オイラは、ボイラ 寒がりボイラ

6月から9月まで迄の4か月間は、失業状態ですが、冬期間はボイラーマンとして出身高校を暖めています。

彩夏との初デートは動物園。

2017年03月15日 19時30分18秒 | 北のポエム・北海道発のエッセー
 先に駅前で待っていて彩夏は、江ノ島のカフェで見たときより化粧が派手になっていた。
「連絡くれないから、ふられたと思ったわ。」と彩夏は口をツンとさせた。「ごめん、ごめん、あれから仕事で覚える事が
結構あってさ。」「気には、なっていたんだけど、ついつい後回しになってしまったんだ。」と目をそらしながら弁解した。
「車運転するんだね。」美也は、ビックリした様に問いかけた。「もう三年ぐらい運転してるわ。」と彩夏は得意そうに、
言い切った。「彩夏さんは、いくつなの?」と少し遠慮気味に聞いてみた。帰ってきた答えは、「女性に年聞くなんて、まだ
未成年のお坊ちゃまねぇ。」だった。美也は、少しむっとなった。。沈黙の時間がながれ彩夏が切り出した。「ごめんね、
冗談通じなかったみたいね。私は6月で23歳になるの。あなたより4つお姉さんかなぁ。」美也は、彩夏がもう少し若いと
思っていた。同じ年か、1つ上ぐらいに見えたのだ。実は彩夏も、美也の年を聞くまでは、23~24才ぐらいに思っていた。

「さ~て、では動物園まで行きましょうか。」「ねえ、ねえ助手席に乗って。」と彩夏が催促した。美也はおもむろに、ドアを
あけて車に乗り込んだ。車の中は、エグザイルの曲が流れていた。彩夏は音楽に合わせて軽快なハンドルさばきで車を走らせる。
「北石さんは、車の運転するの?」と聞いてきたので「3月に免許取ったばかりのペーパードライバー。今は、仕事でリフトの運転してるよ。」
「リフトの運転は難しい?」「私にも出来るかなぁ。」と聞いてきたので、「多分できるよ。」と話し、「あの~、美也といってくれない。」
「何か、{北石さん}じゃ、変でない。」と彩夏の顔を見て言った。すると彩夏は「そっか、わかった美也くんて言ってもいい?」と言ったので
「いいよ、別に」と返した。「ねえねえ、私のことは、{あやか}って呼び捨てで言ってほしいなぁ。」と彩夏が運転しながら美也の顔を覗き見
して言って来た。「年上だけどそれでいいの。」と美也が聞いた。「彩夏って、呼ばれたほうが、私の方があなたより若くなった感じがするでしょう。」
「だから、それでいいの」と彩夏はうれしそうにニコニコしている。

 20分ほどで、金沢動物園の正面駐車場に着いた。
「入場料は、割り勘ね。いいでしょ。」と彩夏がいい、それぞれ500円づつ支払い中に入った。彩夏は張り切っていて、目が輝いていた。
「ここ、久しぶりなんだよね、中学の時遠足で来て以来。キリンがかわいいの。」と、ゴキゲンを満面の笑みで表した顔がまぶしかった。
美也は、年上の彩夏をかわいく感じた。まるで、女子高生が修学旅行に来ている時の様な雰囲気さえあったのだ。

沢田彩夏からのメール・・・

2017年03月15日 06時54分50秒 | 北のポエム・北海道発のエッセー
 6月に入り、美也はリフトの運転に熱心に取り組んでいた。
各製造建屋から倉庫まで製品を運ぶには、リフトがなければ話にならない。美也は、1月に普通自動車運転免許を所得したが、
以後、車の運転はしたことがない。リフトは、小型の2トン積みだが、ハンドルをまわすと後の小さい車輪が舵を切る。なかなか、
運転が難しく、西田主任から檄が飛ぶ。バッテリーリフトと言って、電気を一晩充電しておくと、一日中走り回れる。
まっすぐ走って行ってコーナーを周るのが難しい。積んである製品の山にぶつかりそうになる。

