地震の日、川崎から7分ほどの事務所で仕事をしていました。余震もほぼおさまった頃、川崎駅まで、会社の人たち8人程と一緒に五反田行きのバスに乗れるか様子を見に行きましたが、案の定、長蛇の列でした。バスも全く来る気配がありません。五反田行きに乗るのをあきらめ、一緒に武蔵小山まで歩くと言っていた会社の女性とガラ空きの「東芝小向工場直通バス」に乗りました。道が異常に混んでいていつもなら10分ほどのところが40分もかかってしまいました。そこから第二京浜国道をひたすら歩きました。歩き始めてすぐに多摩川大橋を渡ったのですが、冷たい風が吹きつけてきて寒くて、この中を何時間も歩けるかなあと心配でした。川崎方面に下ってくる人のほうが多いので上って行く私たちは歩きにくかったです。途中、洋服の青山の前を通った時に、店員の男性が「あと5分で店を閉めますが、トイレを使っていいですよ」と大きな声で呼びかけてくれていましたので、使わせてもらいました。そして再び歩き始めたら、都営地下鉄の駅に人が集まっていて、もしかして動くのって思いましたが、まだまだ時間がかかりそうだったので、止まらずに歩き続けました。旗の台のあたりで、左に曲がり昭和医大のある中原街道に出ました。こっちのほうが歩道が若干広くて歩きやすかったです。一緒に歩いた人も私も目黒線に近づきたかったので。
2時間で武蔵小山に着き、会社の人と別れました。その後は、もう良く知っている道でしたので、中原街道から一本入った細い道を歩きました。その方が前から人が来なくて歩きやすかったので。上の娘も品川の会社から歩いて五反田の実家まで来ました。ただ、私しか実家の鍵を持っていなかったので娘をかなり待たしてしまいました。
母は、山手線で渋谷駅の手前で地震にあってしまって2時間缶詰状態で、その後はしごで線路に下りて、駅まで誘導されて歩き、バスで広尾の姉のマンションに行っていました。夜中にタクシーで五反田に帰ってきました。
下の娘は、東武線に乗っているときに地震にあって押上駅で地上に出されて、結局、24時間営業のガストで一夜を過ごして、翌日五反田に来ました。
仙台にいる妹夫婦も無事で、一時、マンションの管理人室に他の居住者の人と集まっていたそうですが、14日月曜に電気が通ったからと、マンションに戻っています。
地震の日、川崎に仕事に行っていました。1階で仕事をしていて、突然の地震。ついに来たかと思いました。机の下にもぐって、揺れがおさまってから出てみたら、誰もいなくて・・・・。他の人は、外に出ていたんです。そうですね。建物が壊れたら危ないもの。その後は、余震の度に、外に出て、ちょうど隣に公園があるので、そこに出て揺れがおさまったら、建物に戻るということを繰り返していました。
センター長が、「もう今日は、業務はしなくていいので、家族の安否を確認してください」と言ってくれたので、娘たちにメールをしました。何とか連絡が取れて安心。仙台の妹夫婦が心配で、連絡しても全く通じないし、auの伝言板にも登録がない。とりあえず、自分は登録して妹が見れるようにしておきました。
電車が、全部止まってしまい、とても動きそうもないので、会社に泊まる雰囲気になっていました。食料を買いに行ってくれて、お握り2個ずつとペットボトルを配られました。
でも、実家が五反田なので、母のことも気になり、歩こうと思っていました。会社に、武蔵小山まで歩いて戻るつもりという女性がいたので、一緒に行くことにしました。