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幸せのちゅちゅ

【弱みは強み】宇宙レベルに複雑に絡み合い同時進行して生きていること自体が自分らしい

自分は思春期の頃にいわゆるコンプレックスを持っていました。

本当に思春期が始まるというそのタイミングに

衝撃的な出来事があり

自分に自信が持てない

の思いが出来上がったのでした。

心理とかメンタル的に

教科書通りとも言える

「自分は◯◯が足りない」

という表現にピッタリのものが出来上がり

それを持ち続けたために

友達の話を聞いていても

本とか雑誌などを眺めていても

「自分は◯◯がない」

が余計印象づくようになっていたのです。


今なら仕組み分かるけど

完全に願いが叶っている真っ只中ですね。

「◯◯が足りない」と不足を感じた段階で

足りない自分とか

駄目だと思う自分を

感じられるような出来事と出会うようになるのですよね。


こうして

「自分は◯◯がない」の思いが強化された自分は

当然のように

自分に自信がないを受け入れるようになり

次から次へと

自分の中の足りない部分に目を向けて

次から次へと

「自分には△△がない」

「自分には▢▢がない」

っていうものが自分の中に乱立状態になり

その結果

「本音を言いたくない」

と思うようになってしまったのは

当たり前かなと思いました。


自分でこれだけ駄目な部分を感じているのだから

その上

他人からも

駄目だと思われたくないというような感覚だったのもしれません。


単純に

様々な恥ずかしい部分を

人に見せたくない

だから

本当のこと=本音

「本音を言いたくない」

となっていたのかもしれません。


当時の自分が生きていた環境や

そう思いこんでしまっていた状況の中で

「本音を言わない」という選択をしたのは

少しでも自分を守りたいという思いの表れだったという気がします。



自分として

必死に自分を守ろうとしたい

それ以上自分を傷つけないようにしたい

そうやって

その思考を採用して

いつでもそれをバレないように振る舞っていた


そんな自分の姿を思うと


本当に

真剣で

一生懸命

むしろ

必死だったのだと思います。



思考も複雑だけど

生き方も複雑です。


こうやって今振り返ってみると


自分の純粋さ

自分の頑なな意思の強さ

自分の一生懸命さ


を感じますね。


これらは

全て

その当時の自分にはない

と思っていたものばかりでした。


さっきも書いたけど

生きるというのは

同時に

色々なことを成し遂げている結果なのですね。


そもそもが

考えて

こうやって手をタイプさせて

足は立って体を支えていて

背骨は真っ直ぐな姿勢を保とうとして

目は手元や画面を見て

耳は周囲の音やらBGMやらをキャッチして

おまけに

呼吸をして

内蔵は消化の動きをして

血液はせっせと循環していて

心臓が全てにエネルギーというか行為を発生させていて



まだまだ書ききれないけれど

こんなにたくさんのことを同時に行っているのが

生きること

人生なんですね。



自分に足りないところが分かってしまい

自分を駄目だと感じてしまい

恥ずかしいって思いから

秘密にしておかなきゃいけないと判断し

本音を言わないと決断し

でも本音の代わりに何か別のことを表現することでもあると考えを膨らめ

人とあっている時は、その場その場のギリギリラインで演技する

恥ずかしい自分がバレないように

本当の自分の部分まで他の人に入ってこないように守るという使命が生まれる


良いとか悪いとか

弱虫とか強気とか

臆病とか勇気とか

外交的とか内向的とか

孤独とか集団とか


そういったメモリで分けていくと

全てネガティブ系な自分の姿にいきついてしまった


そこしか見えなかったし

さっきも書いたけれど

駄目な部分を見るというのがある意味願いになってしまっていたから



だけど

そういうジャッジ的な部分

モラル的な部分じゃないところで感じたり俯瞰したりしてみると


本当に

一生懸命

思い込んだら脇目もふらず一直線

自分で決めたことを徹底的に守り通す


必死に生きていた自分の姿


が存在していました。


いずれも

自分にはない

とおもっていたものばかりでしたが


そのときすでに

こんなに強力なものを持っていたということなのですね。



不思議ですね

実は必死で生きていたのに


自分には真剣さが足りない

なんて甘っちょろい人生なんだ

って思っていたから。


矛盾だらけ

色々な矛盾に自分が悩んでいたのも

うなずけます



こうやって

見てくると

自分はすでに

様々なものを

手に入れていたということになりますね。


そこが見えるのか見えないのか

感じるか感じないのか


何にフォーカスするのかがポイントですね。



まあ

でもあの当時の自分が

こんな視点をもつなどとは全く理解できなかったし



こういうものが見えるタイミングがあるのでしょうね。

しかも、

人それぞれ訪れるタイミングが別々なのでしょうね。


私の場合は

今現在

それを感じることが

できるようになりました。



今までも自分らしい人生

ここからも自分らしい人生


結局

どう生きても

自分らしいということですね。

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