 雨の日が続き、そろそろ梅雨入りしそうな6月2日の夜、沢田彩夏からメールが来た。
「あれから、もう2週間も経つけど連絡なかったね。」「仕事がいそがしいのかな?」「今度どこかで逢いたいね。」「連絡待ってるよ」
美也は、彩夏のことを忘れてはいなかったが、知り逢った直ぐにメールするのも、どうかな。と考えていて。2週間が経ってしまった。
美也は、すぐにメールで返信した。「連絡しなくてごめん。」「明後日の日曜日は休みかな?」「俺は休みなんで、よかったら
横浜あたりでどう?俺あまり詳しくなんだ。案内してよ。」とメールを返した。その夜は、彩夏からは何の連絡もなかった。
次の日は第一土曜日なので、浦嶋製作所は休みだ。美也は、8時に起きて洗濯をしたり部屋の片づけをしていた。10時ごろに
近くのコンビニに行き、サンドイッチと店内調理の肉うどんを買ってきて、朝と昼を一緒に済ませた。沢田彩夏から携帯にメールの
着信が入っていた。「私動物園に行きたい。」「横浜にある金沢動物園にしようよ、私案内するから。」「10時30分に東急の能見台駅で
待ち合わせ、ok?」年上の彩夏のリードを受けて、美也は、「ok.」のメールを送った。

 6月4日日曜日8時半に寮を出て、東京メトロで日本橋まで行き、都営浅草線快特(三崎口行)に乗り換え、上大岡から京急で能見台に
10:30ちょうどに着いた。駅を出るとジーンズと白いシャツ姿の沢田彩夏がこちらに手を振っている。髪の毛がそよ風でなびき、
爽やかな感じが離れていても伝わってくる。直ぐ横にはガンメタリックのホンダレジェンドが止まっている。まさか彼女の車か?
「お父さんの車を借りて来ちゃった。」と彩夏は、ニコニコとした表情で話した。




再会、江ノ島のウェートレス

2017年03月13日 07時57分55秒 | 北のポエム・北海道発のエッセー
 水心寮には13名の独身社員が、暮らしていた。最年長は38歳で寮長をしている斉藤栄一だ。
工場では、中堅社員でエンジンの一部になるダイナモの部品を製造している。小さな部品が多く、精密さが
要求される部所であり、斉藤は熱心に検査して規格から外れている物を選り分け、再度加工して規格通りにする。
繊細な手先の技術が必要な仕事であり、経験の浅い工員には真似できない匠の技が要求される。斉藤は、静岡県の
沼津市出身で、最近、会社から勤続20年の表彰状を貰ったらしく、更に仕事の打ち込んでいる姿が印象的であった。
美也とは、時々寮での風呂が一緒になり、仕事の話や故郷の話をしたりしていた。気さくで、やさしい兄貴のような感じで、
美也と話が弾んだ。斉藤は寮で唯一、車を持っていた。赤のマツダアテンザと言うディーゼルエンジンを搭載した車だ。
斉藤の話では、この車は浦安製作所で製造しているエンジン部品が使われているらしく、斉藤が担当しているダイナモの
部品がそうらしい。「今度の休みの日にドライブに連れてってあげるよ。」「どこに行きたい?」と斉藤が美也に聞いてきた。
美也はうれしくなり、「横浜方面ががいいですね。」と答えた。「わかった、いいよ、首都高速・湾岸線で横浜まで行こう。」
と斉藤は、承諾した。

 5月21日の日曜日は、残念ながら雨模様であったので、美也は斉藤の車で首都高速・湾岸線では無く、並行して走っている
東京湾岸国道357号で横浜方面に向かった。東京湾と首都圏のビル郡を見ながらの快適なドライブだ。さっきの雨も上がり、
曇り空から薄日が差してきた。東京湾を航行する大型の貨物船や客船を見ながら、横浜方面に進む。斉藤の運転は、軽快で
乗っていて楽しかった。と言うより、マツダアクセラの軽快な走りがそう感じさせたのかもしれない。斉藤が話しかけてきた、
「水族館なんか好きかな?八景島シーパラダイスが近くにあるんだけど、行って見ない。」美也はよく分らないので、「はい。」
と答えた。後で聞いた話だが、斉藤はイルカショーや海の生き物が大好きで、水族館によく行くらしい。葛西臨海公園水族館や
品川水族館、少し遠出して、鴨川シーワールドなどにも行くと話していた。小学生の時には、沼津深海水族館の年間パスポート
を持っていて、ひまな時は殆ど水族館に行っていたらしい。1時間40分ぐらいで八景島シーパラダイスに着いた。

