こんにちは。
ご心配おかけしているかもしれませんが、
大丈夫です。
福岡の北部は大丈夫です。
今から書くことは私の個人体験なので、
九州は全部こうだとか、
みんなそう思うとか、
そういう誤解のないようによろしくお願いしますね。
初めに地震が来たのは、
先週の木曜日の夜でした。
いきなりiPhoneのアラームが鳴って、
慌ててモモをテーブルの下に押し込みました。
とても揺れて、
それでも、たった震度4くらいなのですが、
とても恐ろしかったです。
それから熊本が大変になってしまっていることを知って、
ショックでした。
そのあとも何度も揺れて、
モモもなかなか寝付けませんでした。
金曜日の昼間は小康状態でした。
でも、
時々揺れていて、
私は眩暈がとまりませんでした。今思えば。
モモの学校が終わって、
おにぎりを食べて天神にhotspringを見に行きました。
モモに、三浦くん脱退のことをどう伝えよう?と思っていて、
「Birthdayも昔はギター、フジケンじゃなかったんだよ」とか、
遠まわしに言っていたら、
なんか察した様子でした。
天神であやかちゃんと落ち合って、
ご飯を食べて、
hotspringのライブを見ました。
イノクチくんは「こんなときにライブしていいのかな…」とふと我に返ったりしながら、
それでも、全力でライブをしていました。
いつもよりたくさんギターを抱えていて、
インストも伊藤くんと一緒にシャウトしたりしていて、
三浦くんの手を盗もうとしたりしていて、
もしかしてこの人、スリーピースを考えているのではないかと思ったりしました。
ドラムベースとリズムギターでかっこいい曲ばかりだから、
そうすればいいのに。
あんなに眩暈がして、熊本が心配でたまらなかったのに、
ライブの間はなにもかも忘れられて、
自分のBEATで踊れて、
とても気が楽になりました。
終演後は、
モモがメンバーからえらくチヤホヤされていて、
ポスターにイノクチくんからタメ書きのサインとかもらって舞い上がっていました。
イノクチ君は子どもでもわかるようにと、
イノクチタカヒロとカタカナでサインしてくれました。
そのあと、
チケットを取りに行ったついでに、
いつものBarで飲んでいて、
たまたまhotspringに行ってたDJさんがずっとモモと遊んでくれました。
しかも、
電撃バップバーガー(…やったかな)を奢ってくれました。
私たちは幸せで、バスに乗って帰りました。
モモはあらかじめお風呂に入っていたし、
バスの中で眠ってしまい、
予定通りでした。
夜中に家についてホッとしていたら、
あの大きな地震が来ました。
大地震は昨日で終わって、
余震に気を付ければいいとばかり思っていました。
それなのに、
明け方まで何度も何度も揺れて恐ろしかったです。
止まらないのではないかと思いました。
普段あまりやりとりしない福岡在住同士が、
「揺れた」「怖かった」とメッセージのやりとりをしていました。
それは、
自分が怖いというより、
熊本や大分がもっと揺れているという恐怖でした。
モモを抱っこして眠れませんでした。
土曜日になりました。
2晩眠れない状態で、
熊本と大分が心配で、
とても疲れていました。
でも、
自分よりもっと大変で疲れている人がいると思うと、
そんなことを感じてはいけないのではないかと、
なんだか悪いことをしているような気持ちになりました。
サバイバーズギルドだと思います。
その日はあんなに楽しみにしていたフラカン小倉FUSEの日でした。
来られない方もたくさんいるだろうし、
地下のハコだし、
開催はよくないのではないかと思いました。
その一方、
今、フラカンに会えたら、普段通りのライブがみられたら、
どんなにホッとするだろう?と思いました。
でも、
それはフラカンが決めることなので、
公式コメントをずっと待っていました。
コメントは発表されませんでした。
それはライブ決行を意味していました。
JRは間引き運転で普通しかありませんでした。
普段だったらあっという間に着く小倉が果てしなく感じました。
駅にはほとんど人がおらず、
JRも人があまり乗っておらず、
陽気な九州人がだれも話をしていませんでした。
異常でした。
小倉に着いて、
まずFUSEに行きました。
けいすけの声が聞こえてきました。
