おはようございます。
今朝のこちらは晴れですが、これから下り坂になるようです。
菅原道真の話を聞いた事があるでしょうか。
詳しい話は省略しますが、この話を読んでいると菅原道真の死後、宮廷内で道真の怨念によって次々と道真を陥れた人々が不幸に見舞われ、亡くなって行ったように書かれています。
確かに道真の死後に次々と宮廷内で不幸続きが起こった事は確かの様ですが、その不幸に見舞われた人たちは道真を「陥れて」います。
ここで私が思うのは道真は多分一時的には陥れた人たちを恨んでいたとは思いますが、それを本人の死に際まで念で飛ばしていたとは思えません。
まず、疲れます。
恨んだ時間は短いはずです。
そして、ある記事にこう書かれています。
「道真とは、数々の詩文から推測してみれば、世俗の煩わしさに縛られることを嫌った人物であったはず。そんな彼にとって、権力などたかが知れたもの、あるいは儚いものと考えていた可能性もあるのではないか? 右大臣に上り詰めただけで十分、それ以上の栄達など望んでもいなかったことも考えられる。それが祟りを為した原因とは思い難いのだ。」ヤフーの記事から抜粋
なぜ、私がこの菅原道真の事を書いたかと言うと、これが私たち人間関係にとってとても良いヒントになっているからです。
私は時々藤原道真の事を考えます。
それはまるで自分の過去の様な出来事だからです。
「願いはすでにかなってる」
このカラクリが分かれば幸いです。