小田原へ向かう途中、地元にいる幼なじみへ電話したりしてるうちに涙が止まらなくなって来た。
でも同行する皆さんに申し訳ないな…なんて思ってしまって平然を装って小田原へ到着。
頭がどうにかなっていた。
でも、そこでもう我慢の限界…。
事情を聞いた知り合いが、タクシーと航空券を確保してくれて自宅経由で羽田まで送ってくれました。
かえって気を使わせてしまいましたが、この時の私は判断能力を失っていたので本当に感謝しています。
急いで飛行機で故郷へ…。弟が入院している病院へ直行。
病院で待っていたのは、泣き腫らして目を真っ赤にしていた私の子ども達と、憔悴しきった両親と、たくさんの親戚や知り合い、そして鎮痛剤で眠らされ、たくさんの管に繋がれた弟でした。
主治医の先生の話を聞くと、余命1ヶ月どころか肺腺がん末期で余命3日でした。
ただ管に繋がれて治療法も無く、心臓が持つ所まで死を待つのみの弟。
もう話すことも出来ない。
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