この文章は、僕がまだきもののデザインの会社をやっていた頃、
僕のホームページに掲載していたものです。
今でも「友禅染」という技法に名前の残る、着物デザインの先駆者であり、
日本のデザイナーブランドのルーツと言える男"宮崎友禅"
その宮崎友禅を想いつつ、僕の着物に対するコンセプトを語ったものです。
残念ながら今は、筆を置いていますけどね。
ま、力がなかったということでしょう。
『宮崎友禅を思う・・・』
宮崎友禅というのは、今から300年以上前に登場した絵師で、友禅染めと言う言葉は、彼の名前から採られています。つまり私達が手がけている手書き友禅の、ルーツと言える人にあたるのです。
宮崎友禅が活躍した時代とは、どう云う時代だったのでしょうか。1680年に徳川綱吉が五代将軍となり、いわゆる元禄文化と呼ばれる町人文化が花開く時代です。今で云うと、バブルと、その後という、まさに平成時代に似通った面もあるように思えます。井原西鶴が好色一代男を発表し、松尾芭蕉が奥の細道に旅立つ・・・そのような時代に、友禅染めは登場したのです。
元々友禅は、扇に絵を描いていたようです。友禅の描く扇絵は、京の都で大ブームになり、その勢いを駆って、呉服(小袖)業界に進出しました。今でも、ある分野で成功したデザイナーが、新しいジャンルを手がけることは、よくありますよね。そして友禅は着物の世界でも、大成功を収めます。
時代はまさに町人の時代。豊かになった人々の中に、現代と同じような流行という感覚がうまれるんです。貴族階級の奥方から、裸足で走り回っているような小さな女の子まで、あらゆる階層の女性達が、友禅のデザインに夢中になったといいます。
この時代において、着物の価値とは、何だったのでしょう。友禅のデザインに夢中になった女性達は、それが伝統的で、日本の心を受け継ぐものだから、支持したのでしょうか・・・。答は、言わずとも知れています。彼女達は新しいものに敏感に反応し、作り手もまた、そのニーズに応えていく。このようにして、現代につながるファッションの基礎が、うまれていったのです。
そして、友禅染めの流行というのは、ただ宮崎友禅個人の力ではないと言うことを、述べなければなりません。当時京の都で一世を風靡した扇絵の友禅というブランドを、呉服の世界に導入した、時の仕掛け人達のプロデュース能力によるものだと言うことです。
私は、これこそが、着物の一番大切な伝統であると考えます。常に新しい風を起こし、時代と共に、ニーズを先導し、またニーズに応える。後ろを向くのではなく、前を向いた着物作りこそが、今の呉服業界に一番必要なのではないでしょうか。
さて、もし宮崎友禅が現代によみがえったとしたら、いったいどんな着物をデザインするんでしょうね。私は、彼を現代の呉服屋の店頭に連れていってみたいと、いつも思います。「なんだ、まだこんな古臭いのを作っているのか!」と、呆れられてしまうかもしれません。それじゃ、あなたなら・・・私はいつも、そう問いかけながら、着物をデザインしているのです。
僕のホームページに掲載していたものです。
今でも「友禅染」という技法に名前の残る、着物デザインの先駆者であり、
日本のデザイナーブランドのルーツと言える男"宮崎友禅"
その宮崎友禅を想いつつ、僕の着物に対するコンセプトを語ったものです。
残念ながら今は、筆を置いていますけどね。
ま、力がなかったということでしょう。
『宮崎友禅を思う・・・』
宮崎友禅というのは、今から300年以上前に登場した絵師で、友禅染めと言う言葉は、彼の名前から採られています。つまり私達が手がけている手書き友禅の、ルーツと言える人にあたるのです。
宮崎友禅が活躍した時代とは、どう云う時代だったのでしょうか。1680年に徳川綱吉が五代将軍となり、いわゆる元禄文化と呼ばれる町人文化が花開く時代です。今で云うと、バブルと、その後という、まさに平成時代に似通った面もあるように思えます。井原西鶴が好色一代男を発表し、松尾芭蕉が奥の細道に旅立つ・・・そのような時代に、友禅染めは登場したのです。
元々友禅は、扇に絵を描いていたようです。友禅の描く扇絵は、京の都で大ブームになり、その勢いを駆って、呉服(小袖)業界に進出しました。今でも、ある分野で成功したデザイナーが、新しいジャンルを手がけることは、よくありますよね。そして友禅は着物の世界でも、大成功を収めます。
時代はまさに町人の時代。豊かになった人々の中に、現代と同じような流行という感覚がうまれるんです。貴族階級の奥方から、裸足で走り回っているような小さな女の子まで、あらゆる階層の女性達が、友禅のデザインに夢中になったといいます。
この時代において、着物の価値とは、何だったのでしょう。友禅のデザインに夢中になった女性達は、それが伝統的で、日本の心を受け継ぐものだから、支持したのでしょうか・・・。答は、言わずとも知れています。彼女達は新しいものに敏感に反応し、作り手もまた、そのニーズに応えていく。このようにして、現代につながるファッションの基礎が、うまれていったのです。
そして、友禅染めの流行というのは、ただ宮崎友禅個人の力ではないと言うことを、述べなければなりません。当時京の都で一世を風靡した扇絵の友禅というブランドを、呉服の世界に導入した、時の仕掛け人達のプロデュース能力によるものだと言うことです。
私は、これこそが、着物の一番大切な伝統であると考えます。常に新しい風を起こし、時代と共に、ニーズを先導し、またニーズに応える。後ろを向くのではなく、前を向いた着物作りこそが、今の呉服業界に一番必要なのではないでしょうか。
さて、もし宮崎友禅が現代によみがえったとしたら、いったいどんな着物をデザインするんでしょうね。私は、彼を現代の呉服屋の店頭に連れていってみたいと、いつも思います。「なんだ、まだこんな古臭いのを作っているのか!」と、呆れられてしまうかもしれません。それじゃ、あなたなら・・・私はいつも、そう問いかけながら、着物をデザインしているのです。
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