 八景島は島全体の中に遊園地や4つの水族館、レストラン、ホテルなどが凝縮したパラダイス島だった。雨があがり天候は、
回復して、うす曇で少し蒸していた。斉藤が4つの水族館に入場できるアクアリゾーツパスを二枚買った。「付き合ってもら
うからね、入場料は俺が出すよ。」と言って、各水族館を周って見て歩いた。巨大水槽の中を泳ぐサメや魚たち、水槽トンネル
も迫力満点であった。白イルカのショーでは愛くるしいイルカが連続ジャンプを繰り返し、感動した。美也は、水族館と言えば
北海道の小樽水族館しか行った事がなかったので何もかにもが新鮮であり、「これが水族館か?」と少し不思議であった。
昼食はファストフードのパスタ館と言うところで、美也はミートソース、斉藤は、カルボナーラを食べた。500~600円で
パスタを食べれて、味もそれなりに美味しかった。美也はトイレに行こうとして一人で、席を立った。男子トイレから出て来る時、
女性トイレからでてきた人にぶつかりそうになった。「すいません。」とお互いに声を掛け合って顔をあわせて、ビックリした。
何と20日ほど前に行った、江ノ島のカフェのスレンダーなウェートレスがそこに立っていた。向こうも美也に気づき、
「あら~、浦安の~?」と声を掛けて来た。美也は、ビックリして始めは何も言えず、少ししてから「今日は、どうしたんですか。」
と聞いてみた。彼女は、「友達と二人で遊びに来たんですよ。」と笑顔で答えた。「家、近くなの?」と聞くと「鎌倉です。車で40分ぐらいかな。」
と答え、ニコニコしている。「俺も会社の先輩と二人で来たんだ。」と話し、「ほんとに偶然だね」「そうですね。」と会話が続き、
美也は、思い切って「これも何かの縁かなぁ。今度又、逢えないかな?」と切り出した。すると彼女は、「はい、喜んで、私は、沢田
彩夏といいます。」「あぁ~、自己紹介もしていなかったね。俺は北石美也です。19歳になったばかり。」と言うと彩夏はクスと笑い
「私より若い~。」とはしゃいだ声で話した。お互いのメールアドレスを交換してその場は、別れた。
トイレから戻ると、斉藤は「ずいぶん遅かったね。大丈夫。」と心配してくれた。「ええ、ちょっと混んでまして待ちました。」と
いいその場を取り繕った。美也は、沢田彩夏とメアド交換できた事に舞い上がっていた。

 午後3時半ごろに八景島を出て、帰りは首都高速・湾岸線に乗り、1時間弱で水心寮に帰ってきた。
夜8時頃に近くのサンクスで、中華丼を買って一人で食べて考えていた。「沢田彩夏はいくつなんだろうか?」彩夏がはしゃいだ声で
言った「私より若い~。」が気になっていた。

ゴールデンウイークに海が恋しくなった美也。

2017年03月12日 13時04分07秒 | 北のポエム・北海道発のエッセー
倉庫での仕事も大分慣れてきて、美也は最近はリフトの運転を始めた。早いもので、待望のゴールデンウイークが
4月29日から五日間始まろうとしていた。山口良平は、八戸の実家に帰省すると話していた。東京駅から夜行バスで、
片道1万円で行けるそうだ。夜の9時に東京駅八重洲口を出て、翌朝6時半ごろに八戸に着くらしく、良平は時々このバスを、
利用していると言っていた。美也は「俺はしばらく、北海道には帰れないなぁ。」と考えていた。悲しい故か、久々に海が見たくなった。
長い休みの一日を海の見えるところで過ごしたかった。北海道では、直ぐ目の前が海であり潮風を浴びない日は無かった。
一番先に頭に浮かんだのが、湘南の江ノ島だ。サザンの歌によく出てくる海で充実した1日を過ごすなんて夢のようであった。
東京メトロで渋谷まで行き、そこから東急電鉄と小田急を乗り継いで、片瀬江ノ島駅までは2時間くらいで行ける。
時間は少しかかるが、メトロ浦安駅から片道880円で憧れの江ノ島に行けるのだ。

