こんにちは。
Twitterでおもしろい記事が流れて来たのでコピペします。
単品での値段だけでなく、維持費や設置関係に付いても書いてあるので、一読しておくと良いと思います。
『信号機は、1基いくらするのか?』
『みと政和(兵庫県議会議員)公式ブログ』
政務調査会が続いております。
その中で、信号機に関する質問がありました。
信号機は、県民の皆さんも興味の高いところかと思いますので、一度、まとめておきます。
兵庫県では、県下で7,000基程度あります。
年間の新規設置数は、大体30-40基程度です。
感覚で言うと、そんなに多くないですね。
実際に、要望はかなり上がっているのですが、順番待ちの状態です。
来年度の信号は、36基の設置を考えており、その予算額は1億7,800万円。
シンプルな車両用で、1基あたり340万円程度。押しボタン信号は、240万円程度です。
新規設置以外の信号関係の予算は、約10億円で、既存信号の維持管理費に費用などにかかります。
これは、信号の長さを変えるなどの改良や、LED化や音響付加装置を付けるなどを行なったり、
道路改良を行う時に、信号を動かす必要が出たときは、費用負担などです。
新規で設置する予算より、メンテナンスの予算が断然高いんですね。
勿論、7,000基もありますので、確かに、費用はかかるでしょう。
ということで、一つの疑問が出てきます。そんなに維持費用がかかるということは、
交通量が減少したりして、「必要無くなった信号をどうしているのか?」ということです。
こちらは、迎山議員から質問が出ました。
当局の答弁としては、撤去の提案をしても、地元了解が得られないケースがほとんどで、撤去実績はない。とのこと。
ちなみに、1基あたりの維持費(電気代、システム費など)7万2,000円/年かかります。
新規の信号機が、順番待ちの状態の中、一方で、余り使われていない信号機がある。
こういった所に、行政の予算が誇大化していく構造的な問題点があると思います。
つまり、一度実行してしまうと元には戻れない体制が、不要な予算を作っていくのだと思います。その体制とは、
①実行後のモニタリング体制が確立されていない
②選択と集中という概念に乏しい
③物事を行なう際にリスクがあれば基本的にやらない
①実行後のモニタリング体制が確立されていない(事が多い)
予算を確保するところまでは、かなり力を入れるんですけど、やりっ放しが多いんですね。
その予算が、どのように使われて、どんな効果が出ているのかを検証しづらいのが行政ですから、
仕方のない部分はあるのですが、こういう考え方に乏しいのは事実です。
信号機取り外しの住民理解という点においては、信号機が不要になった時の議論を事前にし、撤去基準みたいなものを作って、
設置時に、地元にも説明を行い、「こういった状況になれば、維持費用もあるので、撤去します」としておけば、
完璧とは言いませんが、それなりに撤去ができる可能性があると思います。
行政の事業の進め方には、こういった<やりっ放し>が多い気がしております。
税金投入(他人のお金)で、効果検証が出難い(利益追求ではない)ので、体質的にこうなります。
しかし、財政が厳しい今の現状、しっかりと事業を事後検証出来る体制を整えていく必要があります。
②選択と集中という概念に乏しい(事が多い)
これは、「イイカオ症候群」と言えるのですが、広く住民に良い顔をしなくてはいけない。
当然、格差をなくすという点においては、非常に重要な発想ですから、批判するものではありません。
しかし、信号機を1人でも使っていたら取り外せないというのは、格差是正や行政サービスの均衡と言えるのか。
右肩上がりの時代は、何でもかんでも、やっていけば良いのですが、今の世の中、行政にも優先順位付けが必要です。
これもまた、限られた財源の中で、より重要なものに資金を投下する必要があると思います。
③物事を行なう際にリスクがあれば基本的ににやらない(事が多い)
「仮に撤去した後に、交通事故が起こったらどうするのか?」
この一言で、全ての思考は停止し、信号機撤去ということが行なわれません。
行政は、基本的に減点方式ですから、リスクのあることはやらないのです。
「安心安全」という曖昧な言葉で、全てを終わらせてしまいます。
こうった言葉は、逃げの使われ方にもなるんですよね…。
ミスのないスムーズな行政執行が、一番重要なのは分かりますが、時代の流れの早い、多様化したこの時代において、
組織運営の仕組み自体を考え直さなくてはいけない時代にきていると思います。
チャンドラーの「組織は戦略にしたがう」ではないですが、時代の流れを読み、変えるべきところは、
変えなくてはいけないと思います。
Twitterでおもしろい記事が流れて来たのでコピペします。
