「怒りを感じたら6秒待つ」
昨日書いた記事ですが
以前なら
このようなことは書きませんでした。
正確に言うと
書けませんでした。
なぜなら
「怒りを感じた瞬間湯沸かし器状態の時に、待つ?」
「そんなことが本当にできるのか?」
という
自分に対する
できそうもないという見込みがあることを
できるかのように書くなど
自分自身の脳内で
無理 無理 無理
という叫びが出ていたから
絶対にそういう選択はしませんでした。
他にももう一つ理由があって
「怒りを感じたその瞬間に、6秒待つ」
などと書いたら
「そんな理想みたいなことできるのですか?」みたいなことを
思われる!!
と感じたから。
要するに
人の目を気にしていたということですよね。
人から「無理」と言われるのを避けるためには
これは書かないほうがいいと判断したのですね。
だけど
本音を言わないようにする
本音を言いたくない
と言う部分のブレーキの根本部分だったもの
そのせいで「本音言いたくない」ができあがったというラストボス的存在
(最初からいたのにラストボスというのも変な気もしますが)
自体が結構昔に消滅していたという事実が分かり
神様がいなくなった神社みたいな状態でフレームだけが残っていたという仕組みも明らかになり、腑に落ちたり
それもこれももひっくるめて
全部を人に話したら
本当に楽になりました。
軽くなった感じがするし
何も気にせずに
話せるのはすごく気分がいいし
スムーズに
そしてとても楽しく話せるという感覚を得たのです。
そしたら
今回
怒りが沸き起こった時に6秒待つという提案を聞いた時に
「できるか・できないか」みたいな感じよりも
「面白そう」という方向の方に強く惹かれたのです。
面白いと思ったのなら
やってみるだけです。
上手くいったら儲けものだし
上手く行かなくても、何らかの気づきや、別の一手につながるヒントが見えるのかもしれません
ここの感じ方が全然違っているよね。
今書いていてビックリ!
できなかったら、恥ずかしい とか 損する とか 前だったら思っていた。
でも
できなくても、何か気づくかもしれない。
うわ! 新しい感じ方ですね。
こうなるとね
できなくたって、いいじゃん。だって、やりたいことやってみたのだから。
となります。
こう見てくると
ブレーキがはずれたの一言で済ませるけど
実際には
すごくいろいろな点で影響を及ぼしているのが分かります
というか
分かりました。
やりたいことをやってみる
結果よりその思いを優先させる
結果より
途中のプロセスからの学びや気づきが大切
色々と流れ始めました!