 5月2日(火曜日)7:00に浦安から渋谷経由で片瀬江ノ島に着いたのが、9時をまわっていた。
ゴールデンウイークの中日ではあったが家族連れや若者、カップルなどで賑っていた。美也は江ノ島展望灯台に行ってみた。
江ノ島の中央の高台にあり、駿河湾を一望できた。北海道の家の前から見る日本海とは、比べものにならないくらいの
大海原が広がり、赤道まで行けそうな太平洋がきらめいていた。改めて、太平洋に包み込まれる自分の小ささが判った。
折角なので、あの有名な江ノ電に乗ってみようと思い、江ノ島駅から鎌倉高校前を通り、七里ヶ浜、稲村ヶ崎駅まで、
乗車して、鎌倉海浜公園まで散策してみた。たくさんのサーファーで賑やかな海岸線であった。北海道との気候の差に、
ビックリする美也であった。気温22℃もある。北海道の田舎では、7月上旬にならないとこんなに暑くないのだ。
有名な観光地を一人歩いていると、むなしさが込み上げてくる。のども渇いたので、コーヒーでも飲もうと小さなカフェに
入った。二階から海を見渡せる展望室があり、そこに座って待っていると二十歳ぐらいのスレンダーなスタイルの店員が、
注文を取りに上がってきた。「お客様はお一人ですか。」と尋ねてきたので、「はい。」とうなずいた。ニコッと微笑み、
「何になさいますか。」と丁寧な感じの言葉遣いで、聞いてきた。「アイスコーヒーください。」と言うと「かしこまりました」
と笑顔で頭を下げ、階段を下りていった。美也はこの時、「凄く、かわいい子だなぁ~、彼氏いるんだろうなあ。」と
男としての本能で、普通に考えてしまった。しばらくして、彼女がアイスコーヒーを持って上がってきた。コースターの上に
グラスを置くと、「お客様は、観光ですか。どちらからいらっしゃったのですか?」と聞いてきた。「千葉の浦安です。」と
美也は、照れくさそうに答えた。「あら~、ディズニーランドのある浦安ですか。」「私、あそこに5回行ったんですよ。」
と言ってきたので、「あ~、そうなんですか。好きなんですね。ディズニー。」と言うと「はいそうなんです。メチャ好きです。」
とあどけない表情を見せた。彼女は、直ぐにお辞儀して一階に降りていった。美也には、「彼氏と5回も行った」と自慢しているように
聞こえた。海を見てアイスコーヒーを飲み、30分ぐらいでカフェを出た。サーファーの日焼けした顔の男女がボードを抱えて
歩いている。ここだけ別世界の異様な感じであった。普通の格好で歩いている自分が浮いている様であった。
夕方になり、七里ヶ浜あたりで江ノ島と富士山の間に下りる夕日を、江ノ電の中から見たときは、感動ものであった。
北海道の田舎で見る、日本海に下りる夕日も綺麗だが、こちらで見られるのは、富士山と江ノ島海岸だ。山・島・海と三拍子
揃っている。とても、かなわない光景である。

良平からの助言

2017年03月11日 09時22分10秒 | 北のポエム・北海道発のエッセー
 良平の部屋は、家具も少なく、美也の部屋と変わらない感じであった。
「その辺に座っていいよ。」良平は、4畳半の部屋の何も置いていないスペースを指差した。「俺も、この会社に勤めてまだ半年だけど、
先輩から色々聞くところによると自動車業界にかなり左右されるみたいだぜ、この会社は。」と語り始めた。「工場で作っている物の
95パーセントが三菱やマツダの自動車部品らしい。」「だから、車が売れれば、受注も増えるけどかなり波があるみたいだ。」
美也は頷きながら、下請けの会社は辛いところだと思った。「売り上げが、直にボーナスに影響してくるんだよ。最近は、年に2.5ヶ月
ぐらい出ている様だけど、3年前は三菱自動車がデータの不正改ざん問題で車の生産を1年間休止した。その時は残業が、まったくなしで、
ボーナスも12月に一度だけ、0.5ヶ月分が出ただけらしいぜ。」その話を聞いて美也は少し不安になった。
良平も始めの5ヶ月間は、西田の下で倉庫で製品の保管と出荷業務をしていた様だ。一カ月ほど前から、機械のオペレーションをする
ようになった。西田の下で働く時より、一日が早く過ぎるようで満足している様子だった。今の仕事は、作業着が油で直ぐに汚れる
らしく、ほぼ毎日洗濯をしているそうだ。手も軍手はしているが油で汚れ、休憩の度に工業用石鹸で汚れを落としていると話していた。

 良平は、青森の八戸工業高校の野球部で、甲子園を目指していた高校球児であった。
三年生の夏休みまで野球に専念していたので、就職活動が遅れてしまった。地元で働く気は無く、仙台か関東方面に仕事先を探して
いた。基本給の高いところを何件か絞っていったら、独身寮ありで都心に近い浦嶋製作所が気に入り、そこに決めた。
高校経由の就職だったので、11月に浦安まで出てきて面接をした。往復の交通費や宿泊費は、浦嶋製作所が出してくれた。
3月の末に、水心寮に入り三日間の会社説明や研修などを終えて、4月1日から正社員として働き始めた。
高校経由なので美也よりは待遇が少し良い。基本給も18万8千円を支給されていた。しかし、良平はこの会社には長く勤める気は
まったくなかった。機械のオペレターになり油まみれになって夜遅くまでの残業は、辛いものがあったのだ。給料は悪くは無いので
3年ぐらいがんばり貯金がある程度たまったら辞めようと考えている。美也にはこの事を話さないでおいた。仕事を始めたばかりの
後輩にする話ではないと遠慮したのだ。

