西南戦争美少年墓・植木学校跡
2019/1/12(金) 曇
今日は、午前中所用で時間が過ぎ、午後から3~4時間で走れる範囲で目的地を選択する。
目的を西南戦争で戦死した薩軍の「美少年の墓」と、西南戦で薩軍に合流した熊本協同隊の中心メンバーとなった人たちが学んだ植木学校の跡とする。
国道3松原交差点を左折し、県道113の荻迫バス停先を左折する。
更にこの看板(写真1参照)から左折して、農道を東方向へ進む。
道がわずかに左にカーブしたその先に、地元老人クラブ設けた説明板(写真2参照)があった。
墓地(写真3参照)には、西南役薩軍戦没者之碑という立派な墓碑が建ち、奇麗に手入れされていた。
薩軍兵士個人の墓は極めて少ない。私が知るのは、山北小学校付近にある薩軍三勇士の墓と、ここ美少年(束野孝之丞)の墓。
墓碑は確認してこなかったが、この説明板(写真4参照)では、墓碑には姓名、死亡年月日と、「僅か15歳にして・・・」とある。少年に寄せる埋葬者の人柄が偲ばれる。
死亡明治10年2月28日は旧暦で、新暦では4月11日ではなかろうかと考える。年齢15歳は数えで満年齢は13、14歳、現在であれば中学生の少年であろう。
昼食を挟んで、植木学校跡(写真5参照)に移動する。
以外にも、植木町市街中心地の道路沿いにあった。
それもそのはず、旧藩山本郡正院手永会所跡を利用して設立された。
説明板(写真6参照)では、植木学校は明治八年に設立され、校長平川唯一、宮崎八郎、広田尚、麻生直温等が教師を務めたとある。
翌々年の西南戦争に参戦した熊本協同隊は、ルソーの民約論を学んだ熊本植木学校のメンバーを中心に組織された。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)20km→植木学校跡12km→熊本(自宅)所要時間6時間(実4時間) 総計32km 走行累計26,761km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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