タンゴの令和化け猫日記

失うことの「恐怖感」は「当たり前」だと思いこんでいたから?

歳を重ね、身内の死を経験しても消えないものがあります。

「失う」ことへの恐怖感です。

生きていて、つい「当たり前」と思ってしまいがちですが、元々「当たり前」なんて存在しないんですよね。

「当たり前」ではなくて「ありがたい」のですが、元気な時は気がつかないものです。

母が亡くなる2年前に(母の)記憶が急に飛んでしまった時は、ショックで受け入れられなかったです。
今を振り返ると、それはいつまでも親が元気であることが当たり前だと思いこんでいた自分がいたからで、歳を重ねれば段々と出来なくなることも多くなります…。

若い時は理解出来ませんが、歳を重ねれば重ねるほど実感してきます。

この世って「当たり前」じゃないんだよね…。

もう一つ、当たり前ではない話を。

子供の頃は出来ていたことが大人になると出来なくなることが多々あります。
子供の頃、「あれ?何で大人は出来ないの?」と思ったことがシチュエーションごとにありましたが、自分が年齢いってきてから、その疑問の答えがわかってきました。

幾つになっても出来るものだと思いこんでいたからでした。

それは芸能人が歳を重ねてだんだん表舞台に立たなくなるのは何故だろうか?という疑問と一緒で、歳を取ると動けなくなるだけではなくて、記憶力の問題や新しい話題についていけるかどうかという問題も出てくるんだろうな…。

人生の曲がり角にきて、今の自分がそのような経験をしていますので、「何故?」という理由が痛いほど実感しています。

人生、万事が「当たり前」じゃないんですよね…今まで生きて何となくわかるような気がしてきました。

ところがねぇ〜幾つになっても学べない私がいるのだ💦。

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