バリ記 

英語関係の執筆の合間に「バリ滞在記」を掲載。今は「英語指導のコツ」が終了し、合間に「バリ島滞在記」を連載。

英語指導のコツ26 文を長くする方法1

2019-11-27 10:59:55 | 私の英語講習
文を長くする方法 1    副詞って何だろう?


 今回からちょっと話題を変えます。
 しばらく文を長くしていく方法を話します。

 文を長くするっていうのは単語を2コから3コとか4コとかって並べて
 長くしていくことですが、
 とりあえず、英語の文には基本の型がありました。
    
  ① だれだれが なになにをする
  ② だれだれは なになにである。
  ③ だれだれは なになにを なになにする。
  ④ だれだれは だれだれに なになにを なになになにする。
  ⑤ だれだれは なになにを なになにとする。

 この5つでした。
   He runs.    彼は走る。
 これをね、どんな風に走るか、と詳しく言うと、
  He runs fast.  彼は速く走る。
 これで単語が3つになったよね。今度は「いつ走るか」と言うよ。
   He runs every day.  彼は毎日走る。
 「どこで走るか」と言えば、
   He runs here every day.  彼はここで毎日走る。
 となります。 つまり、fast というのは「どんな風に走るか」を表しているし、every day は「いつ走るか」を表しているし、here は「どこで走るか表しています。「どんなふうに」とか「いつ」とか、「どこでか」を表す単語を副詞と言います。
「時々 という sometimes 」とか「よく という  often」なども「いつ」と関係する頻度(どのくらいの回数、割合で)を表すもので、これも「副詞」といいます。
副詞というのは「動詞をもっといきいきと詳しく表すものなのです。

 動詞をいきいきと詳しくあらわすだけではありません。
  He runs very fast.
 の very というのは実は副詞なのです。fast も副詞です。ですから「副詞が副詞をより詳しく表している」ことになります。*カッコつけて「修飾する」なんて言葉使う人がいるんですよ。

 He is very tall.
といえば tall は「背が高い」という形容詞で、very がtall の程度をよりくわしく表しています。すると「副詞は形容詞をより詳しく表している」ことになります。
このように副詞というのは「動詞、形容詞、同じ副詞を詳しく表すもの」
だってことになる。まず、ここまで理解しておきましょう。

基本的にこれがわかっていないと、次に習う、how や where や when
それに 副詞句や副詞節っていうのも、関係副詞というのもわからなくなってきます。
 副詞は飾る言葉だけれど、これを使えば文はちょっと長くなって、さらにもっと長くする方法にたどりつくというわけです。

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今日から当分、英語の文を長くしていく方法を述べていくのですが、教科書では「文を長くしていく方法」というテーマでならいません。なんとなく分詞とか不定詞とか、関係代名詞とかって習って、いつの間にか文が長くなっているのです。ぼくの考えとは全く反対の発想です。文を長くしていくためにはどんな方法があるんだ、という大きなテーマを持った方がいいのです。それには①副詞を使う方法がある ②接続詞を使う方法がある、と学んでいったほうがよいに決っています。
 そうそう、一度コンピュータのプログラミングで使う用語一覧をまとめたいんです。なんとなく生徒はは知っていくのでしょうか。それともやはり教えるべきなのか。意見いただければありがたいです。今日はここまで。   

英語指導のコツ25 Have って何?

2019-11-26 11:05:09 | 私の英語講習
have って何?


 いよいよ have について話します。英語の大難関と言ってもいい。
 have って 「持っている」とか「食べる」とか「過ごす」とかそんな意味の動詞です。
 Have a good night.
 とか
 I have a smart phone.
とかです。
I have been to Tokyo.
とか
 How long have you known him?(どのくらい前から彼のこと知ってるの?)
ってのもあります。
「現在完了形」と言われているものです。

 「持っている」や「食べる」「過ごす」というのは「動詞」に分類されています。一方、I have been to Tokyo. の have は 現在完了を作る特別な「助動詞」だと言われています。
 助動詞というのは普通、動詞の「味付け」をする役割を 持ってます。

