントの肩を抱き支えている。
只ならぬ雰囲気にアンジェリンは顔を顰めた。
「君が来る頃だと思っていた」
突然リュシロイが切り出した。
リュシロイはギルド「ヴァランシェルド」のギルドマスターであるのと同時に最高レベルのパラディンでもある。
既に三色ガードをマスターした彼は引退でもしたかのように、新人育成に力を注いでいる。
近々最高レベルに到達するカースメーカー、レイヴァントの代わりにイヴェリアの育成に尽力している事も知っていた。
アンジェリンは顔を引き締めると、大きな塗りの机に両手を叩き付けた。
「なら分かってるでしょうロイ!私もパーティに同行させて!」
「それは出来ない」
アンジェリンの吼えるような叫びに、リュシロイは眉一つ動かさず即答した。
一瞬言葉に詰まるがアンジェリンは諦めなかった。歯を食い縛り射るように目の前のパラディンを睨み続ける。
リュシロイはそれを受け流すように見返す。
そして暫く無言の時間が流れた。観念したのはその二人では無く、同席していた二人だった。
「ロイ。いずれアンにも分かってしまう。隠し通せる事じゃない」
アンジェリンは机に付いたままの両手を離し、哀しそうに佇むカースメーカーの青年を見た。
レイヴァントの言葉に、感じていた嫌な予感の全てが秘められている気がした。レイヴァントはそっと目を伏せる。
「イヴェリアは今回、ペイントレードのスキルを上げる為に探索に出るんだ」
「ペイン…トレードですって…?」
呪術スキル「ペイントレード」とは、自分の最大HPから使用時のHPを引いた数値が大きければ大きいほど敵に与えるダメージが上がる攻撃スキルである。
詰まり、自分の痛みを相手に与える呪術、自分が重傷であれば、ある程、敵に対するダメージが大きいという自虐スキルなのだ。
その攻撃力は計り知れず、三竜やF・O・E、ボス戦にさえ有効な技とされている。
しかし、カースメーカーでは禁忌の技とされており、習得もマスターした者からの口伝である為、術を使う者はカースメーカーの中でも数える程しかいない。
レイヴァントはその数少ない習得者の一人だった。
イヴェリアがペイントレードを習得したという事は彼が技を教えた事に他ならない。
アンジェリンは烈火のように、激怒した。
怒りで髪の毛がふわりと逆立つ。
「何でイヴにペイントレードを教えたのよ!」
今にも掴み掛からん勢いのアンジェリンに、咄嗟にレイヴァントを庇いラザフォードが前に出る。
しかし、レイヴァントは、後ろからラザフォードをやんわりと押し退け、アンジェリンに向き直った。
血のように真っ赤な瞳が怒りを露にしたアンジェリンの姿を静かに映していた。
「彼女が望んだ事だ」
アンジェリンは目を見開き、声を失った。
そう、アンジェリンはレイヴァントが彼の代わりを務めさせる為、無理矢理イヴェリアにペイントレードを継承させたと思い込んでいたのだ。
大人しく何事にも関心を示さないイヴェリアが何かを望むなど想像もしていなかった。
アンジェリンは何故という問いも言えずにいた。
しかしレイヴァントはアンジェリンの疑問を理解していた。そして哀しそうにゆっくりと頷いた。
「勿論、私は反対した。ペイントレードはラズも私が使うのを許さない位、辛い呪術だからだ。幾ら同じ職業だとしても、大事な仲間である彼女が、ペイントレードを唱えるのを私も黙認出来る筈も無い。でも、彼女は望んだ。その為にレベルを上げて来たと訴えて来た。彼女が望む以上、私に断る事は出来ない。彼女にペイントレードを使って欲しく無いのは私のエゴだからだ。このスキルを遣う事を君は理解出来ないかもしれない。でもイヴの気持ちを知って欲しい」
アンジェリンは戸惑いながらレイヴァントを見詰めた。
心優しい彼もイヴェリアの為に心を痛め、継承させた後も、きっと苦しんだに違い無い。
それを事情も知らず一方的に責めた自分を思い遣ってくれる。ラザフォードは本当に良いパートナーを得たと羨ましく思った。
イヴェリアの気持ち。
アンジェリンは何事にも無関心なイヴェリアを気遣ってやっているつもりだった。
自分が付いていてやらねばと常に思っていた。
しかしイヴェリアの本心を聴いた事があっただろうか。
何も話そうとしない彼女の気持ちをいつも推測だけで決め付けて居なかっただろうか。
アンジェリンは、黙ったまま状況を眺めていたリュシロイに勢い良く一礼すると、くるりと踵を返し事務所を飛び出して行った。
赤く靡くマントの残像を見ながらリュシロイが微笑む。
「お互いの本音をそろそろ知る時期だろう?」
エトリアからの仲であるラザフォードは皮肉るように口を歪ませた。金糸の目が猫のように細められる。
「何でも知ってるって顔しやがって…。お前、最近エドと似て来たんじゃないか?」
エドとはエトリアで彼等が所属していたギルド、「アシュトレイ」のギルドマスターだったメディックのエドヴァルドの事である。
リュシロイは「心外だ」と言わんばかりにラザフォードを見遣り、口許だけで笑った。
闇を照らす月が、窓辺に座る影の存在を浮かび上がらせている。