ものすごく真剣にリハをしているのが分かりました。
それだけでグッと涙が出そうになりました。
逡巡もあっただろうに、
やると決めてくれて嬉しくなりました。
今まで生きてきて、
今、一番フラカンが必要でした。
急にiPhoneの充電がなくなっていくのが不安になりました。
マックで充電しながら心細くあやかちゃんを待ちました。
iPodでGood Morning This New Worldを聴くと、
涙が出てきました。
ときどきフラフラと窓が揺れていました。
あやかちゃんも珍しく心細い様子でした。
ライブハウスであっこちゃんたちや、私が誘った地元の人などと落ち合うと、
ホッとしました。
譲ってもらったチケットがなかなかよかったので、
とても良い位置で見られそうでした。
でも、
私はとても疲れていて、心が狭くなっていました。
遠征をしてきた方々の些細な会話がカンに触ったりしていました。
普通ではなかったのです。すみません。
フラカンは九州の人のためにやってくれるのだと思い込んでライブを見ることにしました。
Q太郎から地震の場合の対応について説明がありました。
あえて茶化したように言ってくれました。
フラカンは緊張しているように見えました。
MCは慎重に喋ってるなと感じました。
セトリは抑え気味でした。
涙よりはやく走れで涙が出ました。
チェスト!は東日本のときを思い出しました。
気のせいかもしれないけど、
グレートがとても私を見て心配しているように見えました。
自意識過剰ですが。
竹安が小倉に住んでいたMCがあって、
あの辺なんだ!と面白く聞いていました。
小西がなぜかほっぺに人差し指を立てて喋っていました。
けいすけは一生懸命柵に乗って、
自分を届けようとしているように見えました。
フラカンが全部優しく感じました。
終演後いつもは、
みんなでワイワイと打ち上げするのに、
あやかちゃんたちは帰れなくなるのがこわいからと、
新幹線で帰ってしまいました。
地元の人と二人で飲んでいました。
そして、
あろうことか私は終電を逃してしまいました。
JRが全然マトモに動いていなかったので、
乗る電車を調べようという気にならなかったのです。
夫が迎えに来てくれました。
きっと時間がかかると思ったのに、
あっという間に到着して驚きました。
高速に全然車が走っていなかったからです。
異常でした。
その夜はあまり揺れず、
やっと少し眠れました。
日曜日は妙に晴れていました。
フラカンの佐賀公演でした。
日常に戻りたかったし、
家族も行くように言ってくれたので、
行くことにしました。
JRは快速と、まばらに特急が復活していました。
私は珍しくフラカンに差し入れたいという気持ちになって、
小さなお菓子を買いました。
あやかちゃんたちと落ち合って佐賀に向かう途中で、
フラカンのライブ決行に批判もあることを知りました。
仕方がないと思います。
私も絶対決行すべきであるとまでは言えませんでした。
佐賀ではすこし端っこでみることにしました。
小倉の記憶と混じりたくなかったのです。
あんなにフラカンに助けられた地元のライブの記憶を大事にしようと思いました。
その日もQ太郎の前説がありました。
けいすけが、
批判もあるけれど、
決まったライブはなるべくやりたいし、
自分たちはバンドマンだから、
それをやるしかないということを、
初めのMCで丁寧に話しました。
そのあとは、吹っ切れたように普通のライブでした。
気のせいかもしれないけど、
竹安がいつもよりフロアを見ていてウンウンと頷いているようにみえました。
そして、
グレートがやっぱり私を心配して上手にやってきて、
ウンウンと言っているように見えました。
もちろん、自意識過剰な妄想です。
昨日はかからなかった空振りやGood Morning This New Worldがかかりました。
Good Morning~は、
色々なことがありながら高原をグングンとマーチングしていくイメージでした。
私の原体験の高原は阿蘇草千里でした。
去年、フラカンライブのために、
大分TOPSから熊本Djangoにnemuriさん、M~ちゃん、あやかちゃんと、
九州を横断したのを思い出しました。
あのラインが割れてしまった。
そう思うと涙が止まりませんでした。