 I play tennis.   僕は(習慣として)テニスをします。
 I will play tennis tomorrow.   僕は明日テニスをします。
 I may play tennis tonight.   僕は今晩テニスをするかもしれない。
 I can play tennis.     僕はテニスができる。
 I would play tennis.     僕はテニスをするだろうなあ。
 I could play tennis.     僕はテニスができるといいんだがなあ 

 ちょっとずつ「テニスをする」のニュアンスが違います。
 助動詞は「動詞を助ける」と書くけど、本当は「動詞にスパイスを加えて、
 人間の「意志」や「できるできない」や、「かもしれない」とか「だろうなあ」と動詞の持つ主の意味を 
  ちょっと変えるんだね。味付けです。

では have はどうなのか、となります。
 have は、「印象を強く鮮やかにもっている」という意味なのです。これがhaveの意味。 しかし動詞でも使うし、現在完了という「過去から現在までの印象や時間継続の強い印象をもっているかどうか」の具合でも使います。
 have にはそういう「ニュアンス」があります。
 I have been to Tokyo. は普通、「僕は東京に行ったことがある」と 訳すけれど本当の意味を細かく言うと「僕は東京に行ったという経験があって、そのときの印象がまだ過ぎ去った過去のことではなく、今でもその時のことが蘇る程度にいきいきとしている。そういう経験をもっている」 と言っているのです。

 Have you known him for three years?
 というのは?
 「3年前から彼のことを知っているの?」というのが普通の訳。
意味するところは「3年前から彼のことをずっと知っている」というよりも
「君らは3年前からつきあっていて、その関係を今ももっているの?」という 意味なのです。だから、 have のもともとの意味は「(どこであろうと)もっている」という 意味なんだね。 これが基本なのです。そこから have が多様に使われるのです。

 現在完了形というのは have + 過去分詞 で表すけれど、あんまり意味は
ないね。過去から現在までの時間の幅中での「もっている印象」を言って いるのですから。こじつけて言えばですよ。
 I have been studying English for three hours.
  「僕は3時間もずっと英語の勉強をしているという状態を持っているんだ」と強く今の心情を言いたいときに使うのです。
  
have をそう理解したうえで、
 動詞の have と 現在完了を作る have を分けて考えるほうがいいのです。どうして 現在完了の時に have を使うんだろう、と不思議に思うはずですから。
同じhave だから当然、含む意味は同じなのです。同じじゃなかったら同じものなんか使うはずがありません。

「持っている」「食べる」「過ごす」は日常生活でもよく使う言葉です。「なになにの状態に持っている」が究極的なhave の 覚え方だよね。「印象として鮮やかにね」
  It は「今言ったそれは」とおぼえなさい、と言いました。そう覚えておくと it の本質がわかるからです。 Have は「鮮やかに印象、記憶、心に、そして実際にどこかに持っている」と言えばいいでしょう。



英語指導のコツ24 動詞を理解する

2019-11-25 10:47:39 | 私の英語講習
「動詞」を理解する
  
 今回は「動詞」について説明します。「動詞」と言えば、わかるような気になるのが落とし穴なのです。実は動詞もきちんと整理しておくと判断の基準になるのです。英語は論理的なのです。
 論理的というより厳格なのです。「あいまいさ」を許さないところがあります。この「あいまいさ」というのは日本語の特徴だと以前にも言いました。
 どういうことかと言いますと、動詞って漢字で見る限り「動く言葉」ということになりますよね。
すぐに思い浮かぶのは「走る=run 」 です。まさに動きを表しています。 動詞にはね、このように、身体が動く、例えば、走る、歩く、泳ぐ、殴る、
蹴る、といろいろとあります。ここで大事なことは身体が動くだけでなく、「心が動く」のも動詞だということです。
  ほしい want,  好き(です) like,   愛する love。
見えないけれど、こころの動きと思えば納得できます。
 すると動詞というのは大別すれば、
①身体が動く動詞
②心が動く動詞
という風に便宜上分けますが、もっと微妙に言えば、身体が動く動詞でも心が動く動詞でも、「動きそのもの」と「いろいろな動きをまとめて表すもの」に分けることができます。
  have は「もつ」でもあるし「持っている」でもある。
  live は「住む」でもあるし、「住んでいる」でもある。
  心を表すほうでは、love 「愛する」でもあるし「愛している」でもあります。