アンジェリンは開いたままの扉を潜り、イヴェリアの部屋に足を踏み入れた。
イヴェリアは窓辺に腰掛け、昇る月を眺めている。
朽葉色の短い髪が音のない風に戦ぎ、赤錆色のローブは刺青の入った身体を覆い隠し、銀の鎖が足許から垂れ下がっていた。
アンジェリンは初めてイヴェリアを観た気がした。
彼女は全てに置いて無関心だったのではない。自分以外の全てを拒否していたのだ。
後ろ手に扉を閉め、アンジェリンはその場に佇む。聴きたい事は沢山あった。
しかし何から聴けばいいのか分からない。
口篭っている内に、先に口を開いたのは意外にもイヴェリアだった。
「ペイントレードの事、聴いたのね」
アンジェリンは声を出さずに頷いた。イヴェリアは振り向かない。じっと窓から月を眺めたままだ。
イヴェリアはアンジェリンが来る事を予測していた。お節介な彼女が来ない筈が無いと思っていた。
恐らくアンジェリンは「ペイントレードなど危険なスキルは使うべきではない」と主張するだろう。
勿論、幾らアンジェリンが止めようともイヴェリアはペイントレードのスキルをMAXまで上げるつもりだった。
その為に呪言マスタリーのスキルを上げて来たのだ。
攻撃力を上げる為にHPブーストも上げるつもりでいる。
例え誰が何と言おうとイヴェリアの意志は揺らぐ事は無い。
これは報い。
人を愛する事の出来ないイヴェリアが選んだ自らの断罪なのだ。
イヴェリアにとって世界は、自分と自分ではない何か、その二つでしか無い。
彼女の周囲の人間でさえ、その例外ではなかった。
自分の身が危なければ、彼女は躊躇無く切り捨てられるのだ。
どんなに心を砕き彼女を愛しても、イヴェリアは応える事が出来ない。
その罪深さに、途方に暮れたが、状況は変わらなかった。
自ら命を絶ちたくてもカースメーカーは自殺する事が出来ない。
カースメーカーになるのと同時に、その対価として自らの拘束と自殺の出来ぬ身となるのだ。
だからイヴェリアは選んだ。
冒険者となり出来るだけ死に近い処に居る事を。そしてその痛みと血が、少しでも仲間の助けになる道を見付けたのだ。
アンジェリンは月の光の中、イヴェリアの背中を見詰めながら今は亡き友を思い出していた。
本当に死にたいと思っている人間は、決して人に死にたいなどと口にはしない。
同情を引き助けて欲しいなど思っては居ないからだ。
友は何も言わないまま人知れず死んだ。
死して後見付けた告解でアンジェリンは彼女の絶望を初めて知ったのだ。
自分など死んでしまえ。この世から消えてしまえ。
小さな日記にはその言葉が繰り返し書かれていた。きっと死ぬ瞬間まで彼女の頭にはその事しか無かったのだろう。
彼女が唯一願ったのは自らの存在消失だったのだ。
アンジェリンは自分を責めた。
何も知らなかった自分を責め続けた。
そしてアンジェリンが選んだのは、人と関わり続ける事だった。
決して逃げたりはしない。何
度裏切られ傷付いても人と接したい。誰かと関わっていたいと思ったのだ。その為にドクトルマグスになった。
冒険者となり人を補助する職業に付いた。
イヴェリアが何を思い、ペイントレードのスキルを習得するに至ったのかは分からない。恐らく聴いても話してはくれないだろう。
その確信はあった。しかし余程強い意志が無い限り、その決断は出来ないだろうとアンジェリンは思う。
あんなに近くに居て、友のサインは見付けられなかった。
今度は見逃さない。
決して。
「あんたがそうしたいなら、私は止めない」
思わぬアンジェリンの言葉にイヴェリアは月を背にして室内を振り返った。
月の明かりで仄かに明るい部屋の中、氷のような天色の瞳がイヴェリアを静かに見詰めていた。
余りにもその表情が穏やかなのにイヴェリアは目を見張る。
今迄のアンジェリンなら頭からイヴェリアを否定する筈なのに、いつもと様子が違う。
「でも、忘れないで。あんたが傷付けば私も同じように傷付くの」
傷は傷でしか無い。受けた者自身しか傷の痛みは分かり得ない。アンジェリンが言っているのは心の痛みの事なのだろう。
でもイヴェリアには理解出来ない。
イヴェリアには人の痛みを思い遣る事が出来ないのだ。
しかしアンジェリンの言う事を頭から否定する事はしなかった。
イヴェリアには分かっているのである。
自分と人は違うという事を理解しているのだ。アンジェリンの視線を受け止めイヴェリアは囁くように口を開いた。
「じゃあ、同じパーティになったら死なない程度に回復して」
頭から自分を否定しなかったアンジェリンにイヴェリアなりに譲歩した結果なのだろう。
アンジェリンは猫のように釣り上がった目を更に糸のように細め笑って見せた。
弧を描き笑った口許から八重歯が見える。
それは了解の証。
今はまだ分かり合えない。でも、いつかお互いを理解出来るようになるかもしれない。アンジェリンは諦めない。
イヴェリアはまた月を見上げた。アンジェリンも窓辺に近付く。
満月に近い大きな月がほぼ夜空の真上に浮かび、静かに二人を照らしていた。
<了>