単品での値段だけでなく、維持費や設置関係に付いても書いてあるので、一読しておくと良いと思います。
『信号機は、1基いくらするのか?』
『みと政和(兵庫県議会議員)公式ブログ』
政務調査会が続いております。
その中で、信号機に関する質問がありました。
信号機は、県民の皆さんも興味の高いところかと思いますので、一度、まとめておきます。
兵庫県では、県下で7,000基程度あります。
年間の新規設置数は、大体30-40基程度です。
感覚で言うと、そんなに多くないですね。
実際に、要望はかなり上がっているのですが、順番待ちの状態です。
来年度の信号は、36基の設置を考えており、その予算額は1億7,800万円。
シンプルな車両用で、1基あたり340万円程度。押しボタン信号は、240万円程度です。
新規設置以外の信号関係の予算は、約10億円で、既存信号の維持管理費に費用などにかかります。
これは、信号の長さを変えるなどの改良や、LED化や音響付加装置を付けるなどを行なったり、
道路改良を行う時に、信号を動かす必要が出たときは、費用負担などです。
新規で設置する予算より、メンテナンスの予算が断然高いんですね。
勿論、7,000基もありますので、確かに、費用はかかるでしょう。
ということで、一つの疑問が出てきます。そんなに維持費用がかかるということは、
交通量が減少したりして、「必要無くなった信号をどうしているのか?」ということです。
こちらは、迎山議員から質問が出ました。
当局の答弁としては、撤去の提案をしても、地元了解が得られないケースがほとんどで、撤去実績はない。とのこと。
ちなみに、1基あたりの維持費(電気代、システム費など)7万2,000円/年かかります。
新規の信号機が、順番待ちの状態の中、一方で、余り使われていない信号機がある。
こういった所に、行政の予算が誇大化していく構造的な問題点があると思います。
つまり、一度実行してしまうと元には戻れない体制が、不要な予算を作っていくのだと思います。その体制とは、
①実行後のモニタリング体制が確立されていない
②選択と集中という概念に乏しい
③物事を行なう際にリスクがあれば基本的にやらない
①実行後のモニタリング体制が確立されていない(事が多い)
予算を確保するところまでは、かなり力を入れるんですけど、やりっ放しが多いんですね。
その予算が、どのように使われて、どんな効果が出ているのかを検証しづらいのが行政ですから、
仕方のない部分はあるのですが、こういう考え方に乏しいのは事実です。
信号機取り外しの住民理解という点においては、信号機が不要になった時の議論を事前にし、撤去基準みたいなものを作って、
設置時に、地元にも説明を行い、「こういった状況になれば、維持費用もあるので、撤去します」としておけば、
完璧とは言いませんが、それなりに撤去ができる可能性があると思います。
行政の事業の進め方には、こういった<やりっ放し>が多い気がしております。
税金投入(他人のお金)で、効果検証が出難い(利益追求ではない)ので、体質的にこうなります。
しかし、財政が厳しい今の現状、しっかりと事業を事後検証出来る体制を整えていく必要があります。
②選択と集中という概念に乏しい(事が多い)
これは、「イイカオ症候群」と言えるのですが、広く住民に良い顔をしなくてはいけない。
当然、格差をなくすという点においては、非常に重要な発想ですから、批判するものではありません。
しかし、信号機を1人でも使っていたら取り外せないというのは、格差是正や行政サービスの均衡と言えるのか。
右肩上がりの時代は、何でもかんでも、やっていけば良いのですが、今の世の中、行政にも優先順位付けが必要です。
これもまた、限られた財源の中で、より重要なものに資金を投下する必要があると思います。
③物事を行なう際にリスクがあれば基本的ににやらない(事が多い)
「仮に撤去した後に、交通事故が起こったらどうするのか?」
この一言で、全ての思考は停止し、信号機撤去ということが行なわれません。
行政は、基本的に減点方式ですから、リスクのあることはやらないのです。
「安心安全」という曖昧な言葉で、全てを終わらせてしまいます。
こうった言葉は、逃げの使われ方にもなるんですよね…。
ミスのないスムーズな行政執行が、一番重要なのは分かりますが、時代の流れの早い、多様化したこの時代において、
組織運営の仕組み自体を考え直さなくてはいけない時代にきていると思います。
チャンドラーの「組織は戦略にしたがう」ではないですが、時代の流れを読み、変えるべきところは、
変えなくてはいけないと思います。
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