 なんだかややこしいようですが、 動詞でも「動きを表すもの」と「状態」というか「動きの全体を表しているもの」が あるということです。 なんといいますか、「動く動詞」と「止まっている動詞」があるって、いうと、わかりよいかもしれませんが、ちょっと違うのです。住んでいる=live というのは
日常いろいろな動きをしてそこで暮らしていることをいいます。動きの総称として live と言う言葉があります。
  ここが大キーポイントになってきます。これがはっきりわかっていないと 現在進行形や現在完了の継続、さらには現在完了進行形などというのが理解しにくいのです。
 動く動詞は run  running、 walk  walking というふうに ing をつけて今なになにしている」という様子をあらわすことができます。でも want や like には ing は基本的にはつきません。
 もともと「欲する」は「ほしい気持ちでいる」も含んでいますからね。
 like もそうです。「好む」も「好きである」も一緒ですから。こういう語にはing はつきません。もっと先のことを言えば、動く動詞(ing がつく動詞)は現在完了進行形に発展していきます。そして want などは I have wanted this camera for three years. というように「現在完了進行形」ではなく「現在完了の継続」と分類されます。動詞の分類をしっかり説明しておくと先にわかりやすくなります。
   動詞には ①身体が動く動詞  ②心の動きや様子状態を表す動詞 と大別されて、動いていないのに動詞というものがあるっていうわけです。
これは英語の学習というよりも、言葉の理解の問題です。 英語はその点今後ますます厳格になってきます。
 結論。動詞には「身体、心の動き」を表し、その中には「動くものと動きをまとめたものがある」ということです。こういう理解を無視しては結局わからなくなります。 


英語指導のコツ23 3つのS Sの文化

2019-11-22 10:32:27 | 私の英語講習
1971年に三省堂が「表音小英和」という、ポケットサイズで字が小さい辞書を出した。1991年に修訂されたたものをぼくは持っている。これはまず単語の読み方の規則が最初に載っていて、以下その規則に従って、辞書の構成となっている。ところが発音記号はない。それは最初の規則に書いてある。パソコンでぼくは表記できないので、もどかしいが、foot の oo と food の oo は音が違う。これをはっきりさせるために oo の上にー
があれば 「ウー」と伸びる。小さくU のような印があれば 「ウッ」と読むという印である。
 2ページにわたって読み方の印の紹介がされていて、英語の読み書きの煩雑さを無くしている。おそらく印刷される英語の文字がこのように変われば学習しやすいだろうという思いから作られたのだろうと思う。三省堂編集所にも改革をなそうとする人たちがいたのだ。1971年当時は海外からも絶賛されたらしい。続いて1980年、1991年と修訂がなされ、その後はどうなっているのかぼくは知らない。ぼくは片岡義男のエッセイの中でこの辞書も知ったと記憶している。記憶違いかもしれない。

  3つの S 
  個の文化を感じる S

 今回は S についてお話です。英語って S が大好きな言語です。そして、英語を習い始めたときに厄介なのが S なのです。
 こどもたちは日本語の世界になれきっていて、日本語以外の言葉を知らないという環境にいます。文化の背景が違っているところからでてくる発想というのは初め誰でも戸惑うものです。
 他にもありますよ。そのうちのひとつが S なのです。
例えば、
      I play tennis.
      Tom plays tennis.
      He plays baseball, too.
      Sue plays tennis

 Sがでてきますね。play にs がついてるのが今回の S の問題です。
英語というのは、自分と他者一人とを完全に区別して考えるのです。
不思議なほどにです。別に Tom play tennis. でいいだろう、とだれでも思
うはずなのです。習い始めの頃はそんなことは考えずに先生に言われるまま、そんな疑問すら浮かばなかったなあ。そういえばそうだよね。