明るい未来が想像できませんでした。
ライブが終わると、
私はグレートにお礼が言いたくなりました。
なので珍しく物販のサインの列に並んでお礼を言いました。
とてもしっかり握手してくれ、
私はだんだんグレートにメロメロになってきました。
危機状況に一緒に居た人を好きになる吊り橋現象だと思います。
その日は北部九州は揺れが落ち着いてきていて、
やっと打ち上げをする気になり、
みんなで飲んで帰りました。
月曜日。昨日。
週が明けました。
私は北九州で仕事をする日でした。
ところが、また眩暈がとまらなくなりました。
免震構造のビルとはいえ、
まっすぐ歩けず、伝い歩きをするほどでした。
仕事を切り上げて横になっていました。
そこでふと、
フラカンにお礼のメールを出そうと思いました。
そんなこと生まれて初めてです。
今思っても、
冷静さを取り戻したのは、あの地元のライブがきっかけでしたし。
ベッドに横になりながら、
私なりに丁寧にお礼を書きました。
それから、
心配かけているnemuriさんにもメールを出しておこうと思いました。
グレートにメロメロになったことも書きました。
そろそろ夕飯の用意をしなければと起き上がり。
ふと送信ボックスを見ると、
私はnemuriさんにメールを送っていませんでした。
………フラカン公式に誤送信していました!!!!
気を失いそうになりました。
なぜなら、
私はnemuriさんに宛てた(つもり)のメールに、
「グレートにメロメロ」と書いていたからです。
グレート社長の目に留まるかもしれない…いや多分目に留まる!
きっと社長だから読んじゃう!
グレートにメロメロを!!
ああ、公式にグレートにメロメロ送ってしまうなんて!!!!
…もうライブに行けないと凹みました。
nemuriさんに改めて、
誤爆したことも含めてメールしました。
nemuriさんからは「大丈夫、悪口言ってないから!ドンマイ!」と励まされました。
ちなみに、さくらちゃんからは、
「大丈夫、オフィシャルになるだけ!」と励まされました。
昨夜、
頭痛眩暈がいよいよひどくなったとき、
また大きな揺れが来ました。
モモとテーブルの下で震えました。
熊本を大分を想うと怖くてしかたありませんでした。
そしてまた、
おはよう!と新しい朝が来て、
淡々と福岡は動いています。
それでもずっと眩暈がします。
ひどい頭痛の日は大きく揺れる気がします。
さっきも、
事務所であまりの眩暈に転倒しました。
八代で大きな地震があってました。
自分なりに冷静になったつもりでも、
終電を逃したり、誤送信したり、
変なことばかりしています。
全国放送が「近隣に大都市があるわけだから、九州が一丸となって支援すべき」とか言っているのを見て、
するに決まっとるわ!と頭に来ます。
本調子ではないのでしょう。
それは、
多分私だけではありません。
熊本や大分とつながりのない人の方が珍しい福岡です。
日本社会福祉士会は災害のたびに募金をお願いしています。
今回は「支援金」を集めていました。
派遣するつもりです。
私が行かない理由がないので、
行くことになるでしょう。
あの災害支援ベストをまた着る日がくるとは。
それが、
まさか九州であったとは。
北部は本州とつながっているので、流通もそれほど問題はありません。
南部は熊本大分がマヒしているので、
不安があるのではないかと思います。
熊本のレタスや阿蘇の牛乳、大分のシイタケがお店になくて、
ガランとしているのが悲しいです。
福岡が揺れると、怖さとともに、
きっと熊本や大分はもっと大きな揺れが来たのだと心配しています。
リアルタイムで大変なことが起きたことを知り続けている状態です。
ずっと同じ島でやってきた同胞が、心配でたまりません。
九州の南と果てしなく離れてしまったような淋しさでいっぱいです。
心配だから現地の様子を見に来たいとか、何か助けになりたいと仰る方もいるのですが、
今はおやめになった方がいいとお伝えしています。
とても嬉しいのですが、気持ちよく迎え入れる心の余裕がないのです。
経済的には大事なことでしょうが、
いつ揺れるかわからないところに、
仕事や大事な用事もないのに、わざわざ来られるのはお勧めしないです。
まだ大きな余震があると言われており、我々はいつその時がくるのか?
