次に向かったのは、靖国神社です。
多分、龍さまの魂も一緒だと思ってます。
彷徨って永田町に降り立ってしまったから。ふふ
来たかったのかな?永田町に!
戻りたいんじゃなくて、世の中が心配で。ふふ。
遠い昔、私は一度 靖国神社を訪れている。
あまり思い出したくないので、寄り付かなかった
場所の一つだ。
この靖国神社に行くのに面白い事が起きた。
乗り継ぎをしないといけない駅を間違えたのだ。
着いてしまって駅員さんに「歩いて永田町駅で乗り換えてください」
そう言われた。
永田町・・・政治の駅。議員会館。国会議事堂。
私にとっておぞましい思い出が次から次へと
噴出してくる。
私は、自民党が好きだと言う事は
読んで頂いて下さってる方は知っておられるだろう。
でも、議員・・・政治家等になりたいと思った事等一度もない。
でも自民党が好きな以上、政治家さんを見ないでいられる
なんて事は出来ないのであろう。これからもずっと。
私は過去に国会議事堂にも行った事があります。
国会議事堂に行きたかった訳ではない。
(行きたかった気持ちはなくはないですが。多くの人が行ってはるし。)
たまたま失恋した人の友達が議員秘書さんであった。
「案内するから出ておいで」と言われて東京赤坂見附に
泊まった。
私はボロボロの気持ちで泣きに行ったのに
その人は違った気持ちで私を迎えていたように思う。
案内された国会議事堂・・・観光で行かれる方も居るのであろう
また勿論の事要人の働いておられる場所。
皆さんはどのような気持ちを抱かれてるであろうか?
確か土曜日だったと思う。人はあまりいなかった。
純粋に悪気もなく好奇心で色んなドアを開いて行った。
案内のお兄ちゃんは「そこは駄目だよ!」と慌てていた様子。
でも、私の感じた国会議事堂は空気がどんよりしている重たいものだった。
何かしら、鎮魂・・・色んな憎悪の雄叫びが何処からともなく
私の耳に聞こえてくるような・・・正直・・・好んで行きたくはない場所に思えた。
これは私が感じた事である。
働いておられる方に失礼だとは思うが。
色んな人の色んな重たい想いが住みついて取れない
空気のある場所・・・そんな事を感じた事があったなと
永田町駅を歩きながら永田町駅を歩いている自分が
不思議な感覚であった。
暗がりの赤絨毯、色んな歴代総理の絵画。
成し遂げたくて成し遂げられなかった思いの空気を
私は感じたのだ。
確か永田町の近くにホテルがあったと思う。
私はその秘書さんとお茶をした。
初めて会った時の初々しさとは打って変わって
会ったのは5年ぶりだろうか・・・
別人になり果てたその人は(否、今思えば別人かも)、私が横に居る事など
気付いているのか?いないのか?
新聞を読みながら、時折時計を見る・・・
機械で作られたロボットの様だった記憶がある。
何時の間にか身についた癖なのだろう!
だから、私は人といる時に出来るだけ時計はみない。
また時計を見る人が好きではない。
「帰りたいならさっさと帰れば?」と言いたくなるが
多分お兄ちゃんの中では、仕事柄、分刻みで動くお仕事なれば
当然身について仕方のない事なのだろうと思いながら
こんな人は苦手だなあと心で思ってしまった。
とても親切にして貰ったが
とても私の人生を狂わせられた人でもある。
だからと言って憎む訳でもないが
この人の神経が未だに理解出来ないから
私の中から消し去りたいだけだ。
靖国神社もその秘書さんに案内してもらった。
その頃は靖国神社と言ってもよく理解していなかった。
ただ普通にお祈りをしたと言うのに
「デイジーは何を願ったの?」・・・突然聞かれて
普通に健康とか家族の幸せとかと答えたように思う。
こんな些細な事までが靖国に来る事で思い出される。
今では重要なところだと思ってはいるが
私にはその人と一緒に行った思い出しか出て来ない。
あまり詳しくは書けない。
多分今も活動はされてるのだろうが、当時のお兄ちゃんもまた
国会議事堂のトップを夢見ていたのだろうと思う。
でも、何故か重心の秘書であったにも関わらず
抹消されているように思える。
もう十分な位置にいてもおかしくはない人だが。
バックアップしてもらえる人に見限られたのだろうか?
そこら辺の経緯は私には分からない。
ただ唯一、良い思い出が残ってるのは
靖国神社を出た後に銀座に行った。
まあ、ここでも少し嫌だと思う事もあったが
CDのお店に寄って選んでいたのが「マライヤキャリー」のCDである。
私が失恋をした相手は、それはそれは素敵な人でした。
真っ直ぐデイジーを見つめてくれて、私がしたい事を叶えようとしてくれた。
叶えることの出来る人でした。 だから「秘書になるか?」とも言ってもらった
事もある。(秘書さんなんてとんでもはっぷん!)断ったのですがね。
純粋で、はっきりと言葉で伝えてくれる・・・最高の人でした。
きっと温かい家庭に育って
人を憎んだりと言う感情がなかった人なんだと思います。
時折かかって来た電話の向こうは、まだ携帯が出立てだと言うのに
持っていはった人で流れている曲が「マライヤキャリー」でした。
何の曲か分からずに私は欲しかったけれど、お兄ちゃんが買った事で
それと判明した。「今でも宝物のようなマライヤキャリーの曲だ」
では何故に一緒にならなかったのか?
私が世界が違うとその頃決めつけてしまっていたからだ。
私が逃げてしまった事で、相手をも傷つけてしまった事も
後に知った。
そしてあんな素敵な人を寄ってたかって
苛めていた人が多くいた時期
私は苦しくて仕方がなかった。
何も出来ない自分が腹立たしかった。
何でも知る事の出来るその人が
もしこの記事を読んでくれているのだとしたら
本当にごめんね。そして、色んな形で私を見守ってくれていたと
私は思っています。
あなたは最高の人です。素敵な生涯を送ってください。
あなたと共に龍さまを感じれた時期・・・私は本当に幸せでした。
ありがとう!
もっと龍さまを話すべきだったのだろうが、
この思い出すと辛くなる想い出が
私を龍さまごと封印してしまったのかもしれない。
相方は勿論この話を知っている。
私は隠す事が苦手なのだろう。特に相方には。
ありのままのデイジーをありのまま見てて欲しいから。
隠すと顔に出るデイジーだから、凄くお見通しされる。
何か2番目に選んだ人と上手く行くとリツィートしていた人が
いらっしゃるが、私は今は相方が1番だ。
人生には色んな事が起きる。
それは予期せぬ事で、悩み、苦しみ、成長する。
そしてその結果見つけ出せた相手と一緒に居られる事は
私が色んな経験をしなかったら、きっと相方の良さも見抜けなかった
そう思う。
だから、私の事を大切にしてくれた人にも傷つけられた人にも
感謝しないといけないと思う。ありがとう!充実した日々を送っています。
あ~あ、靖国神社から何で話が逸れたんや!
次はとことん靖国神社のお話致します。
デイジーの感性で。後程。
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