宮島系文化財的建築日記

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七浦の神社について~宮島~

2024-11-17 20:04:29 | グルメ

(宮島周辺の文化財についてつれづれつづっています。

最後に宮島・広島のお土産を紹介しているので、

お越しになられた際は御参考になさってください

 

 

7浦神社について。。。

宮島町史 宮島町編集発行では

浦々の神社として掲載があった

 

浦々の神社

  1. 長浜神社
  2. 杉之浦神社 (七浦社)
  3. 包ケ浦神社
  4. 鷹之巣浦神社 (七浦社) 
  5. 腰少浦神社 (七浦社) 
  6. 青海苔浦神社 (七浦社) 
  7. 養父崎神社
  8. 山白浜神社 (七浦社) 
  9. 須屋浦神社 (七浦社) 
  10. 御床神社 (七浦社) 

 

その中で

長浜神社は棟札4枚(1713年、1713年、1750年、1765年)の内1765に

杉之浦神社は棟札5枚(1593年、1713年、1777年、1779年、1788年)の内1788に

包ケ浦神社は棟札4枚(1771年、1876年、1895年、1954年)の内1771に

鷹之巣浦神社は棟札1枚(1771年)に

腰少浦神社は棟札1枚(1771年)に

青海苔浦神社は棟札5枚(1713年、1749年、1771年、1777年、1788年)の内に1771年、1777年に

養父崎神社は棟札1枚(1771年)に

山白浜神社は棟札2枚(1777年、1791年)の内1777年に

須屋浦神社は棟札6枚(1750年、1776年、1777年、1786年、1806年、1950年)の内1776年、1777年、1786年に

御床神社は棟札3枚(1776年、1777年、1944年)の内、1776年、1777年に

 

金剛院の名前がある。

1765年、特に1771年、1776-1777年、1786、1788年と1765~1788年の24年の間に限られている。

 

浦々の神社は垂木の間隔が狭いものと、広いものがそれぞれある

特に杉之浦神社と養父崎神社は細かく入っている繁物・繁垂木としている。

また、きざはし(階段)のあるなしで見てみると、あるのは長浜神社、杉之浦神社、青海苔神社、須屋浦神社であり、棟札の年代で見てみると長浜神社(1713)、杉之浦神社(1593)、青海苔神社(1713)須屋浜神社(1750)と浦々の神社の中でも最も古い4社に固まっている。

 

棟札からわかるのは杉之浦神社が他の神社よりも100年以上前に建立されており

一番古く、1710年代、1750年代、1770年代と1700年代を中心に建立されています。

 

 

7浦巡りは七浦・七恵比寿神社を海上から訪ねるもので、

毎年4回宮島観光協会で行われています。

4月・5月・9月・10月に各月に後半が多いと思いますが、1日だけ行われています。

予約もできると思うので、龍のお船で巡ってみてはいかがでしょうか。

ちなみに当日から一週間前は予約でいっぱいのことが多いと思います。経験済み。。

 

今日のお土産は、元金剛院があった場所の近くの喫茶店 伊都岐珈琲 宮島の

ホットサンドとカフェラテ 秋なのでほっとします。。

11月ですが宮島は広いので、歩くので、、ソフトクリームも食べたくなると思います。

参拝の帰りのルートにありますよ。

宮島を楽しんでくださいね。


荒恵美須~厳島道芝記~

2024-10-28 23:17:44 | グルメ

(宮島周辺の文化財についてつれづれつづっています。

最後に宮島・広島のお土産を紹介しているので、

お越しになられた際は御参考になさってください

 

厳島道芝記(宮島町発行)に荒恵美須神社の記載がありました。

 

71頁

御社      防守 金剛院

  瑞籬 鳥居 棚守 勝屋保之亟

        神子 周防内侍

           肥後内侍

 

御社南向厳島客人宮の右の方たまかきの脇なり。

荒えひすと号し奉る事は世にえびすとて釣したまふ御神にはあらず、

たけくゐぶりにましますあら神のゆへにかくは号しならはすよし

故ある御神とかや

 

たけくゐぶりとは、どんな意味なのだろう。。。

 

荒胡神社の木鼻と五重塔の木鼻は形が違う。。

 

建築用語を調べてみる

中村達太郎 日本建築語彙 中央公論美術出版

402頁

みずがき【瑞籬】神社の周囲に設けたる垣をいう。

「みず」は尊崇の義なりとぞ。<たまがき>を見よ。

 

204頁

すいまがき【瑞籬】<みずがき>に同じ。

 

・・・

たまがきにはいろいろ書いてある…

 

金剛院は宮島のどこにあったのだろう。。

 

ちなみに金剛垣の説明は・・・

中村達太郎 日本建築語彙 中央公論美術出版

155頁

こんごうがき【金剛垣】<仁王門>などの前に設けたる図の如き垣。

普通緑色に塗りあり。

307頁

におうもん【仁王門】寺の門にして、左に密迹金剛、右に那羅延金剛の二神

を安置しあり。

 

金剛垣は大聖院の仁王門にあると思う。。

 

今日のお土産は・・・

ギャラリー宮郷の

カレーと

シフォンケーキとコーヒー

 

お店の中が素敵

お庭が素敵 特に雨の日等々

 

 

前に課外学習で宮島を訪れたときに

先生が連れて行ってくれた

 

あの頃と変わらず。。

 

 

宮島のことがよくわかるカフェを

きっと、いろいろ探してくださったんだろうなぁ。。。

 

 

 