またあのアラームが鳴るんじゃないか?
そのときは、福岡より大変なところで、大変なことが起きるかもしれない、といつも不安を抱えています。
それは、あの終わらない揺れの恐怖を体験した人しかわからないのかもしれないです。
しかし、状況は時々刻々と変わり、
今日にも是非是非いらして~!となるかもしれないです。
せっかくのお休みだから、楽しみなこともあるから、
福岡を楽しみたいとお越しになった方は、どうぞ楽しまれてください。
今のところインフラもなにも問題ないですから、楽しんでいただけるでしょう。
ただ、どうしても気持ちには乖離があるだろうということをご理解いただき、
配慮していただけたらと思います。
疲れていて、不安で、
でも、もっと大変な人がいるのだと、気丈にふるまったり、
から元気出したりしている人がいるかもしれません。
意地悪言ってるみたいですみません。
本当はもっと心が広い福岡の人なんですけど、
ちょっと疲れているのですよ。
それと、九州が好きなので、
同胞が大変なときはとても凹んでいるんですよ。
本当はいいヤツですから。
また、
熊本の人から「本当は福岡より熊本の方が都会なんですよ!」とふっかけられたい、
大分の人と、ざびえると南蛮往来はどっちが先かと討論したい、
宮崎の人に「アクセスがー!陸の孤島!」と笑いながら出会いたい、
鹿児島の人と「新幹線できて近くなったね!」と共感したい、
佐賀の人と長崎の人と、気兼ねしないで遊びたい。
ずっと一緒の地面で(離島もあるけど)暮らしてきたから。
ずっと心配しています。
できることをします。
まずは、
私が元気でいるよう努めます。
また会いましょう。
ご心配おかけしているかもしれませんが、
大丈夫です。
福岡の北部は大丈夫です。
今から書くことは私の個人体験なので、
九州は全部こうだとか、
みんなそう思うとか、
そういう誤解のないようによろしくお願いしますね。
初めに地震が来たのは、
先週の木曜日の夜でした。
いきなりiPhoneのアラームが鳴って、
慌ててモモをテーブルの下に押し込みました。
とても揺れて、
それでも、たった震度4くらいなのですが、
とても恐ろしかったです。
それから熊本が大変になってしまっていることを知って、
ショックでした。
そのあとも何度も揺れて、
モモもなかなか寝付けませんでした。
金曜日の昼間は小康状態でした。
でも、
時々揺れていて、
私は眩暈がとまりませんでした。今思えば。
モモの学校が終わって、
おにぎりを食べて天神にhotspringを見に行きました。
モモに、三浦くん脱退のことをどう伝えよう?と思っていて、
「Birthdayも昔はギター、フジケンじゃなかったんだよ」とか、
遠まわしに言っていたら、
なんか察した様子でした。
天神であやかちゃんと落ち合って、
ご飯を食べて、
hotspringのライブを見ました。
イノクチくんは「こんなときにライブしていいのかな…」とふと我に返ったりしながら、
それでも、全力でライブをしていました。
いつもよりたくさんギターを抱えていて、
インストも伊藤くんと一緒にシャウトしたりしていて、
三浦くんの手を盗もうとしたりしていて、
もしかしてこの人、スリーピースを考えているのではないかと思ったりしました。
ドラムベースとリズムギターでかっこいい曲ばかりだから、
そうすればいいのに。
あんなに眩暈がして、熊本が心配でたまらなかったのに、
ライブの間はなにもかも忘れられて、
自分のBEATで踊れて、
とても気が楽になりました。
終演後は、
モモがメンバーからえらくチヤホヤされていて、
ポスターにイノクチくんからタメ書きのサインとかもらって舞い上がっていました。
イノクチ君は子どもでもわかるようにと、
イノクチタカヒロとカタカナでサインしてくれました。
そのあと、
チケットを取りに行ったついでに、
いつものBarで飲んでいて、
たまたまhotspringに行ってたDJさんがずっとモモと遊んでくれました。
