小学校の裏の坂を上っていると、突然、林檎がひとつ、
転がってきた。
慌てて拾うと、もうひとつ。
僕は持っていた鞄を放り投げて、その林檎を追いかけ、
カーブの手前で拾い上げることに成功した。
やれやれ、よかった。ところで、一体全体この林檎を転が
しちゃったあわてんぼうは、どこの誰なんだい?
坂の上のほうを見上げると、いっぴきの猫が駆け降りてきた。
クロトラの、まだ子猫だ。
「それ、僕の林檎だぞ」
猫は、まるで僕が林檎を盗んだような言い方をしながら、僕の前で胸を張った。
「盗りはしないよ。転がってきたから、拾ってやったんだ」
「へえ、そうか。ちゃんと二つあるかな」
この猫、躾がなっていないな。
僕はそう思ったけれど、相手は猫だから、言ってもしょうがない。
猫は、林檎を二つ受け取ると、お礼も言わずに坂を上り始めた。
でも、二~三歩歩いたと思ったら、また林檎を落としそうになるんだ。
「あぶなっかしいな。これ、あげるよ」
僕は、ぶらさげていたコンビニの袋から、中身を取り出し、林檎を
入れてやった。
猫は、その間、ごまかされないぞ、という風に僕の作業をじっと見つ
めていた。袋を手にすると、今度は中を覗き込んで、本当に林檎が
二つ入っているか確認するんだ。猫くん、僕は、手品師じゃないぞ。
猫は、やっと満足して、僕のほうを向いた。
「僕は猫だから林檎を持つのは得意じゃないんだ」
まるで、猫が林檎を落とすのは当たり前、僕が袋をあげるのも当然だと言わんばかりさ。
でも、猫なんて、そんなもんだ。
「その林檎は、君が食べるのかい」
そう聞いてみると、猫は、聞いた僕の方がびっくりするほど驚いて、
ぴょんと跳ね、
「僕が林檎を食べるって!そんな話、聞いたこともない!」
と目をくるくるさせた。
「じゃ、誰が食べるのさ」
まさか、猫がスケッチのために林檎を買ったりはしないだろう。誰か
が食べるのにきまってる。
「さくらこだよ。家のさくらこちゃんが食べるのさ。さくらこちゃんは、風
邪をひいて、林檎が食べたいって言ってるんだ」
桜子ちゃんっていうのは、坂の上に住んでいる六歳の女の子のことだ。
「それじゃ君は、桜子ちゃん家の猫なのか」
猫は、また、目をくるくる回した。
「違うよ。僕はさくらこちゃん家の猫じゃないよ。さくらこちゃん家の庭
の物置の裏に住んでいるんだ」
そして、猫はなんで林檎を運んでいるのかを僕に説明してくれた。
「さくらこちゃんのママは、僕たちが物置に住んでいるのは、あまり好
きじゃないんだ。でも、僕とさあちゃんは友達だから、ママもあんまり
言えないのさ。それで、さっき窓から覗いたら、さあちゃん、風邪ひい
て林檎が食べたいって言っているんだ」
「さあちゃんのママは、看病しててお使いにいけないから、代わりに僕が行くことになったのさ」
「猫なのにかい?」
「うん」
猫は、袋をぶらぶら振りながら、坂を上り始めた。
僕は、猫が林檎を落としたのは、猫の手が林檎を持ちにくいからじゃないと思った。
あれがメザシや猫缶だったら、絶対落としっこないさ。
猫は、くまちゃんやマメタがお見舞いに来てるかも知れないな、とか、
くまちゃんはさあちゃんが風邪ひくときは、いつも一緒に風邪ひくから
来ないかもしれない、とか、ぶつぶつ言いながら、上っていく。
僕は放り投げていた鞄を拾うと、猫の後ろを歩き始めた。
「ねえ、君の名前はなんて言うんだい」
僕は、この半ノラ猫のことを、ちょっと見直していた。こいつは将来、
なかなかの猫になるかもしれない。
「名前なんてないよ」
猫は、桜子ちゃんの家が見えてくると、走り出し、あっという間に坂を
上っていってしまった。
僕は、今度桜子ちゃんに会ったら、あの猫に名前を付けてあげるよう
に、言ってみようと思う。でも、桜子ちゃんだったら、もう、とっくに猫に
名前を付けちゃっているような気もする。そして猫は、その名前が気
に入らないのかもしれない。
冬の初めの風がぴゅうっと吹き、僕も林檎を買ってくればよかったと思った。
イラスト:黒猫大和
転がってきた。
慌てて拾うと、もうひとつ。
僕は持っていた鞄を放り投げて、その林檎を追いかけ、
カーブの手前で拾い上げることに成功した。
やれやれ、よかった。ところで、一体全体この林檎を転が
しちゃったあわてんぼうは、どこの誰なんだい?