「倉庫の製品管理、出荷は造っている製品を覚えるのに半年ぐらいは、続けなければならないよ。」「その後は、工場長の判断で
各製造部門にまわされると思うよ。」製品の製造は、機械化が進んでいるから、楽と言えば楽だけど緊張感を持って仕事しないと
ラインが停止したり、危険な事もあるから気をつけないとないんだ。」良平は、美也に先輩らしく丁寧に仕事の内容を伝えた。
美也は、現在無我夢中で働いている自分に、良いアドバイスをしてくれた良平に感謝した。今後の先が見えたので安心感で心が
満たされ、倉庫での仕事に益々励もうと意欲を燃やした。

正社員に登録され、益々がんばる美也

2017年03月08日 16時58分19秒 | 北のポエム・北海道発のエッセー
 浦嶋製作所の工場、倉庫で働くようになり二週間が過ぎた。
大体の仕事の流れと感じはつかめたが、数多い金属部品を覚えるのは大変だ。西田主任は、合い変わらず無愛想で、
「自分で仕事を覚えろ。」と言う感じで、細かい所まで丁寧に教えてくれない。パートの女性にも助けてもらい、
少しづつではあるが、仕事を覚えてきた。4月1日今朝、始業前に正社員として辞令を受け取った。「基本給十八万
五千円を支給する。」と書いてあった。これで念願の社会人になった。うれしい気持ちで一杯だが、不安もある。
これから先ずっと、西田の下で製品の保管管理、出荷作業を続けて行かなければならないのだろうか。金属加工の現場で
働く事はないのだろうか。まだ、始めたばかりの仕事なので不満はないが、地味さがある倉庫での製品の保管管理は、
美也が始めに考えていた鉄工所での金属加工と違い、華やかさが感じられなかった。

残業が、無い日もあるが殆どの日は2~3時間の残業で寮に帰るといつも、自前で食事を済ませ、風呂に入り洗濯すると
夜10時になる。1時間程、テレビを見たら眠気が襲ってきて12時前には、眠りに付く。朝は、6時半起きだ。
たまたま、今日は残業がなかったので、1つ先輩の山口良平に誘われ、二人で近くの定食屋で日替わり定食を食べた。
500円で魚か肉かを選ぶと、味噌汁と野菜炒めが付いてくる。格安なので、水心寮の住人は、常連だ。二人共に肉定食を頼んだ。
「どう、仕事順調?」良平が聞いてきた。「はい、楽しいですよ。」と答えると、「西田さんはあまり喋らない人だから、
大変じゃない?」「ええ、まあ~。」良平は美也より半年早く、浦嶋製作所に勤めている。現在は、機械のオペレーションをして
形成型で金属片を製造している。機械化が進んでいるので、殆ど機械の見張りのような仕事だ。若い良平でも十分に出来る仕事だ。
良平は、美也が倉庫で働いているのを見て、同情をしているようだった。食事をした後に、「後でオレの部屋に遊びにおいでよ。」
と良平が言った。美也は、「色々な情報を教えてもらおう。」と思い、少しわくわくした。

