にゃんこが乗ってるとあったかさが2割増!
母が熱心に宗教通いしているので、一緒にお参りに行ってきたんです。
今日から寒修行なんです。
おうどんはその帰りでした🥢
これは私見ですから、意見の一つに過ぎませんが。
宗教というのは、人を守ろうとされる大いなる存在を崇めるものです。
教え、姿、在り方は異なっても、根幹は同じ。
そして、実際には神格を得た人間を崇める宗教がとても多いものです。
占いでも、宇宙のお導き…などと言うとき、そのイメージは人の形をしています。
ですが、それらの意思を生み出した存在が在って、その大いなる存在は、本当に、宇宙も、神さまも、人も、生きとし生けるものすべての魂を生み出すエネルギーの源です。
それが不可視の領域にただ存在している。
意思はなく、ただ愛だけがある。
愛とは、それが何であっても受け止めるということ。
生み出した神さまや人がひとり歩きして戻らなくなっても、その在り方を受け止める。
ひとりひとり愛しているからこそ、その魂が辛い道を歩んでいても受け入れる。
例えば、自分の子供が苦しんでいたら、手を差し伸べたくなりますよね?
でも、それは頼まれもせずに手出しすることは自己満足に繋がるワケです。
グッとこらえて見守ることの難しさ。
子供の人生、魂の成長を受け入れることの難しさ。
大いなる存在の歴史に比べたら、人間の魂はまだまだ幼児のようなもの。
たから、外側の器である肉体が何歳になろうと勉強や挑戦をしても、遅くないのです。
死は人生の休息。次の人生への準備期間。
すべての人は、生まれた時から死に向かって進むもの。
それは、死後魂の時間に習得するために必要な下地をかき集めている時間で、授業時間なんですね。
難しく思えるかもしれませんが、
要約すると、
何事も年齢に囚われるな!
と、いうことです、はい✧◝(⁰▿⁰)◜✧