坂の上のほうを見上げると、いっぴきの猫が駆け降りてきた。
クロトラの、まだ子猫だ。
「それ、僕の林檎だぞ」
猫は、まるで僕が林檎を盗んだような言い方をしながら、僕の前で胸を張った。
「盗りはしないよ。転がってきたから、拾ってやったんだ」
「へえ、そうか。ちゃんと二つあるかな」
この猫、躾がなっていないな。
僕はそう思ったけれど、相手は猫だから、言ってもしょうがない。
猫は、林檎を二つ受け取ると、お礼も言わずに坂を上り始めた。
でも、二~三歩歩いたと思ったら、また林檎を落としそうになるんだ。
「あぶなっかしいな。これ、あげるよ」
僕は、ぶらさげていたコンビニの袋から、中身を取り出し、林檎を
入れてやった。
猫は、その間、ごまかされないぞ、という風に僕の作業をじっと見つ
めていた。袋を手にすると、今度は中を覗き込んで、本当に林檎が
二つ入っているか確認するんだ。猫くん、僕は、手品師じゃないぞ。
猫は、やっと満足して、僕のほうを向いた。
「僕は猫だから林檎を持つのは得意じゃないんだ」
まるで、猫が林檎を落とすのは当たり前、僕が袋をあげるのも当然だと言わんばかりさ。
でも、猫なんて、そんなもんだ。
「その林檎は、君が食べるのかい」
そう聞いてみると、猫は、聞いた僕の方がびっくりするほど驚いて、
ぴょんと跳ね、
「僕が林檎を食べるって!そんな話、聞いたこともない!」
と目をくるくるさせた。
「じゃ、誰が食べるのさ」
まさか、猫がスケッチのために林檎を買ったりはしないだろう。誰か
が食べるのにきまってる。
「さくらこだよ。家のさくらこちゃんが食べるのさ。さくらこちゃんは、風
邪をひいて、林檎が食べたいって言ってるんだ」
桜子ちゃんっていうのは、坂の上に住んでいる六歳の女の子のことだ。
「それじゃ君は、桜子ちゃん家の猫なのか」
猫は、また、目をくるくる回した。
「違うよ。僕はさくらこちゃん家の猫じゃないよ。さくらこちゃん家の庭
の物置の裏に住んでいるんだ」
そして、猫はなんで林檎を運んでいるのかを僕に説明してくれた。
「さくらこちゃんのママは、僕たちが物置に住んでいるのは、あまり好
きじゃないんだ。でも、僕とさあちゃんは友達だから、ママもあんまり
言えないのさ。それで、さっき窓から覗いたら、さあちゃん、風邪ひい
て林檎が食べたいって言っているんだ」
「さあちゃんのママは、看病しててお使いにいけないから、代わりに僕が行くことになったのさ」
「猫なのにかい?」
「うん」
猫は、袋をぶらぶら振りながら、坂を上り始めた。
僕は、猫が林檎を落としたのは、猫の手が林檎を持ちにくいからじゃないと思った。
あれがメザシや猫缶だったら、絶対落としっこないさ。
猫は、くまちゃんやマメタがお見舞いに来てるかも知れないな、とか、
くまちゃんはさあちゃんが風邪ひくときは、いつも一緒に風邪ひくから
来ないかもしれない、とか、ぶつぶつ言いながら、上っていく。
僕は放り投げていた鞄を拾うと、猫の後ろを歩き始めた。
「ねえ、君の名前はなんて言うんだい」
僕は、この半ノラ猫のことを、ちょっと見直していた。こいつは将来、
なかなかの猫になるかもしれない。
「名前なんてないよ」
猫は、桜子ちゃんの家が見えてくると、走り出し、あっという間に坂を
上っていってしまった。
僕は、今度桜子ちゃんに会ったら、あの猫に名前を付けてあげるよう
に、言ってみようと思う。でも、桜子ちゃんだったら、もう、とっくに猫に
名前を付けちゃっているような気もする。そして猫は、その名前が気
に入らないのかもしれない。
冬の初めの風がぴゅうっと吹き、僕も林檎を買ってくればよかったと思った。
イラスト:黒猫大和
『僕』と『さくらこちゃん』と『猫』…
其々モデルになった方がいるんでしょうねぇ…