しかも、
電撃バップバーガー(…やったかな)を奢ってくれました。
私たちは幸せで、バスに乗って帰りました。
モモはあらかじめお風呂に入っていたし、
バスの中で眠ってしまい、
予定通りでした。
夜中に家についてホッとしていたら、
あの大きな地震が来ました。
大地震は昨日で終わって、
余震に気を付ければいいとばかり思っていました。
それなのに、
明け方まで何度も何度も揺れて恐ろしかったです。
止まらないのではないかと思いました。
普段あまりやりとりしない福岡在住同士が、
「揺れた」「怖かった」とメッセージのやりとりをしていました。
それは、
自分が怖いというより、
熊本や大分がもっと揺れているという恐怖でした。
モモを抱っこして眠れませんでした。
土曜日になりました。
2晩眠れない状態で、
熊本と大分が心配で、
とても疲れていました。
でも、
自分よりもっと大変で疲れている人がいると思うと、
そんなことを感じてはいけないのではないかと、
なんだか悪いことをしているような気持ちになりました。
サバイバーズギルドだと思います。
その日はあんなに楽しみにしていたフラカン小倉FUSEの日でした。
来られない方もたくさんいるだろうし、
地下のハコだし、
開催はよくないのではないかと思いました。
その一方、
今、フラカンに会えたら、普段通りのライブがみられたら、
どんなにホッとするだろう?と思いました。
でも、
それはフラカンが決めることなので、
公式コメントをずっと待っていました。
コメントは発表されませんでした。
それはライブ決行を意味していました。
JRは間引き運転で普通しかありませんでした。
普段だったらあっという間に着く小倉が果てしなく感じました。
駅にはほとんど人がおらず、
JRも人があまり乗っておらず、
陽気な九州人がだれも話をしていませんでした。
異常でした。
小倉に着いて、
まずFUSEに行きました。
けいすけの声が聞こえてきました。
ものすごく真剣にリハをしているのが分かりました。
それだけでグッと涙が出そうになりました。
逡巡もあっただろうに、
やると決めてくれて嬉しくなりました。
今まで生きてきて、
今、一番フラカンが必要でした。
急にiPhoneの充電がなくなっていくのが不安になりました。
マックで充電しながら心細くあやかちゃんを待ちました。
iPodでGood Morning This New Worldを聴くと、
涙が出てきました。
ときどきフラフラと窓が揺れていました。
あやかちゃんも珍しく心細い様子でした。
ライブハウスであっこちゃんたちや、私が誘った地元の人などと落ち合うと、
ホッとしました。
譲ってもらったチケットがなかなかよかったので、
とても良い位置で見られそうでした。
でも、
私はとても疲れていて、心が狭くなっていました。
遠征をしてきた方々の些細な会話がカンに触ったりしていました。
普通ではなかったのです。すみません。
フラカンは九州の人のためにやってくれるのだと思い込んでライブを見ることにしました。
Q太郎から地震の場合の対応について説明がありました。
あえて茶化したように言ってくれました。
フラカンは緊張しているように見えました。
MCは慎重に喋ってるなと感じました。
セトリは抑え気味でした。
涙よりはやく走れで涙が出ました。
チェスト!は東日本のときを思い出しました。
気のせいかもしれないけど、
グレートがとても私を見て心配しているように見えました。
自意識過剰ですが。
竹安が小倉に住んでいたMCがあって、
あの辺なんだ!と面白く聞いていました。
小西がなぜかほっぺに人差し指を立てて喋っていました。
けいすけは一生懸命柵に乗って、
自分を届けようとしているように見えました。
フラカンが全部優しく感じました。
終演後いつもは、
みんなでワイワイと打ち上げするのに、
あやかちゃんたちは帰れなくなるのがこわいからと、
新幹線で帰ってしまいました。
地元の人と二人で飲んでいました。