工場勤め開始、張り切る美也。

2017年03月07日 09時24分06秒 | 北のポエム・北海道発のエッセー
 3月15日(月曜日)今朝は、6時前に目が覚めた。
いよいよ仕事始めだ。工場での金属加工の仕事はテレビで見たことはあるが、実際は難しいのだろうか。美也の頭の中を不安がよぎった。
朝食を済ませ、寮母さんに作ってもらった弁当を持ち、7時半に寮を出た。工場に着くと、先にスクーターで来ていた1つ先輩の
山口良平が作業着を手渡してくれた。「これに着替えなよ。」気さくな感じでの笑顔が印象的だった。
少しすると、総務係長の伊藤がやってきて、美也を皆に紹介した。工場長の遠藤元は、50歳代後半でベテラン職人の風格が
顔の表情から滲み出ていた。「よろしくな。君は最初、製品管理と搬送、出荷業務をやってもらうから。」と美也の顔見て、
言って来た。「はい。」とだけ答えるしかなかった。遠藤は離れたところで、リフト車を点検していた40歳代前半の男に、
「西田主任、北石君の面倒を見てやってくれ。」と言い、美也を紹介した。真面目そうな人だったが、表情は冷たく無愛想であった。
美也は、「この人が、オレの上司?」と心で思った。「北石です。よろしくお願いします。」と挨拶すると、「あ~、よろしく。」と
だけ返してきた。8時になり、始業のチャイムが鳴り各部署に皆移動していった。3つある大きな建屋の内1つは倉庫であり、製造された
物をリフトで、高く積み上げてあった。西田主任は、美也を呼びつけた。「ここの倉庫に、出来た製品を運んで梱包し、保管管理する。
火曜日と金曜日が出荷日や、トラック積みして終わり。」と説明した。「簡単な仕事だが、種類と数をキチンと把握しないとあかんで。」と
強い口調で檄を飛ばした。「はい、解りました。」と美也は少しビビリながら答えた。「後な、リフトの運転も徐々に覚えてや。」
倉庫の奥の方では、女性工員が3名で製品を梱包していた。機械が多く使われていて、女性にでも楽に作業ができる環境であった。

西田の言葉は、関西弁が時々混じる。美也の高校時代の体育教師が奈良の天理大を出ていて、関西弁だった。
どこか威圧的で美也は嫌いだった。まず始めは西田に連れられ、2つの建物から製品を運ぶ仕事を覚えるように言われた。
リフト車の後を付いて歩き製品を回収した。各工場には、30名以上の工員が忙しそうに、機械の操作や金属部品の溶接、
製品の検品などをこなしていた。後で、工場長に説明を受けたが、1つ目の工場では、金属を大まかにカットしたり、
熱を加えて曲げたりする行程の建屋で、二つ目の工場は、その金属を更に精密に形成したり、溶接し、製品化し、検品をする建屋となっていた。
工員の数は70名ほどで、すべて男性だ。第3の建屋倉庫で梱包している女性工員はパートである。

あっという間に4時間が過ぎ、昼休みになった。各建屋に休憩室があり、そこで昼食を食べる。第3の建屋の休憩室では、西田とパートの
女性工員と美也だけの5人での昼食だ。皆弁当を持ってきており、40歳後半ぐらいのおばちゃんが皆にお茶を入れてくれた。
「お兄さんは、いくつなの。」と顔を覗き込んできた。「18歳です。」と美也が答えると「あれ~、うちの息子は17歳の高校二年生よ。」
と言って驚いていた。「えらいね。寮に入ってるの?」と聞いてきたので、「はい、北海道の高校を卒業してまだ2週間で、寮生活です。」と
答えた。「北海道~、遠いところから来たんだね。私は、20年以上前に新婚旅行で行ったけど、広くて良い所だったわ。」と懐かしそうに
話していた。美也は、笑顔でうなずいた。主任の西田は、無言で黙々と手作り弁当を食べていた。後の二人は30歳位の主婦のような感じ
の人であった。一時間後に、仕事開始のチャイムが鳴り、皆持ち場に戻った。今日は2時間の残業がある事を、工場長から聞いていたので、
午後は、4時から15分だけの小休憩をした後、7時まで働いた。

 作業着から私服に着替えて帰ろうとした時、西田が声を掛けて来た。
「晩飯、おごったるわ。何食いたい。」美也は驚いた。今まで無愛想で、あまり喋らなかった西田主任が笑顔を見せたのだ。
「何でも食べます。」美也は少し緊張して、こう言った。「焼肉でも行くか。」と言い、水心寮の近くにある焼肉「白頭山」に二人は入った。
「ここのホルモンは、やみつきになるで。自分の好きなの頼んでええで」と西田は言った。美也は、カルビが好きだったが、遠慮して
サガリとホルモンを注文した。「生ビール飲むか?」と聞かれ、首を横に振った。「そやなぁ、未成年やもなぁ。」と言い、「コーラでも
何でも頼みや」と言った。美也は、コーラを頼み、西田は大ジョッキの生ビールを頼んだ。「ご苦労さん。」と西田は言い二人は、乾杯した。
西田は、飲み始めると口数が増えた。ここの焼き肉屋は月に2回来るらしく、家もここから歩いて5分の所に母と二人暮らしをしていると、
話してくれた。以前に大阪の天王寺動物園で働いていた事があったと言っていた。この会社には13年いるらしく、最近主任になったらしい。
話を聞いていて、どこか影がある様な感じがしたので、美也はあえて質問はせず、ただ頷いていた。
何で北海道からこんな遠くまで来て、就職したのか聞かれた。「都会生活に憧れて、出て来ました。」東京が大好きな事を、西田に伝えた。
「そうか、がんばりやぁ~、ここの会社で働くと金がたまっるで。」と西田は言い、自分も最初は水心寮に入っていた事を話してくれた。

