
諸説あり!!
八卦(はっか)を画(えが)いたのは古帝王の伏羲(ふくぎ)であるという伝説で、易の「繋辞(けいじ)伝」下に「仰いで象(しょう)を天に観(み)、俯(ふ)して法を地に観(み)、鳥獣の文(ぶん)と地の宜(ぎ)とを観(み)、始めて八卦を作る」とあるによる。
これとは別に、『緯書(いしょ)』に「伏羲氏の天下に王たるや、神龍(しんりゅう)ありて、図を負いて黄河に出づ。法(のっと)りてこれに効(なら)い、始めて八卦を画く」(「龍魚河図」)という説もある。
八卦を六十四卦としたのも伏羲であるというのと、それは神農(しんのう)であるという説があるが、いずれも伝説で定かでない。
六十四卦には、卦辞(かじ)(卦全体についての判断の文句)と爻辞(こうじ)(爻についての状況判断の文句)があるが、卦辞は周の文王がつくり、爻辞は周公がつくったとされている。
爻辞も文王がつくったという説があるが、爻辞のなかに文王以後の事件が述べられているところもあるので、爻辞は周公の作とするのが妥当といわれている。
以上が経の本文についての成立説であるが、これに対して、経を解説した伝(でん)がある。
「彖(たん)伝」(上・下)、「象(しょう)伝」(上・下)、「繋辞伝」(上・下)、「文言(ぶんげん)伝」「説卦(せっか)伝」「序卦(じょか)伝」「雑卦(ざっか)伝」の10編で、『周易正義』の序には、「其(そ)の彖象(たんしょう)等十翼(じゅうよく)の辞は、以(もっ)て孔子(こうし)の為(な)すところとなすは、先儒更(さら)に異論なし」と述べているが、宋(そう)の欧陽脩(おうようしゅう)以来これを疑う説が多く出ている。
しかし、彖・象二伝については、孔子の作であることを疑うものはない。
十翼すべてが孔子の作でないとしても、孔子門流の手になったものであろうと考えられている。