 

 

 

 

 


おんがのしま~厳島道芝記~

2024-10-14 21:36:17 | グルメ

(宮島周辺の文化財についてつれづれつづっています。

最後に宮島・広島のお土産を紹介しているので、お越しになられた際は御参考になさってください)

 

厳島道芝記 (宮島町発行)の中に面白い一説がありました。

おんがのしま(恩賀 御香)とも言っていたのだそう。。はじめて知りました。。

 

16頁

・・・もとはおんがのしまと名づけ、宮ゐしたまへる所をばみかさのはまといふ。

おんがといへることは明神鎮座おはしまして、神の御香のふかきゆえなりとかや。

つたふる歌に

題安芸国二十浦(はたうら)十島(としま) 小野篁(おののたかむら)

入うみの二十うらかけて十しまなる中に香ふかき島は七うら

 

或は神の恩賀のあさからぬををもって、名とせるもいへり。つたふる歌に

題恩賀島 在原業平(ありはらのなりひら)

恩賀島(たくいなきしま)のすがたはおのづからよもぎの山もこゝにありけり

恩賀の二字をたぐいなきと訓ず。また我島の神詠(しんえい)はおんがの語にかよひて 口訣(くけつ)ありとかや。・・・

 

小野篁も在原業平も800年代の人ですから恐れ多いことです。

 

挿し絵を見ていて、地御前神社の前の海の中に鳥居が描いてあります。今はないものも、絵をみればわかりますよね。また、藁葺きと板葺きの建物が混在していて、板葺きの中には作りから手前に腰壁があるのは神社を示しているのか。。大元神社や長浜神社の前にも海の中に鳥居があったことがわかります。五重塔や千畳閣も描かれています。

 

厳島道芝記は小島常也著において1702刊と、厳島図会1835刊に比べて133年前に書かれており、上にも書いたように

我島と書いているように宮島にかなりの思い入れがあったように偲ばれます。

 

 

今日のお土産は

cafelenteカフェレンテさんの広島風汁なし坦々麺

お店は大願寺裏の神社唐門の小川のほとり、鳥居や神社の眺めが最高です。

店内は様々な椅子が並んでいて、ほっこりします。

寒くなってきたので、暖かいお食事で体を温めてくださいね


~社頭造営~厳島道芝記~

2024-10-07 22:49:39 | グルメ

(宮島周辺の文化財についてつれづれつづっています。

だんだん涼しく。。ずっと涼しく。。なりました。。ブログを書き書き。。

最後に宮島・広島のお土産を紹介しているので、お越しになられた際は御参考になさってください)

 

厳島道芝記(宮島町出版)の社頭造営43に

旧記曰く推古帝即位元年佐伯鞍職官奏を経て、宣下を蒙り御笠浜に宮柱ふとしきたて、千尋のたく縄百むすひあまり八十むすひに紐なしひめがきたかがき、たかどの、うてな、てりかがやき高橋浮橋天のとり舟つくりてたてかたじけなくも為田供佃附与させ給ふ事ねんごろなり… とあります。

ひめがきたかがき、たかどのうてな、高橋浮橋などふたつの言葉を重ねています。ところどころに建築用語も。。天のとり舟なども書いてありますね。。

てりかがやきとはどんな感じだったんでしょう。為田とはなんなのでしょう。

 

 

 

今日のおみやげは桜尾ジンのハマゴウ

宮島の青い花をフレーバーにしてすがすがしい

味わいのジン

フェリー乗場近くのバーでいただける。。

 

公共交通機関で来た方の特権です。。

ハマゴウのジンはあまり手に入らないので有名。。バーにふつうにドリンクとしてメニューがあったので驚きました。。宮島らしい香りを是非。。

紅葉狩、初詣後がおすすめ。。夕日を見ながらたそがれては。。


寝殿造

2024-10-06 21:28:10 | グルメ

(宮島周辺の文化財についてつれづれつづっています。

しばらく猛暑で休んでいましたが、地道に投稿せねばと。。

最後に宮島・広島のお土産を紹介しているので、お越しになられた際は御参考になさってください)

嚴島神社は寝殿造りです。

 

ここで寝殿とは 寝殿造とは 辞書には何と書いてあるのでしょうか。

中村達太郎著  日本建築辞彙 中央公論美術出版 では以下のように説明されています。

 

寝殿 表御殿をいう。周の時代の制度に王公は六寝あり、路寝一つ、小寝五つにして、路寝は事を治むる処、小寝は燕息の地なりという。

即ち寝は寝室の寝にあらず。寝殿は即ち正殿にして、儀式あるときに用うる殿なり。

 

寝殿造 書院造より古き造り方なり。寝殿造に於ては玄関、床の間など無く床上には敷詰めたる畳も無く、縁側には雨戸も無く、全く現今の家屋と異なれり。今その大略を記さんに、先ず身舎を構え、その外方に一段卑くき広廂を設け、その外方に更に低き簀子縁あり。正面には階ありて、その左右及び縁先には勾欄を付しあり。また廂の四周には格子及び蔀を設け、四隅に妻戸あり。

 

寝殿造りは元来は儀式を行うところの意味だったとは。。

ちなみに 光る君への御殿は寝殿造りですが丸柱に槍鉋の跡があるんです。。再現されているのがすごいです。

 

今日のお土産は・・・

塔之岡茶屋の力うどん

なぜ力餅なのかは行ってみてのお楽しみ!

美しい龍髭(りゅうぜん)の松も一見の価値ありです。