「三人称単数・現在形」って習いました。今でもそんな風に教えているのでしょうか。
 自分と話し相手(you だよね)以外の人について話す時は動詞にs をつけるのが鉄則なのです。個人ひとりについて言っているのかいないのか、意識するのです。意識は強いのですね。はっきり区別しています。区別というよりも合図をだして「第三者の個人のことを言ってるよ」と言っています。
これほど第三者に s をつけてこだわるのはそれなりの理由がありそうです。 どう思います?
 なんでだろう、と思いますよね。ここにいない個人のことを話しているのだから、いない人をたててるのでしょうか。
 たてているのか、見下げているのか、それはわからないけれど。確かに言えるのは第三者の個人は対等である、それとそれゆえの距離感ですね。それが英語の基本姿勢です。 英語はその点はわきまえるのです。自分も他人もごっちゃにしないのです。はっきり区別する。そうすることによって人は平等なんだ、という考え方ですね。自分も他人もいっしょくたにしない。個として言語としても自立させる。適度な距離感をもつのです。

日本人が「彼」という言葉を使うようになったのは明治に入ってからです。
この第三者を表す代名詞というのは、日本の小学生もまだ「彼」は 使えません。この言葉を使うようになるにはまだ時間がかかります。「さきちゃん」というほうがなんとなく親しみやすいのです。それを「彼女」というとちょっと距離をおいて客観視しているようなところがあります。だから英語の 「he=彼」も s も、感じとしては日本語の「太郎君」よりも距離感が違います。

 ベタベタしていないところがあります。 まあ、sはそんなことを含んだ文字ですね。
 sにそんな深い理由があるのかあ、と思うかもしれませんが、これは私が思っている、私の意見です。
 「彼や彼女」という言葉は新しい言葉です。中学生でも日常は使いませんよ。
「おまえ彼女いるのかよ」という時に使うのがせいぜいで、「それは恋人という意味合いです。歴史上でもこの言葉を使うようになるまで時間がかかったはずです。でなければ相当人間について考えられたはずです。神とつながるのに、個人個人はみな平等であるというキリスト教の思想からきているのか、もっと前のギリシャ哲学からきているのか私にはわかりませんが、長い歴史の中で言語が醸成されていったのでしょう。
    
 英語の S 好きの次の例を挙げます。 S は ふたつ以上の名詞につけます。 a pen  pens というふうにです。ひとつだったら a pen 二つだったら pens と pen のあとに s がつきます。
1つか2つ以上かはきっちり区別をする。これも不思議です。日本語にはありません。

 まだ s の特別扱いはまだあります。
  hers, theirs, its, ours, yours  という「~のもの」
 自分のものか他人のものか、だれの物かというときも mine をのぞいては
 みんな s で終わります。「トムのもの」 という場合には Tom’s と ‘s
(アポストロフィーS)をつけます。

 英語が今の英語になっていく途中「自分と他人、1コと2コ以上、だれのものか」という観念がとても強く働いた時期があったのでしょう。そこに共通してみえるのは「個」ということです。
 人間は「個」と「個」の結びつきです。その関係のしかたが最も重要なことです。関係のしかたで心が病む場合も、楽しい場合も、恋をしてしまうのも人間の関係性です。その意識の高さが言葉に表れていると思います。
  s は 英語ではたいへんなキーワードです。
  今回はちょっと文化の話になってしまいました。大人の方に読んでもらっているのですから釈迦に説法かもしれません。でも英語を学習する上で通過 しなければならないところであり、異文化の言語を学ぶ一番のおもしろさでもあります。こんな体験をして母国語とは違う言語を獲得して知らなかった世界を知り、視野や広げ、考えを深めることができるのです。
なんとなく主語が三人称単数の時には動詞に s をつける、なんておぼえてもそれは理解にはなりません。
 だから S の使い方は中学1年生で習うますが、一番躓くところでもあります。理由を習っていたら躓くことはありません。



