目を覚ましてからと言うもの体は首から下は一切動かずで痒い所があっても触れることすら出来ない。
そんな日々が一月程経ったある日、僅かな光が自身に差し込んだ。
体が動かないので、体は褥瘡にならないように3時間置きに左右に向けられていた。
その時に手の位置をクッションの上に置いて貰うのだが、左を向いてる時に奇跡が起こった。
体は動かないものの意識は普通にあって、暇な時間を日々過ごしていたある日、左向きに体を向けられた時に、クッションの上の左手に意識を向けた。
「動け!動け!」
そう念じて左指を一生懸命に動かそうとする。
そう簡単に動くものではないが、一瞬動いたような気がして、さらに強く念じて動かそうとした。
左手の人差し指がピクリと反応する。
それを遠くから見ていた看護師が駆け付けてくれて一緒に喜んでくれた。
人差し指だけだけど、体が動いた事は自分自身にも励みになった。
すぐに医者も駆け付けてくれて、人差し指が動いたのを確認して喜んでくれた。
リハビリの先生は、「もう一切動く事はないんじゃないか」と思ってたらしい。
この奇跡を皮切りに、二月後には手首まで動いた。
肘さえ曲がれば顔を掻けるんだと思い必死に肘を動かそうとするも、肘の難易度は高く中々曲がらない。
そしてもう一つ出来るようになったのが、体をぷるぷると揺さぶれるようになった事だ。
何の役にも立たない事だが、何も出来ないよりかは断然良い。
だが相変わらず頭や顔は痒いし、掻いてもらう時は看護師を呼ばないといけない。
いつになったら自分で処理できるのやら。
二月経った頃、部屋の階層が変わると言う事で、コロナ病棟だった階から別の階に移った。
相変わらず手は手首までしか動かず、手のひらを広げようとすると痛みが走る。
リハビリの先生に無理矢理手のひらを広げさせられたり、足を伸ばされたりして毎日激痛に耐える日々が続いた。
そしてリハビリの先生と看護師の5人がかりで車椅子に乗せられる特訓が始まった。
座る練習も兼ねて毎日30分車椅子に座らせられる。
まだ手首しか動かないのにだ。
これが結構キツくて座った時に目眩のようなものを感じるし、座り続けるのにも疲労を感じる。
そんなリハビリが続く中、喉の気管切開のチューブを外す時が来た。
これがないと呼吸が出来なかったのだが、そろそろ外しても大丈夫だろうとの事だった。
そしてスピーチカニュウレの装着。喉の管を外してスピーカーの様な蓋を被せる事でようやく口パクから解放され喋る事が出来るのだ。
久しぶりに声を出す喜び。
でも何か違和感がある。
呂律が全然回らない。
暫くお喋りをしなかったからか、感染症の障害からか舌の筋肉が衰えてしまっていた。
一歳時の赤ちゃんの様な滑舌で医者に「ありがとうございました」と伝える。
久しぶりに母にも電話してもらった。
声が出せる事と、言葉で感謝を伝えられる喜びから涙が溢れた。
でもまだ喉は穴が空いたままだ。痰が溜まりやすいせいで、定期的に痰抜きをしないといけない。
それも度々ナースコールをしなくちゃいけなくて、その度にこんな事で呼んですみませんと申し訳なくなる思いになった。
アソコの手術等を経て、9月24日にリハビリに強い病院に転院する事になった。
そこでもまた色んな事件が起きるのだが…
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