明日から鉄工所勤めが始まる。

2017年03月06日 00時04分44秒 | 北のポエム・北海道発のエッセー
 今日は日曜日、明日15日から仕事が始まる。
生活用品は殆ど揃ったし、都会での生活準備は万全だ。今日は、渋谷に行ってファッション情報を仕入れて来ようと美也は、
考えていた。「気に入った洋服があれば買って来よう。」と思った。北海道から持ってきた衣類は、高校時代に来ていたもので
トレナーやポロシャツ、ジーンズなどの田舎臭い服ばかりであった。美也はこれからの都会での生活で、田舎臭さだけは、出したくない
と思っていた。「そうだ、ついでに美容室に行って髪をカットして来よう。」と思った。北海道にいた時は、田舎暮らしだったので、
床屋にしか行ったことがなかった。今日は、美容室に初デビューだ。心が躍った。浦安駅まで歩いて20分、東京メトロ東西線で日本橋
で半蔵門線に乗り換え、渋谷までは45分で着いた。駅を降りて美也はビックリした。「これが渋谷か。」思わずつぶやき、目を輝かせた。
JR山手線と東急電鉄も交差し、人の流れが半端でなかった。先にシャレた美容室を探し、髪をきろうと思った。 渋谷109の直ぐ近くに
アンディーレと言う店があった。通りから中が見えたが、センスのいい美容師がテキパキと動いていたのが印象的であった。美也は、
思い切ってこの店に入った。「いらっしゃいませ。」今時のおしゃれなニット帽が似合うかわいい店員が声を掛けて来た。ニヤっと、
した表情をしていて、少し美也は照れた。少し待ったいると、その娘が「どうぞこちらへ、今日は髪の毛をどう致しましょう?」
と聞いてきた。「1センチぐらいカットしてください。今風のかっこいい髪型でお願いします。」張り切って美也は言った。
「了解しました。」と無線交信の様に、少しおどけて答えた美容師は、髪を手際よくきり始めた。髪を切りながら、その美容師は、
「私、女性警備員のバイトしながら、美容学校に通っていたんですよ。」と話してきた。「無線機で会話するのにはまっちゃって、
携帯で友達に電話するときも、よく了解を連発するんです。」と話し始めてきた。美也は、首を上下に振って、愛想なく答えた。
そうこうとしている間に、カットは終わりボリュームのある先進的な髪型になっていた。美也は大満足でその店を後にした。
道沿いにおしゃれなショップはたくさんあり、店員が服を並べていた。道玄坂にあるユニクロに入り、そこでシャツとボトムス
などを数点買い、2万円を使った。やはり、知っている無難な店で買うのが一番だと美也は考えた。
昼飯は何がいいかな?悩んだ上げく、花まるうどんで狐うどんを食べた。関西だしが旨くて感動した美也は、又今度来ようと思った。
竹下通りや明治通りをぶらぶらと歩いて、通行人やショップを観察したが、皆個性的なファッションであった。
夕方、浦安まで戻り駅前の洋食店でハンバーグ定食を食べた美也は、東京での一日を振り返り、ニヤっと笑顔になり満足そうな顔であった。