そして、
あろうことか私は終電を逃してしまいました。
JRが全然マトモに動いていなかったので、
乗る電車を調べようという気にならなかったのです。
夫が迎えに来てくれました。
きっと時間がかかると思ったのに、
あっという間に到着して驚きました。
高速に全然車が走っていなかったからです。
異常でした。
その夜はあまり揺れず、
やっと少し眠れました。
日曜日は妙に晴れていました。
フラカンの佐賀公演でした。
日常に戻りたかったし、
家族も行くように言ってくれたので、
行くことにしました。
JRは快速と、まばらに特急が復活していました。
私は珍しくフラカンに差し入れたいという気持ちになって、
小さなお菓子を買いました。
あやかちゃんたちと落ち合って佐賀に向かう途中で、
フラカンのライブ決行に批判もあることを知りました。
仕方がないと思います。
私も絶対決行すべきであるとまでは言えませんでした。
佐賀ではすこし端っこでみることにしました。
小倉の記憶と混じりたくなかったのです。
あんなにフラカンに助けられた地元のライブの記憶を大事にしようと思いました。
その日もQ太郎の前説がありました。
けいすけが、
批判もあるけれど、
決まったライブはなるべくやりたいし、
自分たちはバンドマンだから、
それをやるしかないということを、
初めのMCで丁寧に話しました。
そのあとは、吹っ切れたように普通のライブでした。
気のせいかもしれないけど、
竹安がいつもよりフロアを見ていてウンウンと頷いているようにみえました。
そして、
グレートがやっぱり私を心配して上手にやってきて、
ウンウンと言っているように見えました。
もちろん、自意識過剰な妄想です。
昨日はかからなかった空振りやGood Morning This New Worldがかかりました。
Good Morning~は、
色々なことがありながら高原をグングンとマーチングしていくイメージでした。
私の原体験の高原は阿蘇草千里でした。
去年、フラカンライブのために、
大分TOPSから熊本Djangoにnemuriさん、M~ちゃん、あやかちゃんと、
九州を横断したのを思い出しました。
あのラインが割れてしまった。
そう思うと涙が止まりませんでした。
明るい未来が想像できませんでした。
ライブが終わると、
私はグレートにお礼が言いたくなりました。
なので珍しく物販のサインの列に並んでお礼を言いました。
とてもしっかり握手してくれ、
私はだんだんグレートにメロメロになってきました。
危機状況に一緒に居た人を好きになる吊り橋現象だと思います。
その日は北部九州は揺れが落ち着いてきていて、
やっと打ち上げをする気になり、
みんなで飲んで帰りました。
月曜日。昨日。
週が明けました。
私は北九州で仕事をする日でした。
ところが、また眩暈がとまらなくなりました。
免震構造のビルとはいえ、
まっすぐ歩けず、伝い歩きをするほどでした。
仕事を切り上げて横になっていました。
そこでふと、
フラカンにお礼のメールを出そうと思いました。
そんなこと生まれて初めてです。
今思っても、
冷静さを取り戻したのは、あの地元のライブがきっかけでしたし。
ベッドに横になりながら、
私なりに丁寧にお礼を書きました。
それから、
心配かけているnemuriさんにもメールを出しておこうと思いました。
グレートにメロメロになったことも書きました。
そろそろ夕飯の用意をしなければと起き上がり。
ふと送信ボックスを見ると、
私はnemuriさんにメールを送っていませんでした。
………フラカン公式に誤送信していました!!!!
気を失いそうになりました。
なぜなら、
私はnemuriさんに宛てた(つもり)のメールに、
「グレートにメロメロ」と書いていたからです。
グレート社長の目に留まるかもしれない…いや多分目に留まる!
きっと社長だから読んじゃう!
グレートにメロメロを!!
ああ、公式にグレートにメロメロ送ってしまうなんて!!!!
