そのある人は、寝具を通販してた会社の方で何もしていなかった川上はそこに就職する事にしたのです。
川上の詐欺的な部分はここでも発揮され、大阪支社長という形で帰ってきました。
その通販の仕事で、芸能関係に少しだけブレーンができた川上は、芸能人に友達がいてる!と世間でよく言うようになってました。
それから十数年経って北新地の店を潰し何もしてない川上に、あの頃知り合った芸能関係者からたこ焼き屋の話しを持ちかけられたのです。
内容は、大阪にミシュランを獲得したたこ焼き屋があってそこの看板とソースを持って台湾で営業しないか?という話しでした。
台湾での出店の場所は、101タワーのふもとでホテルリッツカールトンの建設予定地。着工するまでの2年契約という事でした。
追われる身にある川上にとって申し分ない話しですぐに台湾行きを選択したのです。
台湾での営業は芸能関係者の力もあり現地芸能人を使って宣伝し大阪からミシュランというふれ込みで大盛況でした。
欲深い川上は、金欲しさにネタ元とトラブルになりましたがその頃にはお得意のやり手の日本人を世間に振る舞ってたのです。
2年の契約も終わり、そんな川上に詐欺られたのは日本人のバーの若き経営者でした。
共同事業という形をとり、若き経営者の会社を使って一応事業はしていたものの、タワーマンションに女と住み飲み歩く毎日に上手くいくはずもなく、またしてもトラブルになり金を動かせなくなった川上に居場所はなくなって帰国したのです。
トラブルは返済しなくてもいいようにするための川上の常套手段です。
いい加減なところで見切りをつけた若き経営者は今も元気に台湾でガンバっています。
たこ焼き屋の契約が終わってからの川上は、よく私に電話してきてました。泣き落としという内容でその頃もよく振り込んであげたものです。
今から思えば、若き経営者と私の金をクルクル回してたんでしょうね。
第7章に続く
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