水心寮での生活始まる。

2017年03月05日 09時59分40秒 | 北のポエム・北海道発のエッセー
 浦嶋製作所の独身寮は名前を、水心寮と言う。
7::00に目が覚めた美也は、水心寮で初めての朝を迎えた。今日は木曜日、食堂では既に8人が、朝食を食べていた。
美也が入って行くと皆、顔を上げてジロジロと「何者だろう。」と言う目で、美也を見入って来た。自分の事を、まだ
聞かされていない様子だったので、「おはようございます。北石です。御世話になります。」「よろしく、お願いします。」
と元気良く、挨拶をした。皆、首を動かし「ウィスゥ~」と返してきたので美也は、少し驚いた。その後直ぐに、30歳半ば位の
大柄な男が一人で入って来て、「あ~北石君ねぇ、紹介するの忘れてたわ、ごめんごめん。」と言い、都合の悪そうな顔をしていた。
「みんな、紹介するわ。新入社員の北石君だ。18才で、北海道から来たんだよね。」と美也の体を触りながら、皆に紹介してくれた。
「俺は、ここの寮長の斉藤だ。解らない事、困った事は何でも聞いて来てや。」と頼もしそうな表情で美也を見つめた。
美也は、「有難うございます。」と言い、頭を下げた。「その辺に座って朝飯たべなよ。」とやさしく声を掛けて来たので、
ホッとした美也は、ご飯と味噌汁をよそい、テーブルに付いた。白身の焼き魚に目玉焼き、佃煮、沢庵などが並んでいた。
他の8人は、もう食事を終りかけていて、お茶を飲んでくつろぐ若者をいた。皆、年齢は20~30歳位の先輩であった。
美也は、自分が一番若僧なんだろうな、と考えていた。すると今、お茶を飲んでいた若者が、義也に声を掛けて来た。
「俺は、山口良平、19歳、去年の9月に青森から出てきたんだ。よろしくな。」美也は、青森と聞いてうれしくなり、
ニコッとした笑顔で「北石美也です、うつくしいに、也でよしやです。よろしくお願いします。」と自己紹介した。

朝食後は、皆直ぐに工場の方へ向かった。歩いて行く者、自転車で行く者、スクーターで行く者など色々である。
美也は、その姿を見送りながら思った。「ボーナスが出たら、中古のバイクを買おう。7~8万円あれば原付なら買える。」
今日は、これから日用品やカラーボックスなどの買出しに行こうと思い、9時30分に寮を出て近くのホームセンターへ向かった。
「ジョイフル」と言う名前の店で歩いて7分程で着いた。北海道のホームセンター「ホーマック」の様な品揃えであった。
洗面用具、マグカップ、物干しロープ、カーテンなどを買い、寮に戻った。寮の食堂には、寮母さんがいて掃除をしていた。
挨拶をすると、「お昼のお弁当出来てるから、ここで食べなさい。」と行ってくれた。70歳近くの元気な、おばちゃんだった。



高校での就職活動

2017年03月04日 11時30分33秒 | 北のポエム・北海道発のエッセー
 美也は、高校3年生の夏休みも地元の土木建設会社でアルバイトしていた。
1年、2年の夏休みも20日間働き、合わせて18万円稼いだ。9月から就職解禁で、7月末には学校には60社程の会社から求人が
来ていて、進路指導室に張り出されていた。就職希望組は、皆北海道内で就職を探している。求人もほぼ道内の会社だ。
美也は夏休みのアルバイトを終え、8万円の収入を得た。二学期に登校すると同級生は皆、就職試験の為に求人票を確認して、
就職先を1社に絞り始めていた。美也は東京に出て働きたかった。去年の秋、修学旅行で行った東京がすごく気に入っていた。
人の多さ、深夜でも皆が街で遊んでいて、バイタリティーにあふれた都会の生活に憧れていた。求人票は本州から2社が来ていた。
群馬県から半導体を製造する工場と大阪の警備会社だった。二学期の始業式の午後に、進路指導の北井先生に「東京に就職先はないですか。」
と尋ねた。北井は首をかしげて、「親類のコネで東京に就職した生徒は依然いたが、ここ十年は、求人も来ていないし、難しいかな。」
「希望職種は、決まっているのかね。」と北井が聞いてきた。「何でもいいです。とりあえず。」と答えた。
進路指導の北井の話では、東京の企業は関東圏の高校や東北地方の高校から人を集めているらしい。企業の人事担当者は、
北海道までは考えていないらしい。美也はどうしても東京で働きたかった。その様子を察した北井は、「東京の職業安定所を訪ねれば、仕事は
たくさんあるから見つかるんだけどね、」北井は、冬休みに東京の職安を尋ねて、仕事探しをすることを勧めてきた。
美也は折角貯めた、バイト代26万円を無駄にはしたくなかった。3~5日滞在すると、往復の飛行機代を含めて10万円近くかかる。
東京なら、会社がたくさんあるから3月になってからでも、仕事は見つかるだろう。冬休みは車の運転免許証を取る予定だ。東京まで、
行っても、就職が決まる保証はない。美也は3月の卒業式が終ったら直ぐに東京に行き、職業安定所を訪ねようと思った。
この考えを美也から聞いた北井は、「学校としては12月中に全員の就職が決まることを前提に進めているんだが、君がどうしても
そうしたいのなら、仕方ないな。」と話した。卒業式は3月1日だ。遅くとも5日ぐらいまでには東京へ出発したいところであった。