でも当時はそういったことを理解してくれる人が周囲に全くいませんでしたので怖がったり泣いたりするのを酷く怒られました。
母親にも先生にもそういった知識がなかったので仕方がないことなのですが当時は怖がって泣く私を何度も叩きました。
皆が全く問題のない【音】を常に我慢しなければならず、今思うとそのストレスが胃潰瘍や十二指腸潰瘍の原因になっていたと思います。
怒られたくない、皆と同じにならなければいけないという気持ちがずっと私の中で理不尽な辛抱や我慢、忍耐になっていました。
海外の生活では大晦日の花火が恒例行事だった為、とても怖くてライフル用のヘッドフォンを購入しつけていたので馬鹿にされたり笑われたりしました。
年に一度の一時帰国は必ず大晦日前にして、日本で年越しをしていました。
花火、風船、クラッカー、ピストル=楽しい物・ワクワクする物というのが一般的とされているのでそれに外れているとおかしいと粛正しようと周囲は躍起になりますね。
語学学校のパーティーでクラッカーを使うと言われたので勇気を出して欠席しました。
先生も生徒も全く理解できないと何度も電話してきましたが、元旦那と義理のお母さんは私が怖がることを我慢してまで参加する必要はないと学校側には説明してくれました。
自分を理解して守ってくれる人の存在に心から感謝が溢れました。
当時は私は酷い鬱病と不眠症も患っていたのでさらに音へ過敏になってしまい、それから1年くらい大声なども怖くなり1人で外出することが難しくなってしまいました。
自分が無理したり我慢したり傷ついたり悲しい気持ちになってまで外に出たくない、理解してくれる人がいても皆が楽しいと感じる物事を私のために中止したら罪悪感に苛まれて辛いとも悩みました。
その後、レイキやエネルギーワーク、シャーマンや魔術といったことに関わる人々と出逢い、彼等は固定観念を押し付けることなく自然でそれでいて自分勝手ではなく尊敬できて信頼できて私に安心と勇気をたくさん与えてくれました。
自分が嫌いなことを無理に我慢する必要はない、そのために別行動を取る勇気の大切さを知り、【音】の恐怖を克服したわけではないですが驚くほど生きやすくなりました。
私は自分の心の平穏を守ることの大切さを重視するようになりました。
それが孤独を愛し楽しむことへと繋がっていったようにも思います。
時代が変わり周囲の理解や知識も少しずつ広がってきましたし、様々な生き方が受け入れられるようにも変化しつつありますので、救われる人も多くなってきたように感じます。
一般的に楽しいことや好感を持つ物が怖かったり嫌いな人の気持ちを理解して受け入れることはとても大切だと思います。
HSPなどの治療法云々よりも
「いろんな感性や感覚を持った人がいていいんだ」という心をひとりひとりが育むことがとても大切なことだと私は思います。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
私で何かお力になれることがありましたらお気軽に。
こちらとこちらでご依頼を受け付けております。
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