コロナ重篤化から全身麻痺

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ホテル療養

2022-07-30 15:16:00 | 日記
保健所からの迎えが来て小さなワゴン車に乗せられホテルへ出発。

他におじさんと若い兄ちゃんが乗っていた。
運転手はもちろんの事、皆んな終始無言のまま、渡された紙に必要事項などを記入して到着を待った。

ホテルに到着後は名前を呼ばれた順に裏口からホテルに入り、そこでホテルでの生活事項を告げられて鍵を渡され一人で部屋へと行かされた。

部屋内は簡素な物で、ベッド一つと机一つと小さなテレビ一台と冷蔵機能が悪い小さな冷蔵庫一台があった。
左側の扉を開ければ、またもや小さなお風呂とトイレと洗面所。
そこに歯ブラシやシャンプーなどを置いてホテル生活を始める準備をする。

早速到着して一時間くらいで夕御飯のチャイムが鳴る。
放送が終わると、部屋を出て所定の場所へと弁当を取りに行き部屋に戻る。
弁当の他にもお茶や水、アクエリアスなどが置いてあり一応飲み放題ではあるらしく、お茶と水を取って部屋へ戻った。

病人が食べるには如何なもんかと疑問を抱くほどの油まみれの弁当はコンビニ弁当よりかは豪勢であり、味もそこそこ美味しくはあったが、ちょっと量に物足りなさは否めない。
自宅から持ってきたカップラーメンを作りそれを頂きながらスマホを弄って友達にホテル生活についてLINEしたり、姉や母に早速の愚痴を聞いてもらったりと初日はまあ何ともなく終わった。

次の日朝食を取りに行き、それを貪り食っていると9時の放送で酸素濃度を測る時間と言われる。
酸素濃度が95%以下になると事務所に電話しなくては行けないらしく、早速酸素濃度93%と表示され、電話をするが、返ってきた言葉は「大きく深呼吸してください。あ、上がりましたか?今何%ですか?96%ですね?なら大丈夫です」との事…
いや、電話切った後また測ったら92%まだ下がったんですけど、本当に大丈夫ですか?

ゴミ捨てやお風呂掃除、洗濯などは自分自身でしなければいけないのだが、3日目辺りから胃痛を感じ始めてそれすら面倒になってきた。
鎮痛剤を貰ってなんとか痛みに耐えてたが、明らかに痛みの頻度が上がり始めている。
鎮痛剤は六時間置きにしか貰えず、友人にこっそり差し入れとして鎮痛剤を持ってきてもらい、三時間置きくらいには飲んでいたと思う。

4日目、昼ごはんの弁当を開けた時、あの油まみれのの匂いが一切感じ取れない。
おかしいと思い何度も鼻を近づけては弁当の匂いを確かめた。
味は普通にするのに、匂いが遠くに感じる。
何か匂いが強い物を嗅いでみたいと、持ってきたコーヒーの粉に鼻を近づけると、物凄く悪臭がする。
例えて言うなら強烈な薬品の匂い。
嗅覚を失ったのは結構ショックだったが、まだ味覚はあると自身を納得させる。

その次の日に味覚もなくなるのだが……

嗅覚も味覚もなくなり、胃痛も鎮痛剤では治らなくなり、酸素濃度も80%を切った時、ようやく医者の診察を受けれる事になった。

診察の時間に部屋の扉のノックが鳴る。
白い防護服を着た男女のどちらなのか分からない人が数人入ってきて、二、三質問して出て行った。
診察とは一体何なのか……

その日の夜熱と胃痛と酸素濃度の低さからベッドから動く事が出来ず、朦朧としている中スマホの画面だけ眺めていた。

そして次の日の朝に電話が鳴り、病院へと移る事が決まった。

病院に行けば暫くお風呂に入らないだろうと思い、無理してお風呂に入った。
途中溺れかけたことも書いておこう……

昼過ぎに迎えが来て担架に乗せられサランラップのような物で周りをぐるぐる巻きにし救急車に乗せられる。

着いた先は街のど真ん中の総合病院。三年前にバイク事故でも入院した場所だ。

病室は四人部屋で入院してきて早々斜め前のお年寄りが明日退院ですねと羨ましいお言葉を頂いてた。
早く退院したい。

ここからは記憶が曖昧になってきてるので、少し時系列がおかしくなってるのは申し訳ない。

入院して2日目くらいには鼻に酸素チューブを入れられて、その次の日には酸素マスクに変わっていた。
看護師が言うには、2週間くらいで退院ですよと言う。
長い一生の間の2週間くらいドンと来いやと意気込んだのも束の間、次の日に告げられたのは「コロナ肺炎と普通の肺炎どちらにもかかっています。このままでは助からないので、エクモに入りましょう」だった。

別室に呼び出され医者と2人きりになり、誓約書にサインをする事に。マジマジと誓約書を読み上げていくと、「一週間後には死んでるかもしれません」とあって、心臓が大きく鼓動を打った。

医者からは「最後に何かしたい事はありますか?」と聞かれる。
最後って何?
しかもこれからエクモに入るのに、やりたい事なんてたかが知れてる……
旅行だってしたいし、家族にも会いたい。美味しい物だって食べたい。
けどここで今すぐ出来ることを選択しなければ行けなくて、考えた挙句、「コーラが飲みたい」だった。

まさかのコーラ。
何でそんな事言ったのか未だに謎だが、その時は多分どうしても飲みたかったのだろう。
母が連絡を受けてコーラ持参で最後の面会をした。
医者からは二口だけと言われたコーラもこっそり三口飲んでやった。

そして面会も終わり、ベッドへと横たわる。
一週間後、死んでるのか生きてるのか、なぜか死んではないと思いながらそのまま意識を失った。

そして一ヶ月が経ち、目が覚める。






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