英語指導のコツ23 英語は語順に厳しい

2019-11-21 10:07:04 | 私の英語講習
英語と日本語の違いを考えていると、日本語は自分を主張すること、意見を述べること、議論することには向かない言語だなあ、と思います。俳句や短歌などを見ているとまた微妙なことが表現できると思うのですが、高校生たちに俳句甲子園を見ていると、批評し合うのですね。こういう批評ということが高校生らもやり始めているわけです。日本語だけで暮らしている多くの人は自分の喋っている言語が当たり前だと思っているわけですが、ここに英語という言語体系を持ち込んでみると、例えば、You ということを考えてみても、だれにでも You を使うわけで、日本の「あなた」「おまえ」「君」「あんた」「てめえ」、私の暮らす紀州尾鷲弁ではさらに「いな」「われ」が加わってきます。これらの言葉「力関係」「序列意識」「年齢意識」が入っているもので、英語とは全く違います。なんだか民族独自の言語がある限り、この国は変わらないような気もしてきます。インドネシアは新しい言葉を作りました。学校教育で標準インドネシア語を話し、書けるようにしました。そして文字もアルファベットにしました。大改革でした。マレー語を参考に、シンプル化したのです。バリ島ではカーストによって使う言葉が違っていましたが、それもなくなりました。「言語の改革」を唱えている日本列島人を私はまだ知りません。

 さてさて、こんなところで、今日の課題です。


英語は語順に厳しいぞ
  日本語は寛容で、どうでもいいところがあるぞ


「昨日僕は車で東京に行きました。」
 という文を並び替えて同じ意味の通じる文にしてみます。
 幾とおりでもいいのです。
    僕は昨日東京に車で行きました。
    昨日車で僕は東京に行きました。
    車で昨日東京に行きました。
    東京に昨日車で行きました。
  このぐらいですかね。だいたい4通りですね。
 これを英語にしてみると、
   I went to Tokyo by car yesterday. か
   Yesterday I went to Tokyo by car.

  この2通りです。「昨日=yesterday」が動かせるくらいです。
  しかも決まっています。前か後ろって。
英語というのはとても語順に厳しいのです。日本語のほうは結構単語を
 動かせます。英語は 
 I went to Tokyo by car.

  は動かせないのです。
 だから日本語を勉強する英語圏の人ははじめ戸惑うかもしれませんね。 逆に英語を習う日本人も戸惑うはずなんです。英語は語順に厳しいのですから。

 Let's have a meal at Happy Bali Restaurant tonight.

 と言えば、場所の次が時を表す言葉がくるとか、こういうことにもうるさいのが英語です。その点日本語は楽です。 どこで 「ハッピーバリ」 を言おうと、「今晩」を言おうといいのですから。

 だいたい、誰が、何する、何を、どこで、いつ ぐらいの文の要素が
世界の言葉の普遍的な要素です。それが言えればわかるみたいなところってあります。英語はこの点はシンプルです。入れ替えなしが原則だから、何を順番で並べたらよいか。それは5つしかないのですから。
 前回にも並べましたが、
  ①だれだれは なになにする。 例えば、
  I run. みたいなもの。(私は走る。)
  ②だれだれは なになにである 例えば、
  I am a teacher. みたいなものの。(私は教師です。)
  ③だれだれは なになにを なになにする。
  I bought a watch. みたいなの。(私は時計を買った。)
  ④だれだれは だれだれに なになにを なになにする。
   I gave him my pen. (私は彼に自分のペンをあげた。)
  ⑤だれだれは なになにを(だれだれを)なになにと する。
   I call her Sue. (私は彼女をSueと呼ぶ)

 これだけですね。例外的には なんだ?これって、いうのはあります。こんな文です。
 There is a post office near here. みたいなものです。
 ほとんど例外なく文はこの5つの並べ方におさめなさい、というのが
英語なのです。これさえ覚えておけば、喋るには十分です。
 それに場所を表す語句と時を表す語句が加わればぐんと文っぽくなります。
  Tell way station.で 何を言っているかわかりますね。
  この間にくる meや the とか to  など必要ないのです。
  Could you などというのも要らない。態度でわかってしまいます。
  話す場合は、要素だけで事足りるわけです。読む場合もそうです。The とか to とか気にしないことです。きちんとした文書を書く場合はそうはいきませんが。
この5つを呪文のように覚えればいいのです。 それに単語を置き換えるのです。こまかいthe とか to はまたいずれ話します。
語順についてでした。