…もうライブに行けないと凹みました。
nemuriさんに改めて、
誤爆したことも含めてメールしました。
nemuriさんからは「大丈夫、悪口言ってないから!ドンマイ!」と励まされました。
ちなみに、さくらちゃんからは、
「大丈夫、オフィシャルになるだけ!」と励まされました。
昨夜、
頭痛眩暈がいよいよひどくなったとき、
また大きな揺れが来ました。
モモとテーブルの下で震えました。
熊本を大分を想うと怖くてしかたありませんでした。
そしてまた、
おはよう!と新しい朝が来て、
淡々と福岡は動いています。
それでもずっと眩暈がします。
ひどい頭痛の日は大きく揺れる気がします。
さっきも、
事務所であまりの眩暈に転倒しました。
八代で大きな地震があってました。
自分なりに冷静になったつもりでも、
終電を逃したり、誤送信したり、
変なことばかりしています。
全国放送が「近隣に大都市があるわけだから、九州が一丸となって支援すべき」とか言っているのを見て、
するに決まっとるわ!と頭に来ます。
本調子ではないのでしょう。
それは、
多分私だけではありません。
熊本や大分とつながりのない人の方が珍しい福岡です。
日本社会福祉士会は災害のたびに募金をお願いしています。
今回は「支援金」を集めていました。
派遣するつもりです。
私が行かない理由がないので、
行くことになるでしょう。
あの災害支援ベストをまた着る日がくるとは。
それが、
まさか九州であったとは。
北部は本州とつながっているので、流通もそれほど問題はありません。
南部は熊本大分がマヒしているので、
不安があるのではないかと思います。
熊本のレタスや阿蘇の牛乳、大分のシイタケがお店になくて、
ガランとしているのが悲しいです。
福岡が揺れると、怖さとともに、
きっと熊本や大分はもっと大きな揺れが来たのだと心配しています。
リアルタイムで大変なことが起きたことを知り続けている状態です。
ずっと同じ島でやってきた同胞が、心配でたまりません。
九州の南と果てしなく離れてしまったような淋しさでいっぱいです。
心配だから現地の様子を見に来たいとか、何か助けになりたいと仰る方もいるのですが、
今はおやめになった方がいいとお伝えしています。
とても嬉しいのですが、気持ちよく迎え入れる心の余裕がないのです。
経済的には大事なことでしょうが、
いつ揺れるかわからないところに、
仕事や大事な用事もないのに、わざわざ来られるのはお勧めしないです。
まだ大きな余震があると言われており、我々はいつその時がくるのか?
またあのアラームが鳴るんじゃないか?
そのときは、福岡より大変なところで、大変なことが起きるかもしれない、といつも不安を抱えています。
それは、あの終わらない揺れの恐怖を体験した人しかわからないのかもしれないです。
しかし、状況は時々刻々と変わり、
今日にも是非是非いらして~!となるかもしれないです。
せっかくのお休みだから、楽しみなこともあるから、
福岡を楽しみたいとお越しになった方は、どうぞ楽しまれてください。
今のところインフラもなにも問題ないですから、楽しんでいただけるでしょう。
ただ、どうしても気持ちには乖離があるだろうということをご理解いただき、
配慮していただけたらと思います。
疲れていて、不安で、
でも、もっと大変な人がいるのだと、気丈にふるまったり、
から元気出したりしている人がいるかもしれません。
意地悪言ってるみたいですみません。
本当はもっと心が広い福岡の人なんですけど、
ちょっと疲れているのですよ。
それと、九州が好きなので、
同胞が大変なときはとても凹んでいるんですよ。
本当はいいヤツですから。
また、
熊本の人から「本当は福岡より熊本の方が都会なんですよ!」とふっかけられたい、
大分の人と、ざびえると南蛮往来はどっちが先かと討論したい、
宮崎の人に「アクセスがー!陸の孤島!」と笑いながら出会いたい、
鹿児島の人と「新幹線できて近くなったね!」と共感したい、
佐賀の人と長崎の人と、気兼ねしないで遊びたい。
ずっと一緒の地面で(離島もあるけど)暮らしてきたから。
ずっと心配しています。
できることをします。
まずは、
私が元気でいるよう努めます。
また会いましょう。