以前、私はドビュッシー〔フランスの作曲家 印象主義音楽の始祖 1862―1918〕の曲が好きでした。今も嫌いではありませんが、前ほど熱の入ったものではありません。
実は、今日、書こうと思う内容は、そのドビュッシーの曲を聞いていたときに起こったハプニングです。
そのとき聴いていたドビュッシーの曲はシンセサイザーによるものでした。
音の連なりが、あたかも大きな輪を描いて回転する雲の流れを思わせるような曲でした。
そのメロディーを聴きながら、いつしか私の意識はその速い流れの雲といっしょに回転していたのです。
グルグル、グルグル、……
とっ、突然メロディーが止みました。(そのような作りの曲だったのです)
あまりに唐突にメロディーが止んだため、私の意識はその回転から勢いよく放り出されました。
そして、そのショックは私の意識に思わぬ変化を起こしたのです。
放り出された次の瞬間、『なぜ、私はここにいるのだろう?』という思いが浮かびました。
それはまるで、記憶を喪失した人間が、ハッと記憶を取り戻して思う疑問のように浮かんできたのです。
そして、その記憶喪失から目覚めた“私”は、部屋を見渡し、今の自分を感じ、とてもがっかりしていました。
何もかもが、自分の好みと相容れないものだったからです。
一方、現在の自分の意識も心の中にありました。
現在の私の意識は、別の“私”の『がっかりした』という感想を感じて、なんて失礼な奴!と怒っていました。
なんと!驚くべきことに、同じ心の中で、同時に別の自分を感じていたのです。
今の私が感じるところの前世の自分、それはどんなものかと言うと、
男性で、お金も、地位もあり、音楽、絵画、文学など芸術を楽しんで、それなりに人生を満足して過ごした人物のようでした。
そういった人物にとって、現在の私は、自分の美意識にそぐわないと、がっかりしたようなのです。
しかし、現在の私から見れば、前世の自分は鼻持ちならぬ気取りや、スノッブだと感じました。
しばらく、そんな対立した思いを抱いていたのですが、それは徐々に統合されていきました。
もしかすると、ドビュッシーの曲というのは、前世の彼が熱烈に好きだったものの一つだったのでしょう。
だから、現世の私も少なからず影響を受けていたのだと思います。
前世と現世の感覚をさえぎる薄い壁が、ハプニングによって壊れ、今まで漠然としていたものがハッキリ見えてきた感じがしました。それは自分の好みのルーツです。
しかし、残念ながら、その好みは現在にはそぐわないものなのです。
新しく生きるために、記憶を消して人々は生まれてくるのだと思います。
それなのに、私の場合、前世があまりにも居心地良くて忘れがたかったのか、現世にもその記憶の一部がよみがえってきてしまったようです。
よみがえってくれなければ、現世の自分に満足し、それ相応に幸せを感じて生きられたのにと思いました。そして、まったく違う人生を選んでいたかもしれません。
でも、もしかすると、今回の人生を選んだのも、途中で前世の自分に気がついたのも、計画の中に入っていたのかもしれません。
過去と今とを統合し、自分をより良いものにしていくようにと……。
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