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「何故にソレイユが強化合宿までして天使意識をマスターするのか
まだ理由はわからない。」
と、言っていたが、その理由が薄々と分かった。
それは、2015年のテーマ「破」に通じるのだ。
私にルールの破壊者(トリックスター)として参加してほしいということらしい。
あ、答え合わせは天使たちが来た時にしますので。
HAP(ホスティング・エンジェル・プロジェクト)のやり方を教えてもらったり、
調べてみたりしていたときに ものすごく堅苦しさを感じていた。
一番感じていたのは
「私の次にバトンをつなげる人が見つけられない」
という理由でバトンに加わるのを断る人から感じたこと。
そんなに固く考えなくてもいいのじゃないかしら?
(まあ、体よく断る気遣いの断り方なのかもしれないけど)
ここでは「天使を泊めたいけどバトンが自分のところで途絶えるのは嫌かも」
というケースについて考えたい。
決められたルールを守るということは大切なことだと思う。
でも、上っ面をなぞって形だけを整えるだけでいいのかな?
「HAPに参加したい」という気持ちは数パーセントはあるのだから。
「やりたい」という気持ちをどうにかして発露させることを選ばず
「ルールに沿えないからできない」として
その芽を摘んでしまう、、、。
まあ、選択の比重として「やりたい」より
「ルール守れなくて罰せられるのが嫌」が重かったのだから
そういう結果を選んだのだろう。
ルールとは枠だ。
枠を超えることは逸脱だ。
ルールーの枠を超えることは「アウトサイダー」として
村八分の扱いを受けるのが暗黙の了解。
それが社会という仕組みなのだ。
逸脱を恐れて行動範囲が制限されるのは
そのルールを作った何者か(多くは権力者)の思うツボなのだと思いませんか?
人間はずっーと、このシステム(枠組み)で社会の規範をつくり秩序を保ってきた。
だから社会生活をしている人間は逸脱をしたことの罰を恐れるようになる。
でも、罰がついてくるから悪いことなのか?
悪いことは罰がつこうが、つくまいが
良心に照らして恥ずべきことかどうか
で良し悪しを測るものではないのかなぁ?
すでに「天使」ってところから常識からちょっとはみ出ているようなものです。
そんなところに厳格に守らなくてはいけないルールが介在するの?
そんなことを考えているとこのプロジェクト自体が天使っぽくない。
天使は自由意志を尊重する存在じゃなかったっけ?
まあ、あまり我がまま放題だと見放されてしまうのだろうが、、、。
ただ、天使とは個々人のココロの問題でもあるからしてとてもデリケートなテーマです。
天使は天(人間の権力者じゃないのは確か)の意思を伝えるメッセンジャー。
奇跡を起こす存在。
正しく成長するためのサポートをする存在。
情熱を燃やす、恐れを克服する、傷を癒す、魂や心を表現する、真理(心理)を学ぶ…
そんなことをサポートしていく存在。
今回のHAPへお誘いは逸脱へのお誘いでもある。
第一の踏み絵は「三人へバトンを渡す」という条件かもしれない。
他にもハードルがある。
「天使」という存在を他者に伝えるときに自分をさらけ出さなければならない危険を伴うことだ。
自分が天使をどう捉えているかが、その説明の中にクッキリ映し出されるからねぇ。
逸脱を恐れる気持ちはわかる。
逸脱を恐れて息が出来なくなったり、硬直するくらいなら
逸脱して深呼吸をしようじゃないのっ!
一回くらい逸脱しても、ちゃんと帰ってこられるんだ
ということを体験できる冒険かもね。
そしてトリックスターの出番がくるということは
世界は想像以上に硬直して壊死しているのかもしれない。
「逸脱しても行ったままにならなければいいんだよ。
ちゃんと帰って来れればいいんだよ」
ということを知ってほしいなというのがソレイユの最近のささやかな願望。
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